谷 好通コラム

2015年06月13日(土曜日)

6.13.それが望まない姿でも、楽しみと共に現実を受け入れる。

三日前、足首にかかる負荷を膝に全部受けるための装具を着けたのですが、
慣れるまでと言われた膝が痛くて、やっとあきらめがつきました。
車いすに乗って、誰かに押してもらうことを受け入れることにしたのです。

 

元々変形していた左足が、
ヘルニアによる負荷でまた一段と変形したようです。
先日はレントゲンを撮って骨が折れていると言われた画面を、
ろくに見もしなかったのは、見たくないこともあったのですが、
今回「どこが折れているんですか。」と、覚悟を決めて聞いたら、
先生が画面を指しながら説明をしてくれました。

 

「ほら、ここがポロっと欠けているでしょ。」
まずカカトの後ろの方に、コメ粒よりちょっと大きめの骨のかけらが、
明らかに足の骨から外れて浮いていました。
隙間もよく見えます。
「それから、ここと、ここが欠けていて、
だいいち足首の関節がかなりずれていて、
その内側の骨が剥がれているよね。」と、
四か所の骨が痛んでいることを示してくれました。

 

昔、足首をくじいた時に痛めた傷と、最近痛めた部分があって、
じっとしていれば痛くないのですが、
歩いて足首に負荷をかけ、ある角度に曲がるとひどく傷みます。
あるいは痛くない角度に維持して注意していれば
それだけで、何十メートルかであれば、私は歩けます。
でもそうやって、だましだまし歩いた後は、
足首から膝までが痺れて、
その日の夜は少し唸るくらいになります。
だから基本的に、歩いて足首に負担をかけることはダメです。
それでも、つい最近まで杖をついてけっこう歩きましたが、
変形が進むので、ダメだと言われました。

 

膝に負荷を逃がす装具は、
私には痛くて無理なようなので、
結局、あきらめて、
車いすに乗ることにしたのですが、
どうも、惨めったらしくていけません。

 

ましてや今のところ、
誰かに押してもらわなくてはいけないので、
そうやって誰かに助けてもらうことを、
私は、どうも素直に受け入れることが出来ません。

 

人に助けてもらって、
たとえば普段の生活である「電車に乗る。」などをすることに抵抗があります。
助けてくれる人が少しでも嫌がるような言葉を発したり、表情をしたら、
「いやいや、しなくていい。自分でやるからしなくていい。」
と、ついつい強がりを言って、途端に機嫌が悪くなってしまいます。

 

自分の現実の姿を、どうしても気持ちとして素直に受け入れられないのです。
それを昨日の熊本に出張に、連れ合いたちが付き合ってくれて、
私を車いすで助けてくれました。
そんなことを繰り返していると少しずつ、
車いすに乗っている自分を受け行けるようになってくるでしょう。

 

早くあのかっこいい車いすが来ないかな。と待ち遠しく感じます。
それに、衝動買いで、
無茶苦茶かっこいい「電動」の車いすみたいな乗り物を注文しました。
電動車いすではなく、パーソナルモビリティーWhillと言うそうです。
特別なタイヤで四輪駆動、砂利道まで走れて、
時速6kmで、20kmの航続距離ですから、
立派な若者よりよほど健脚です。
これが来たら、
真っ先にCOSTOCOに行こうと思っています。
あんなものは興味ないと行ってきましたが、
私の足ではとても行けなかったからそう言っていただけで、
行けると思ったら、それはそれで楽しみになってきたのです。
私は自分の現実を受け入れつつあります。

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

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