谷 好通コラム

2008年10月21日(火曜日)

2042.新幹線移動中の妄想か

日本はその緯度が地球の中ほどにあって、
地軸の傾きが公転による太陽からの日照の変化を大きくし、
四季が美しくハッキリしている。
地球は、大地と空気と水によって
太陽系のどの惑星にも見られない美しい多彩な景色を作り出している。
太陽の恒星としての大きさといい、
地球の太陽からの距離といい、
たった一つの衛星である月との位置関係で潮汐現象といい、
極めて稀なバランスと変化をもって今の世界がある。
地球が何万分の一、何十万分の一の“偶然”で絶妙なバランスの位置を得ているのか、
何かの意志で巧妙に作り上げられた作品なのか。
いずれにしてもこの世界は奇跡そのものであると思える。

 

人類の祖先が誕生してからまだ100万年。
文明が出現してから2000年ぐらいか。
産業革命が起きて今の機械文明が始まって100年。
ITが日常の生活の中に充満するようになってからまだ10~20年。
現代の最先端文明は、
137億年前のビックバンから宇宙の歴史から見れば、
10億分の1程度の瞬間にしか過ぎない。
何十万分の1のポジションで、10億分の1の瞬間。
今この瞬間の四季の美しさと、服を身に纏い、PCを叩いている自分は、
確率的にはまさに奇跡のような存在である。
そんな存在が地球上には何十億人もいるのだ。
その中の1人である自分が、自分を自分であると認識している。
物理的な存在の確率としては、
1/(10万×10臆×40臆)なのだろう。

 

しかし、
「我考えるがゆえに我あり」の自己認識としての観点からすれば
自らの存在とは、
自分の内面か、自分の内面以外のすべての世界かの1/2の世界になる。
つまり「我内面か、我以外の世界か」の1/2の確率的な存在となる。

 

この意味は大きい。

 

まず、137億年の時間があり、
宇宙が存在して、太陽が存在し、地球があって、人類があって自分があるのか。
ならば自らは1/(10万×10臆×40臆)の存在であろう。

 

あるいは、
何かの意志で、
まず自分があって、人類が存在し、地球があって、
その絶妙なバランスのために太陽系があり、銀河があり、宇宙があるのか。
ならば自らは宇宙と137億年の時間の中で1/2の存在となる。

 

地動説と天動説の、その物理的な意味ではなく、
自己の意識の存在の意味としての問題なのだ。

 

何を言いたいのかというと、
自らの存在の意味を、
自分以外の他の世界のものや他人と比べたところに求めると、
つまり相対的なところに自らの存在価値を見出そうとすると、
それは1/(10万×10臆×40臆)の中のどこにポジションしているかになる。
自らの存在を、他人と比較の中に求めると、
その存在は1/(10万×10臆×40臆)の中に埋没し、
限りなくゼロに近くなってしまうということだ。

 

人よりもいい服を着ているとか、
人よりもカッコいいとか、
人よりも足が長いとか、人よりも高い車に乗っているかとか、
仕事上でたくさんの人の上に立っているとか、
人が羨むような物を持っているとか、
相対的に学歴が高いとか、異性にもてるとか、
性的に強いとか、セクスアピールが強いとか、
人よりも健康だとか、人よりも長生きするとか、

 

他人と比べた自分の評価は、
あるいは「人からどう見られるか」で自分の評価を求めると、
究極として1/(10万×10臆×40臆)の中に埋没することになり、
そのどれもがゼロに近い価値でしかなくなってしまう。
「他人と比べた自分」には価値がない。

 

世界の億万長者が「セレブ」と呼ばれ、人からどんなに羨まれても、
人からどんなに憧れの的になっても、
その人が幸せであるかはまったく疑問であるし、
少なくとも、
年収100億円の人が、
年収200万円の人に比べて5,000倍も幸せであることは絶対にない。
ひょっとしたら年収200万円の人が心豊かな生活をしていて、
年収100億円の人が殺伐とした生活をしていたとしたら、
年収200万円の人の方が幸せに決まっている。

