谷 好通コラム

2008年02月02日(土曜日)

1837.弱いから被害者、ではない

交差点を左折や右折する時に、
横断歩道にすごいスピードで自転車が飛び出すことがある。
よほど注意をしていても、
特に夜なんかはその存在が分かりづらく、
ドキッとしたことは一度や二度ではない。

 

横断歩道を突っ切る自転車とそれを横切る自動車では、
自動車が強者であって、自転車は弱者であり
ぶつかって事故にでもなれば、文句なしに自動車の過失になる。
弱者保護が道交法の基本であるからだ。
だからといって自転車でスピードを出して歩道を走り、横断歩道に飛び出されると、
それを予測していても気が付きにくい状況もあって、
車を運転する機会の多い私としては、
自転車にも注意義務があってしかるべきではないかと思う時がある。

 

事故が起きた時それがどんな状況であったとしても弱者が被害者であって、
強者が加害者であるとは限らないはずだ。
それは歩行者と自動車の関係でもそうだ。
弱者はどんな場合でも被害者になるのだから、
弱者である歩行者であり自転車は、どんなことをしても良いと思っている人が多い。
信号無視をしようと、渡ってはいけないところを横断しても、
自動車が迫ってきても、
「轢くなら轢いてみな。轢けばとにかくそっち(自動車)が悪くなるんだからね。」
なんて感じで、全く悪びれる様子がない。
「弱い者は何をしてもいい。何かあれば、必ず強い方が罰せられるのだから。」
弱い者=被害者=善。
強い者=加害者=悪。
というような論理が、まかり通っているような気がする。

 

弱者=善ではない。ましてや強者=悪ではない。
弱者は弱者として社会から保護されるべきであるかもしれないし、
そういう社会であって欲しいとも思う。
しかし、だからといって弱者=善とはならない。
弱者だから何をしてもいいという論理がまかり通るのはおかしい。
強者は弱者を保護すべきで存在でなくてはならないとは思うが、
別に、強者=悪とはならない。
それとこれとは別の問題である。

 

お互いに気をつけ合い、お互いに譲って、
事故などでお互いが不幸にならないようにしなければならない。
それが弱者と強者のあるべき関係ではないか。

 

しかし、弱者は弱いからいつも被害者であって、
加害者が悪であって、被害者は善であるという意味で、
弱者が強者に対して圧倒的に強くなっている逆転現象がある。
被害者は加害者に対して何をしても、何を言っても許されるかのように。

 

 

男と女では、男が強い。はずだが、
最近はどうもそうでもないようだ。
夫と妻が、奴隷とその飼い主のような関係を感じることがあるのだ。
男は働き、妻と子を養う。のではなく、
男は働き、妻はその報酬を取り上げるために、夫を飼っている。
そんな関係と思わせられるような夫婦を見ることがある。
そこに共通してあるのは、妻の被害者意識。
「男が働くのは、男の方が強いのだから当然であって、
でも、夫の収入が少ないから、私は欲しい物が買えず、友達よりも惨めな生活をしている。
夫の収入が少ないのは、夫が能無しであるか給料を少ししか出さない会社がせいだ。
給料が安いくせに夫は仕事ばかりしていて自分たちにサービスもしない。
自分たちはその被害者だ。
だから、夫が得た報酬は全部取り上げるのは当然だ。
妻が持っている夫に幸せにしてもらう権利が実行されず
こんな惨めな生活をしている私たちは被害者であって、
夫は妻と子供を幸せにする義務を持っているのに、それを実行しないのは罪悪であって、
夫も会社も悪い加害者だ。」
そんな価値観を持って、
お互いに不幸な関係になってしまっている夫婦がいる。

 

権利意識と被害者意識の塊になっている妻は本質的に不幸であって、
被害者は、被害者であること自体がすでに不幸である。
幸せとは、
お互いがお互いを支え合い、
思い合うことから得られるものであって、
一方的に”してもらう”ことを要求して得られるものでは、決してない。
なのに、要求して得られないことで自分を”被害者”にする人は、
どんな男とも、幸せになることは出来ない。
その元になっている物欲とは際限なく、無限の欲望だから。
一方的な権利意識と、被害者意識とは
残念ながら、根源的に不幸になる根本的な要素であるから。

 

 

私のよく知っている男で、
その男は極めて仕事の能力が高く、みんなの尊敬を集め、立派な報酬を得ている。
しかし、どういうわけか、その妻はいつもその男をののしり、
「あんたみたいな男と一緒になったから私は不幸になった。」と怒鳴り続けた。
そのたびに、信じられないことに男は泣いた。
たぶん、あまりにも情けなくて、情けなくて、泣いたのでないだろうか。
その不幸な夫婦が離婚したと聞いたのだ。
いつまでなのかは知らないが、
男の給料の総額の半分を元妻に払い続けることを条件に。

 

私はそれを聞いて「ホーっ、それは良かった。」と言った。
これで、あの男は泣きたくなるほどの不幸から開放されることになったのだ。
幸せになるチャンスが出来たことになるのだ。
給料の半分を取られたって(総額の半分だから実際は手取りの2/3)、
そんなものはどうにだってなる。
連れ合いから、
自分は被害者、あんたが加害者と言われるほど男にとって不幸なことはない。
そんな泥沼のような、
救われることのない不幸から脱出することが出来るのだ。
まるで、奴隷がその飼い主から解放されたように。

 

 

こんな不幸な関係にある夫婦がそんなに存在するとは思わないが、
稀ではなくなってきているような気もする。

 

本来、家族は無条件に素晴らしいものである。
お互いがお互いを支え合い、思い合いさえすれば。

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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