谷 好通コラム

2007年06月17日(日曜日)

1657.ドベ3でもナミダ?

決勝は午後2時30分のコースインから始まる。
コースインしてから一周ゆっくりコースを回って、グリットに並ぶ。
私のグリットはもちろん最後尾、
ドベである。

 

グリットに、昔一緒に走った事があるライターの大串さんが励ましに来てくれた。
「あとは抜くだけですから、楽しんで下さい。」
なるほど、ものは考えようだ。
バックミラーを見る必要も無く、
ただ、ただ、前を見て、前の車を抜く事だけ考えればいいわけだ。

 

やがて時間が来て、グリットからみんないなくなって
コース上には闘う人間だけになる。

 

フォーメーションラップが始まり、
先導車に従って、みんなずらっと並んで一周回る。
ローリングスタートである。
スタートに備えてハンドルを大きく左右に振りタイヤに熱を持たせる。
「どうやって抜いてやろう。」
前の車のうち2台は、予選タイム15秒台で少し遅い。
この2台を早めに抜いてしまわないと、
その前の13秒台から12秒台の常連たちに置いて行かれてしまう。

 

スタート勝負だ。

 

スタートラインを越す少し手前で、少し下がって、
みんながアクセル全開になるちょっと前にアクセルを踏み込み、
スタートライン上で前の車をごぼう抜きにしよう。

 

そう考え、タイミングを計って前の車の群れから少し下がった。
と、その時、
一斉にみんなが全速力にダッシュしたではないか。
私は、みんなより少し下がったところで慌ててダッシュするが、もう遅い。
スタートライン上でごぼう抜きどころか、
私一台だけ置いていかれてしまった。
・・・
バカである。
アホである。
私は何をやらせても、間抜けである。
私一台だけ15mぐらい遅れてスタートした。

 

すぐに1コーナー。
ブレーキングを遅らせて前に少しでも追いつくが、それでもドベには違いない。
「なにやってんねん、俺は・・」と、
ヘルメットの中でぼやきながら必死についていく。

 

2コーナーは高速で抜けて行く私の大好きなコーナー。
前の車とはもう差は無い。
続いての100Rでは、私のすぐ前の車にぴったりとつけ、
100Rを抜ける頃には横に並び、ヘアピンの進入で半車身前に出る。
まず一台、ヘアピンで抜いた。
これでドベ2になった。

 

続くバックストレートでは加速が同じなので2台目に間を詰めることも出来ない。
シケインに入るが、シケインの中は狭いのでパスは無理だ。
続くネッツコーナーでは、明らかにこちらが速いのでぴったりと間を詰めるが、
のぼりの最終コーナーは苦手で、
続くメインストレートでスリップストリームに入るところまでなかなか間を詰められない。

 

しかし2周目の100Rでは前の車が後半に少し減速するので、
1台目と同じようにヘアピンで抜こうとしインに鼻を突っ込むが、
この2台目?75は、インをがばっと塞いできて抜かせない。

 

こんな事を3周ぐらい続けているうちに、
前の方の常連達の車は、ドンドン先に行ってしまい50mぐらい差が着いてしまった。
これはまずいと思って、
ストレートでブレーキング競争を挑んだ。
220kmぐらい出ているストレートエンドで、
1コーナーに向けてのブレーキの我慢比べだ。
私はこれが好きで、いつも突っ込みは勝つのだが、
1コーナーを曲がりきれずに外に飛び出す事も多い。

 

今回もそうであった。
一旦横に並んだのだが、また、外に飛び出した。
しかし、富士のエスケープゾーンは砂利ではなく、舗装がされているので、
スピードを緩めずにまたコースに戻る事が出来る。

 

しかしこんな事を何度もは出来ない。

 

ジリジリしながらも後からプレッシャーをかけるだけで、
5周目、6周目、7周目と過ぎ、
その間も、何度か仕掛けるのだが、決まらず、
間が空いては、また詰め、
そんなことを繰り返し、
前の方の車たちとは100m以上差が開いている。

 

とうとう最後の10周目になってしまった。
10周目に入るストレートで、
サインボードを出してくれている仲間達にコブシでガッツポーズをして見せて、
絶対に、最後にこの?75の一台だけは抜こうと、自分に言い聞かせる。
(みんなはきっと、なに力んどるのか?と不思議であっただろう。)

 

それでも、100Rで詰めきれず、ヘアピンでのアタックも空振りし、
ぴったり後ろについてネッツコーナーに差し掛かった時、
前の?75が急に減速した。
それで、苦もなく抜けたのだが、突然の減速に私もびっくりして、
ちょっとコースを乱してしまったくらいだ。

 

それでも、最終回に何とか2台目を抜いて、
ドベ3でコールを切った時、
嬉しくて、ほんとにヘルメットの中で涙が出てしまった。

 

ドベ3でも、必死で抜こうとアタックした車を最終回で抜けたので、
心底から嬉しかったのだ。

 

ワンメイクレースは、本当に抜く事が大変なレースなのです。

 

たかがドベ3である。
でも、ほんとに涙が出たドベ3であった。

 

プロカメラマンの中村さんが、
私がネッツコーナーで?75を抜いた瞬間の写真を撮っていてくれた。

 

 

レースが終わってから?75のドライバーさんと話したら、
あの時、ガス欠したように急に減速したのだそうだ。

 

レース後、みんなが表彰式で盛り上がっている最中に、
申し訳ないが、荷物を片付けて帰って来てしまった。
(表彰の対象でもなかったし)
次の日の日曜日に仕事を持っている人たちばかりであったので、
一刻も早く帰路に着かなくてはならなかったのだ。

 

次回の「もてぎ戦」こそ、予選をうまく走って、
みんなのデッドヒートの仲間に入りたい。
その上で、何とか自力で入賞したい。
そして、みんなに無理を言って、表彰式にも付き合ってもらうようにしたい。
本当にそう思う。

 

帰りの東名高速は、意外なほどトラックが多かったが、
渋滞は無く、スムーズに帰ることが出来た。

 

富士川サービスエリアからは夕暮れの富士山。

 

 

夕焼けを追いかけて。

 

 

最後の休憩を浜名湖サービスエリアで

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

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