 

自分を人と比べたり物の豊かさを求め、
そこに自分の価値と幸せを求めても、そのいずれもがゼロに近い。
1/(10万×10臆×40臆)から抜け出すことは出来ないのだ。

 

「我考えるゆえに我あり」であって、
人は、その人の“存在”そのもので100%の価値を持っていると考えるならば、
自分を人と比べる無意味や、
人と比べた自分の価値がゼロに近いこととは反対に、
全宇宙の137億年の中で1/2の価値を持つことになる。
自らが存在している意識の存在、それで充分だ。

 

幸せになるということは、
人よりたくさんの物を持ち、人より美しく、人より地位が高いことではない。
極論すれば、
人生の中でどんないい目をしたか、たくさんのものを手に入れたか、
たくさんの権力を持ったかは、何の意味も持たない。

 

自己は自己としてあるがままで、
137億年の全宇宙の1/2としての価値を充分に持っている。
その上で、
天から預かった1/2の価値がある自分の人生を、
自分のできる限り生きて、進化し、
自分と同じように137億年の全宇宙の1/2の意味を持っている自分以外のすべての人と、
あらゆる生命と自然を含めた宇宙を、
自分の重さと価値と同じように、尊重して、愛した時に
一体となり、自分自身が宇宙であり、
他の人たちもそのすべてが同じように宇宙そのものであることに気付く。

 

存在そのものが、すべてどのような形をしていようと、
どんな評価を受けているものであろうと、
すべて、
それぞれが137億年の宇宙全体の1/2としてあるのだから、
他の人のことを自らのこととして感じ、尊重し、愛した時に一体となって
すべての人が、意識として、宇宙そのものになるとしても不思議ではない。

 

何か神がかり的なことを書いたが、
そんなつもりはない。
私を含めて、人は煩悩の塊であって、
自分を人と見比べないと自分が見えない弱さを持っている。
あるいは、自分を他人と比べないと自分の価値を見出せない弱さを持っている。

 

しかし、考えてみれば、
他の人と比べて自分がどうであるかに価値があるとしたら
相手が変われば、変わるたびに自分の存在価値が変わることになる。
自分の存在の意味が、
比べる相手によって変わるようなものではないことは間違いないので、
人の価値は相対的に決定するものでないことになる。
相対的ではないならば、他と比べるべくもない絶対的な価値があるはずなのだ。

 

絶対的な存在ということならば、
137億年前、時間も空間もない絶対的な真空があって、
その真空の量子的なゆらぎから発生した宇宙はビックバンの時点から時間が始まり
現在までの絶対的な時間が137臆年であって、
私達が知りうる絶対的な空間と物質が全宇宙である。
ならば、絶対的な存在として分類するならば、
「我考えるゆえに我あり。」で、
私の内面の世界が半分と、私以外として意識できる137億年の全宇宙が半分となる。

 

そんなことを考えているうちに、
自分が1/2の絶対的な価値を持っているならば、
自分以外のすべての「我考えるゆえに我あり」他の人も同様であって、
他の人を絶対的な1/2の価値として尊重して、愛すれば、
自分という、それぞれの存在は、すべて宇宙と一体となるのではないかと妄想したわけだ。

 

昨日は、名古屋⇔広島の往復4時間半以上の新幹線、
今日は、名古屋⇔東京の往復3時間半以上の新幹線。
書くべき原稿も書き、
それでも余りある時間を、パソコンのキーを叩いているうちに、
私は、妄想の中に入り、とうとう宇宙と合体してしまったわけです。
アホらしいと思えばアホらしいし、
そうかなと思えばそうかなの話なのである。

 

新幹線移動中の白日夢。

 

 

昨日、広島営業所にて。
広島営業所には久しぶりであった。すまない。

 

 

今朝、わずかに見えた富士山のてっぺん。

 

 

今日のお昼。東京営業所でおいしい「オリジン弁当」のおかずとご飯。

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

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