谷 好通コラム

2012年01月15日(日曜日)

2954.CGが表現する残酷さはもういい

映画はどんな種類の映画でもたいてい何らかの感動はあるものだが、
今日見た映画は全くダメだった。
全編に渡って激しい暴力シーンと殺戮のシーンが、
CGを駆使して、しつこく、これでもかと激しく映し出され、
ののしりと罵声に満ち、
出てくる人間の憎しみと苦しみ、痛み、傲慢、差別、裏切り、堕落が、
とりわけ人を憎くむ醜さが、
いやになるくらいの残酷さを伴って、しつこく、しつこく表現される。
そこには悲しみという情緒さえなく、
本物の戦争とは、
本当にそうなのだろうとはイヤというほど思い知らされる。
本当の戦争とは、この映像よりもずっと残酷で、非条理の極みなのかもしれない。
戦争の残酷さには決して目を背けるべきではないのだと思う。

 

しかし、映画として、
そこにあるのは
あくまでも映像だけの造られた暴力と憎しみの、造られた残酷シーンなのだから、
その造られた演技の暴力と憎しみと残酷は、
平和とか平穏とか、自然とか、愛すべき心情とか、
そういうものとの対比で戦争の非条理性をより深く思うものであって、
全編に渡って、
その造られた残酷シーンだけがこれでもかと流され続けると、
本当に気持ちが悪くなるまでの不快感が胸と胃に渦巻くだけで、
ポスターに謳っていた「人生観が変わるほど感動のラストシーン」は、
ただの茶番にしか思えなかった。
見終わって不快感と、腹立たしさだけが残り、
映画を見てこんな気持ちになったのは初めてだった。
頭が痛くなって、胸がむかむかして、体全体が熱っぽく、気分イライラだ。
何かを悪く言うことは余程ないつもりだが、今回は参った。

 

今の映画はコンピューターグラフィックス、
CGが恐ろしいまでに発達して、
どんな場面でも異様なまでにリアリティをもって表現できる。
現実離れしたような迫力とか、
現実を写す映像では絶対に撮れない表現が出来るようになった。
もっとすさまじいのは、人間が爆弾で吹き飛ばされる映像とか、
弾丸が人間を貫通する場面とか、実写では人間を傷つけてしまうような場面でも、
CGを駆使すれば、人間を傷つけずに
うんと残酷にリアリティをもって表現できるようになった。
しかし、
その残酷さと現実を越えた映像を表現する事にのめりこんでしまい、
その映画で観客に伝えたい本来の目的がそっちのけになっているのではないか。
映画本来の目的、
観客が本来求めている人間的なものを見失うと、
大昔のゲテモノ、化け物の「見世物小屋」に成り下がってしまうような気がする。

 

この映画の舞台であったはずの韓国、ロシアシベリア、フランスには
美しい自然がいっぱいあるはずなのに、そんなものは一切出ず、
残酷な暴力と憎しみと、差別と、いつも血まみれの人間と殺戮ばかり。

 

ゲテモノを延々と見たいとは思わない。
世の中には、美しい光景がいっぱいある。

 

何ヶ月か前に行ったスウェーデンの空とドイツの夕日。
CGで造った虚像より現実の方がうんと美しい。

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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