谷 好通コラム

2008年04月20日(日曜日)

1895.心の豊かさを持ちたい

人を怒鳴るのはほんとに良くない。
怒鳴っている本人は大きい声を出して、
しかも感情を発散しているわけだから、
ある意味では快感だろうが、
怒鳴られたほうは、一方的に人格までを踏みにじられているようで
そりぁ、たまったものではない。

 

今まで持っていた信頼が、
一瞬で吹っ飛んでしまうことすらあるだろう。
怒鳴っている自分には解らないが、
はたからそんな場面を見ると、
そんな不毛な構造がよく見えてゾッとすることがある。
「人のふり見て我がふり直せ」とは本当にそうだ。
怒鳴るのは良くない。
いかなる時でも、いかなる人に対しても、いかなることがあっても。
そんなことはもう何度も何度も学んだはずなのに、
未だに、つい、怒鳴ってしまう自分に情けない思いが深い。

 

怒鳴ることによって、
自分の意思が相手により強く伝わるかというと、
むしろ反対で、
自分の感情をむき出しにして怒鳴っている言葉とは
たいがい理性を欠いていて、
実に説得力のない話になっているものだ。
いまだ自分が未熟であることに対する意識の欠如か、
あるいは中途半端な達成感を持ってしまっている証拠なのか。

 

若い子に「キレル」という言葉があるが、
「キレル」のはその人の心のキャパシティの小ささと甘えの証明だけであって、
「怒鳴る」のは、それと同じ種類のような気がする。
実は「キレル」「怒鳴る」は同類項で、
キレたり怒鳴ったりすることで、
それ以降、相手が自分を受け入れなくなってしまうことをも予感しながら、
自分が上位であることに甘えて、
「受け入れられる」より「服従させる」という簡単な充足に陥ることなのだろう。
その証拠に、「キレル」「怒鳴る」という行為は、
「上から下に向けて」「強い者から弱い者へ」行われるということである。
怒鳴ったり、キレたりするのは、
その人の弱く狭い驕りの心の露呈でしかないのであろう。
学ぶべきなのであろう。学ぶしかないのであろう。

 

今は葬儀が終わって
鹿児島から中部空港に戻る飛行機の中。
激しい気性であった人が死んでからみんなに許され、
愛されるのは、人間の優しさに違いない。
献身的な人がいて、自分を犠牲にし、
それによって報われるようなことがなくても
ひたすら謙虚で、傷つき、涙を流して耐えて、
人のためだけを考える人がいて、
実はそんな人のおかげで、過疎の村が支えられていることを知る。
ありがたいことであり、申し訳ないとも思う。

 

 

都会でどんなに豊かで華やかに見える生活をしていても、
農村の澄み切った空気と、人の心の行き交いに勝る豊かさはない。
豊かさとイコール金でないことは間違いないのだから、
その上で、豊かさとはと考えると、
それはどうも都会よりも、田舎により有るもののような気がした。

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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