谷 好通コラム

2008年02月18日(月曜日)

1849.飛行機に乗り遅れたことが、まだない

三日ほど前から、
インプラントが入っている部分の歯茎(はぐき)がちょっと腫れていた。

 

それでも土曜日まで仕事がぎっしり入っていて、
名医・堀田歯科に行くことは出来なかった。
日曜日は午前中遅れていた原稿の書き直しを頑張って何とか書き上げ、
午後から予定通り快洗隊の4軒を回った。
夕方からは「ル・ラパン」という小さなフランス料理屋さんで、
「今岡友美さん」のディナーライブを聴きに行く。

 

「ル・ラパン」は刈谷の元本社事務所の近くにあって、
10年以上前から色々な機会に使っていたのだが、
その「ル・ラパン」で、あの「今岡さん」のライブが行われることを知り、
大喜びで聴きに行ったのだ。
と言っても、それが2月17日なのをすっかり忘れていて予約はしてなかった。
「たぶん無理かな」と言いつつ、
店に電話を入れて見たら「大丈夫」だと言われる。
後で聞いたら、予約はずいぶん前にいっぱいになっていたのだが、
たまたま当日に二人キャンセルがあって、幸運にも席が空いたのだそうだ。
ラッキーである。

 

小さなレストラン(ほんとに小さい)に30人ほどの聴衆。
その距離はあまりにも近い。
ル・ラパンでは年に何回かミニコンサートを開いていたようだが、
JAZZは初めてだそうだ。
お客様もJAZZを生で聴くのは初めて人がほとんどのようで、
スタンダードを中心としたこの日今岡さんの歌で、
皆さん、いっぺんにJAZZが好きになったと思う。
今回は狭い場所だったので、
今岡さんも、時々、マイクを使わずに生の声で歌ったのには驚いた。
その切なくも存在感のある声に、
頭のてっぺんから体中に電気が走り、私はビリビリにしびれた。
“生”今岡友美の、“生”声は、新鮮で最高であった。
たぶん、マイクなしで歌うことは彼女も多くはないだろうし、
その場に居合わせたのは、最高のラッキーであったのだろう。

 

終わったのは9時過ぎ、手短に先日のパーティーでのお礼を言って大府の本社に走る。
関東の快洗隊を今後担当していく賀来君と、
新しい快洗隊のレイアウトを打ち合わせるためだ。
家に帰ったのは11時過ぎ、今岡さんの歌にまだ興奮しているのか、
床に入ってもなかなか寝られないだろうと思ってビールと焼酎を飲む。
寝る前に歯を磨いたら、前からちょっと腫れていた歯茎の部分が痛んだ。まずい。
「明日、朝一番で堀田先生の病院に行こう。飛行機は11時25分発だから大丈夫だろう」
で、眠りに入ったのは深夜1時半過ぎであった。

 

その翌日つまり今日、中部空港から四国の松山に飛ぶ予定を組んでいた。
堀田歯科が始まるのが午前9時から、飛行機は11時25分発。
ぎりぎりだが何とかなるだろう。
インプラントは異常があった時に治療が遅れると台無しになってしまう。
インプラントが取れたらもう打つ手はない。後は入れ歯があるのみ。絶対にいやだ。
どうしても、私は、堀田先生の病院に行かねばならないのだ。

 

病院は守山区という名古屋の一番北にある。
名古屋高速で南から北へ名古屋を縦断しなければならない。
空いていれば35分から40分。
それでも余裕を見て8時前に出発した。
もっと早く出ても良かったのだが、
顔を洗った時、どうしてもシャンプーをしたくなってしまったのだ。
それでもまだ大丈夫なはずだ、
知多半島道路を順調に走り名古屋高速に入る。
その入り口の電光掲示板には“渋滞情報”はなかった。
ところが、3分ほど走って料金所に着いたら「1km先から事故渋滞、6km」と出ている。
ほんの今の今、出た渋滞情報なのだろう。
「1km先から・・・」と書いてあるが、料金所を抜けた所からもう車が詰まっている。
まずいな。と思いながらも進むが、ノロノロではあるが意外とペースよく行ける。
これならっ、と思ったが、堀田ICでみんなどんどん下りている。
それで、ここまでのペースが割りと速かったのだ。
その向こうはほとんど車が動いていないように見え、私もこのICで下りることにした。

 

渋滞の時、バックミラーを見たら、
たぶん、若き女性が、手鏡を見ながら“マスカラ”を着けはじめたのだ。
「おいおい、追突してくるんじゃないぞ」
渋滞の中で、でも割とスムーズに進む中で、
私はブレーキをかけるたびに、
あいつが、てめえのマスカラに気をとられて
私がフレーキをかけたのに気がつかなかったら、クラクションを鳴らそうと、
ずっとクラクションに手をかけたままの私はアンラッキーであった。

 

 

下の一般道は名古屋高速から降りてきた車もあって、かなり混んでいたが、
それでも上を走っているよりは確実に速いような気がしたが20分はロスしただろう。
そこからは渋滞が終わっているだろう事故現場地点をNAVIで確認した上で、
次の高辻ICからまた高速に登った。
高速代750円を2回払うことになるので損は損だが、とにかく時間がないのだ。
そのあとも、今日は車が多くて制限速度とあまり変わらないスピードしか出ないのは、
最近、大型トラックが追い越し車線からちっとも出ないようになって来た気がする。
それでも、堀田歯科医院には9時10分に到着。
急いで受付を済ませたが、それから30分ほど待つことになった。
やっぱり遅れた10分が効いているのだろう。当然である。
治療が始まったのが9時40分。
治療は、相変わらずのハヤワザである。
分かりやすい説明をしてくれながらかなりの治療をしてくれたのは、
やっぱり無理してでも来て良かった。大ラッキーである。

