谷 好通コラム

2013年03月28日(木曜日)

3.28.小さな、少しだけしんみりのお別れが増えました。

昨日、名鉄百貨店のパーソナルオーダー売り場に行ってきました。
シングルの背広を1着造ることと、
河合さんにお別れをしてきたのです。

 

私は二十数年前から、
名鉄百貨店のパーソナルオーダー売り場で、
ずっと自分の背広を造ってきました。

 

ちょっと前までは、
これを「イージーオーダー」と言っていました。
いわゆる一着一着、採寸をして、仮縫いをし、
手間を掛けて造る高級な「オーダーの背広」ではなくて、
背広の生地は毎回選びますが、
簡単な採寸だけで、仮縫いなどせずに造る簡単なオーダー、
つまりイージーオーダーという名前の背広です。
当然、オーダーの背広よりはずいぶん安いですが、
いわゆる吊るしの出来合いの背広よりは値段が張ります。

 

私は、手と足が短いデブ体型なので、吊るしの背広がまったく合いません。
どうも人間の基準となるサイズの比率が適合しないのです。
だから、仕方なくオーダーで背広を造って来ました。
しかも簡単に作ってもらえるイージーオーダーで。

 

私はイージーオーダーのいう名前にはまったく違和感もなかったのですが、
日本語にすれば「簡単注文」という「イージーオーダー」よりも、
「個性注文」のような「パーソナルオーダー」の方がカッコいいので、
私の好きな「イージーオーダー」という単語はなくなってしまったようです。
でも、私は未だにイージーオーダーと呼び続けています。

 

28年前に独立してから何年か後、
どうしても背広を造る必要があることがありました。
といってもそれが何であったのかはまったく憶えていません。
どちらにしても、それまでの私は、
作業のユニフォームとパジャマがあれば何の不自由もない生活でした。
現場で仕事をしているか、家に帰って、飯を食って寝るかだけの生活でした。
それが何か背広を造る必要に駆られて、名鉄百貨店に行きました。

 

私が社会人になった時、母が私に礼服を造ってくれたのが、
名鉄百貨店のイージーオーダーだったので、
そこしか行ったことがなかったので、自然にそこに行っただけです。

 

独立してから久しぶりに行ったイージーオーダーの売り場に
河合さんがいました。
それから頻繁ではないですが、
何回か背広などを造るたびにいつも河合さんで、
自然に、ずっと河合さんに背広の生地を選んでもらったりしてきました。

 

あれから二十数年、私が造ってきた背広はすべて
河合さんに造ってきてもらったということになります。
現場を退いた時、
いっぺんに十数キロ太ったことがあつたので、
その時に、ほぼすべて作り直した分も入れれば、
結構たくさんの背広を造りました。
それを全部、河合さんにお願いした訳です。

 

と言っても、もちろん、
あくまでもスタッフと客の関係で売り場だけでのお付き合いです。

 

私は個人的な付き合いはしなくても、
一度この人から買うとなったらずっと変えません。
何十年もその人から、ずーっと買い続けます。
それをクールな河合さんに言わせると、
「その方が楽ですものね。男性はみんな買い物が、面倒なんですよ。」

 

その通りですね。
買う人を決めていた方が、
自分を解かってくれているので、楽だから、です。
河合さんは実によく分かっていらっしゃいます。
特に「イージーオーダー」ですので、
面倒くさがりの男性が多かったのでしょう。

 

河合さんの年齢は私より少し上です。
だから、私よりも先にこの三月、定年退職をされます。
それで、河合さんからの最後の一着を造りに行ったのと、
今までのお礼を言いに、名鉄百貨店のイージーオーダーの売り場に行きました。

 

こんな、ちょっとした、少しだけしんみりしたお別れが増えました。
同年輩の人の訃報が、少しずつ聞こえてくるようになって、
こんな小さな別れも増えてきました。

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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