谷 好通コラム

2013年02月03日(日曜日)

2.03.たぶん50年以上通った三重の神社

私の父は三重県の菰野町の出身です。
濃尾平野の北西の端、
そして鈴鹿山脈の北端の麓である菰野町の地元の人には、
『谷』の苗字の人がいっぱい居ます。
父は菰野町で生まれ、愛知県に出てきて働き、
大府市で結婚し、名古屋市に移り、長く住んで、
私達といっしょに住むために大府に帰り、大府で死にました。

 

私が父と母に連れられて、
お正月のたびに菰野町の福王神社に行くようになったのは、
たぶん、小さい時だったのだろうと思いますが、
中学校の頃からのことしか記憶にありません。
しかし、いずれにしても、
18歳から19歳までの家に寄り付かなかった時期を除いて、
小さい時からずっと毎年、お正月は菰野町の福王神社に通ったはずです。

 

福王神社は小さな山の上にあって、
お正月、下から登るのは、結構大変です。
しかし、お正月以外は、
坂の中途まで自動車で登れることを憶えたので、
ここ何年かは、お正月をはずして、
福王神社の例祭のある毎月の
三の日である三日、十三日、二十三日のいずれかに行くようになりました。

 

下から登るのは本当に大変で、
父が亡くなった十年と何年か前のお正月、
体は弱りながらも、福王神社だけはどうしても行きたいというので
父を連れて行ったのですが、
下から登り始めて、途中の階段のところで、
「やっぱり、上までは登れんわ。
お前たちは上に登ってお参りして来い。
俺は、お前達が降りてくるのを待っとるから。」と言って、座り込みました。

 

父が最後の福王神社に登れずに、
その年の夏、亡くなったことが心に残っていて、
毎年、福王神社に登ることをやめる気になれません。

 

今年は1月の初めに軽い脳幹梗塞になってしまったので、
1月中に福王神社に登ることは出来ませんでしたが、
2月に入って、最初の日曜日が幸運にも三日だったので、
今日、福王神社に登って来ました。
今年も一年、また生きていられて、
精一杯、大好きな仕事ができそうな気がして、とても嬉しかった日でした。

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

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