谷 好通コラム

2007年09月01日(土曜日)

1720.自己を否定する力

小さな子供は新しく与えられる刺激をすべて吸収する。
何をしたらほめられて、何をやったら叱られて、どうしたら痛い目にあうか、
すべてのことを吸収し学習していく。
「三つ子のたましい百までも」と言うが、
この時期に本能的に学習したことが、
その子の躾(しつけ)の基として体の芯の部分に染み込むのだろう。

 

それが歳を重ねていく間に、
親のやることをすべて見ることによって学習し、
つまり、親の生き様が一つの標準となり、
その上で、子供同士や他の大人との関係の中でたくさんの経験を経て、
その人の基本的な価値観が形成されていくのではないか。

 

思春期になると、今度は自我が目覚める。
孤立への不安の裏返しとして、
みんなと同じであろうとする欲求と、
他人とは違う自らの存在を、自らが持っている価値観と照らし合わせながら、
自己としてのアイデンティティーを求める欲求が
葛藤する時期なのであろう。

 

高校生を見ていると
制服をわざわざ崩して着ているのだが、
その崩し方がみな同じであることが
枠の中に閉じ込められることを嫌っている割には、
みんなと同じことをやっているというある意味の滑稽さを表している。
特に世界的にも唯一と言える女子高校生のパンツすれすれの超ミニスカートは、
それが自己の価値観と多くの子達において合致しているとは思えず、
いやだけど、みんながやっているから自分だけやらないと仲間はずれになるからと言う、
滑稽さを通り越して痛々しさを感じる。

 

社会に出ると、
今度は自分の行動の一つ一つがすべて自分へ跳ね返ってくることに
驚きを感じると共に、
一人前に扱ってもらえているという自立の感動を覚える。
その過程で、一人の人間として自立していく。

 

そして自立するということは、
自己責任を持つということであり、
他人への思いやる気持ちを持つということであることを学習する。
他人を思いやり大切にすることが、
正常な自立の条件であることを多くの人が知っている。
他人を大切にしなければ、世の中の人にも自分を大切にしてもらえないことを知る。
他人を自らのこととして考える力。その力を持ってこそ大人と言える。

 

しかし、ここで大人への脱却に失敗すると、
依存心だけが高くて、自己責任の概念を持たない精神的に未熟な人間が出来上がってしまう。
自身の中に自己責任の概念を持っていないということは、
自己中心的な価値観しか持っていないということであって、
犯罪者の多くがそうであるように、
他人の痛みを感じることが出来ず、他人に対する思いやりも持てないということ。

 

もちろん、ほとんどの人は正常な精神的な発育を経て、
自己の持っている欲求と、他人が持っている欲求の間で、
その両方が合致する折り合いがついて、社会性をもった生活を営むようになる。

 

社会的な生活の中で、
失敗に懲りたり、
成功体験を繰り返したりして、
その経験一つ一つによって、より深く学習されていく。

 

通常、経験は積めば積むほど豊かな人間になっていく。
しかし、
失敗に懲りた経験が強すぎたり、
もともとダメージを過敏に受ける弱さを持っていたりすると、
すべてのことに臆病な反応を示す卑屈な人生を送ってしまうこともあるだろう。
あるいは、
失敗に懲りなければならないはずの時に、
ダメージが少な過ぎると、世の中を舐めた人間が出来たりもする。

 

共通して言えることは
あるレベルまで学習して、
その人の考えうる範囲で経験にまで到達した場合、
その人は「もうすべて解ってしまった」状態になると、
新しい経験・知識を得ても、過去の経験・知識で学習したことの領域の中で判断し、切り捨て、
それ以上は学習をしなくなってしまうことが多いことだ。

 

学習するということは、
極端に言えば、今までの自己を否定し、新しい自己になることである。
「もうすべて解ってしまった」状態になると、
自己を否定する必要がないので、
自己を主張するばかりで
新しい自己になることが出来ない。
つまり、学習することが出来ないということになる。

 

そして、この時点が、その人の成長の限界点となる。

 

若くして“解ってしまった”人は、
成長の限界点を早く迎えてしまったことと同じ。
人間的に年老いてしまったことと同じことになる。

 

逆に、いくら歳を重ねても、
“まだすべてを解ってはいないことを知っている人”は、
つまり、いつでも自己否定をする力を持っている人であり、
いつでも新しい経験と知識で新しい自分になれる人でもある。
実際には歳をとっていても、若々しい柔軟な発想を持てる人なのであろう。

 

肉体的に歳をとり、老いていくことは難しいことではなく、
しかも、誰一人として逃れぬことは出来ないことである。
反対に、人間として精神的な若さを保つことは大変難しいことであるが、
しかし、自己否定の力を持ってすれば精神的な若さを保つことは誰でも出来る。

 

今の自分は現時点において最善であるが、
それをも否定する力を持っていれば、いつでもそれ以上の自分になれる。
私はまだ限界を迎えたわけではない。
まだ見切る時期が来ているわけでもない。
まだまだこの先があるし、この上がある。
自分の意思だけの問題である。

 

また新しい仲間が増えた。

 

快洗隊最大の規模になる札幌に来春オープンの快洗隊・札幌店のレイアウトが決まった。
責任者は9月末を持ってアイ・タック技研と合併するM,sカーケアパフォーマンスの西岡さん。
快洗隊初の全天候型になる。
彼からのメールの言葉に「必ず、日本一の店舗にして見せます。必ず!」とあった。

 

 

熊本出身、大阪から来てくれた浜崎(はまさき)君。
研修中である。

 

 

函館からやってきた佐藤君と、東京から森嶋君。両君とも研修中。

 

 

研修も2ヶ月を超え、今では立派に現役として快洗隊に参加している岩間君
彼も北海道・札幌からである。
新人の4人、
記録的な暑さのこの夏、快洗隊ダイエットでずいぶん痩せたらしい。

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

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