 

堀田歯科さんを出たのは9時55分。
飛行機の最終チェックインまで1時間と10分ある。何とか間に合いそうだ。
(最終チェックインは出発の20分前まで)

 

やけに混んでいる一般道で名古屋高速の黒川ICまで行き、高速に乗る。
名古屋高速の南行きは、1年以上前の工事で車線が変更されてから
東新町ICから堀田ICまでいつも渋滞が出来、非常に不便になった。
今日の混み具合はどうだろうと思いながら東新町ICに近づくと、IC手前から渋滞だ。
ここまで混んでいるのを見たのは初めてである。このままでは絶対に間に合わない。
しょうがなしに東新町ICでいったん下りることに賭けた。
20分以上のロスである。

 

ICを下りたところの信号は「青」が非常に短く、
2回信号待ちをしたところで、今度の信号では渡れるなと思ったところ、
隣の車が急に割り込んできて、ちょうどその車の前で信号が「黄」になった。
そうしたら、ずうずうしく割り込んできたくせに信号だけは守るのか、止まってしまった。
おかげでもう一信号待つことになり、3分のロスである。

 

下の道も混んでいた。
渋滞は堀田IC前までと解っていたので、その手前の高辻ICで乗ろうと思っていたら、
こんなときに限ってETCの工事をやっていて、料金所に車が並んでいる。
NAVIを見たら「あと1.7kmで堀田IC“出入り口”」と出ている。
「堀田ICに入り口があったかな?」と思いつつ、
NAVIを無視して今までろくなことはなかったので、
「あと1.7kmなら、そこまで行ったほうが早いな。」と考え、高辻IC入り口を通過した。
それから入り口まであと300mとNAVIに出ているところまで進んだが、
入り口などあるわけがなかった。
NAVIの間違いである。
「あちゃ~」と思いながら、次の呼続IC入り口まで混雑している一般道を進む。
5分は間違いなくロスしただろう。

 

呼続ICから乗った名古屋高速は、それでも制限速度以内で行列であった。
「あ~~、こりゃ間に合わんな。」とつぶやきながら、
名古屋高速から知多半島道路に入って、大府ICで下りる。
アイ・タック技研の本社は、大府ICのすぐ脇にあるので、
ここで、一人を拾った。
(帰りは飛行機ではなく新幹線になるので、空港に車を置いていけないため)

 

私はここで、もう半分以上あきらめていたので、
ついでに小用に行った。
「案外このトイレが命取りになるかな?」と言いつつも、
トイレまで走らず歩く。
もうあきらめていたのだ。
堀田先生の病院を出て以来、まったくアンラッキーの大行列である。

 

知多半島道路に入ると、やっぱり混んでいたが、
妙にスムーズに走れる。
「これは?」と思いつつ、空港への連絡の高速に入ったら、ガラガラだ。
ここは一発勝負するか。
ガラガラの高速をちょっと飛ばした。
そこからきっちり5分。
空港の降車口についたのは、最終チェックインの時間の3分前であった。

 

そして、チェックインカウンターには1分前。
私がチェックインをしているちょうどその時、
「全日空松山行き(JALはない)○○○便は、
ただいまを持って、最終の搭乗手続きを締め切らせていただきます。」と、
アナウンスが入った。

 

ギリギリのギリギリで間に合ったのである。
絶対ダメだと思った飛行機に乗れた。
これをラッキーと言わずして何をラッキーと言おうか。

 

考えてみると、私は乗るべき飛行機に乗り遅れたことがない。
「もうだめか」と思ったことは数知れずあるが、
すでに1,000回以上は確実に飛行機に乗っている私は、今回もすれすれで間に合い、
乗り遅れたことがない記録をまた更新したのだ。
まったくもって不思議なことである。
そういう意味では、私は超ラッキー男なのである。

 

 

乗った飛行機はボンバルディアDHC8-Q400である。
あの「脚」が出なかったことのある、あの飛行機である。
しかもこの飛行機は高翼機で、エンジンナセルの後部から脚が出るのが窓から見える。
ちょっとドキドキものだが、
しかし、松山空港の手前の着陸何分か前、
しっかりと私の目の前で、しかも力強く“脚”は無事出たのであった。
ラッキーっである。

 

 

波乱万丈の末に無事松山に到着した私は、
先に着いているはずの田中君を探したが、いなかった。
トイレでも行ったのかな。と思い、携帯をかけたら、「あのー、実は・・・・」
ずいぶん元気のない田中君の声が聞こえた。
彼は何を間違えたのか、「松山」ではなく「高松」の空港に降りてしまったのだそうだ。
松、松、違いである。

 

「はぁー、高松?」
腹が立つには立ったが、あまりにものバカバカしさに、笑わずにはいられなかったのは、
ラッキーか、アンラッキーか。

 

 

伊予から西条に向かう高速で見た雪を被った石鎚山。
初めての光景であった。これは明日のラッキーの証であろう。

 

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    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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