谷 好通コラム

2011年07月09日(土曜日)

2822.文明は人間をひ弱に?・ヨタハチに思う

今年は梅雨が早く始まって、早く終わった。
それはそれでありがたいのだが、
明けたとたんの猛暑は、残酷なまできつい。

 

今日は「GAZOO Racing (ガズーレーシング)」主催で
「エコラン」という「燃費を競う走行会」が鈴鹿サーキットの南コースで開かれた。
色々な勉強の意味も含めて、SUPER GTに毎レース同行している荻原君と、
私と、畠中君、鈴置君、賀来君の三常務がこの走行会に参加したのだ。
鈴鹿サーキットの南コースは本コースとは比べ物にならないほど小さなコースで、
四輪のレースよりうんと小さな「カート」のレースに使われるコースだ。
カートのコースとしては有名なコースで、
現役F1ドライバーなどもこのコースで走っていたことがあるらしい。

 

そのコースで、プリウス中心のハイブリッドカーでの燃費を競う走行会、
というより、これはこれで「エコラン」という“レース”だ。

 

私が出たのは、
そのエコランの前にサーキット走行を体験するビギナー向けの走行会。
先導車の後ろについて走り追い抜き禁止の体験走行会である。
本当のレースに出場している私がなぜそういう走行会に出たのかというと、
実は、数週間前に「ヨタハチ」を手に入れたのだ。
「ヨタハチ」とは正式には「トヨタS800」。
43年前に造られた古い車で、その車の初乗りを気持ち良くやりたくて、
サーキットをゆっくり走れるこの走行会に出ることにした。

 

「ヨタハチ」「トヨタS800」は、
空冷2気筒、800cc、45馬力、540kgのとても小さな車で、
Wikipediaによると
「トヨタ・スポーツ800(トヨタ・スポーツはっぴゃく)とは、
トヨタ自動車が1965年から1969年にかけて製造した小型のスポーツカーである。
車体型式はUP15。
超軽量構造と空気抵抗の少なさで、非力ながら優れた性能を発揮したことで知られる。
愛好者からはヨタハチの通称で呼ばれる。」とある。

 

私は大昔、小学校の高学年の頃からモータースポーツが大好きで、
あの頃の唯一のモータースポーツ雑誌「オートスポーツ」を創刊号から読んでいた。
日本のモータースポーツの創成期の頃の話。

 

※以下、インターネットの資料から


伝説の天才レーサー「浮谷東次郎」
1965年7月18日、
船橋サーキットで「全日本自動車クラブ選手権レース大会」が行われた。
東次郎は1,300ccまでのGT-Iクラスにトヨタ・スポーツ800で出場。
レース中、ライバルと目されていた生沢徹のスピンに巻き込まれ、
フェンダーがタイヤに食い込むというダメージを負ってしまった。
ピットイン後、3位から17位へ一気に転落してしまったが、
ここから奇跡の逆転劇が始まった。
コースに戻るやいなや、怒涛の追い上げで2位へと躍り出た。
ついにトップを走っていた生沢も追い抜き奇跡の大逆転優勝を成し遂げた。
この時東次郎がマークしたファステスト・ラップタイムは、
その日行われたどのレースの記録をも凌いだタイムだったという。
この後のGT-IIレースでも優勝し、浮谷東次郎の名が一気に知れ渡ることとなった。
しかし、その翌月8月20日、
三重県の鈴鹿サーキットで練習中コース上を歩いていた2人の人を避けた後、
水銀柱に激突、東次郎は車外へと放り出され両足骨折や頭部強打などの重傷を負った。
翌日21日、脳内出血により東次郎は23年という短すぎるも濃密な生涯を終えた。


 

そんなトヨタS800、通称「ヨタハチ」が
ほぼ完全なオリジナルで小樽にあって
オーナーが手放す意向を持っていることを5月に知った。
それも浮谷東次郎がレースで乗ったヨタハチと同じシルバーである。
たまたま、そのあたりで札幌に行く仕事があったので、
つい見に行ったのだが、
若いオーナーの熱い話を聞いているうちにどうしても欲しくなって、
自分の貯金で買うことを決めてしまったのだ。

 

自動車は古くなるとどんどん値段が下がるが、
それがレアな車であって、ここまで古いと、古くなればなるほど値段は高くなる。
なんて、いろいろと言い訳はあるが、結局、どうしても欲しくなってしまっただけ。

 

車は本当に小さい。
軽自動車よりも小さく、軽い。
もちろんNAVIもなければ、間欠ワイパーも、キセノンランプも、
オーディオもない。(でもオリジナルのAMラジオがちゃんと鳴るのだ)
オートマチックではなく4段Hパターンのミッションで、
足回りはABSも何も、あらゆる電子制御が無い。
シンプルそのもので、いかにも“機械”に乗っている感があるのだ。
そして、
もちろん、もちろん「エアコンも無い」

 

気持ち良く初走りをしようとした鈴鹿サーキットの南コースは、
走ってもちろん、爽快であった。
爽快で、乗っている間は、興奮と気持ち良さでいっぱいであったが、
出走を待っている間や車が止まったとたんに、
35℃の空気と、晴れ上がった空から太陽が焼き付けて、
40℃、いやそれ以上に熱せられた灼熱の箱であった。

 

1セット2周×4回を走った後、
ドライバーを畠中君に代わり、私が助手席に移ったら
デリケートなヨタハチのエンジンがどうしても止まって、そこでリタイア。
(しばらくしたら直ったが。)

 

ヨタハチを降りて、
現代のプリウスに乗り換えた時の、
あの「冷気」の心地良さ!
25℃に設定されたエアコンの天国の冷気。
「フ~~~~っ」とため息が出たまま、しばらく降りたくなかった。

 

冷気は、
一度生活の中に入ってしまうと、
人間に暑さを地獄のように感じさせてしまう。

 

昔はもちろん、クーラーなど付いていない車が当たり前であった。
それでも平気だった。
全部の窓を開け放って、35℃の外気を涼しく感じた。
今はエアコンの付いていない車なんてまず無いだろう。

 

文明は人間をひ弱にしてしまうのかもしれない。
我がヨタハチは、
自分を強くしていないと乗っていられないのかもしれない。

 

 

この角度で写真を撮ると大きく見えるが、
実際は軽自動車よりも小さい。

 

もちろんっ! クリスタルキーパーで新車そのもののツヤに。

 

 

夏の空。

 

 

のどかに体験走行会。

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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