谷 好通コラム

2007年02月21日(水曜日)

1584.アメリカと日本は

日本とアメリカには色々な意味で大きな差がある。
多民族国家と単民族国家の差なのか、
絶対的な国家面積の差なのか、
はたまた価値観の違いなのか、

 

たとえば、飛行機から降りる時、
日本では降りる準備が出来、立っている者から次々に降りる。
アメリカでは
前の席の人が荷物の準備が出来るのを待ってまで譲り、
前の席の人から順番に降りる。
(中国では我先にと、前の人を押しのけても先に降りようとする。)

 

 

アメリカでは、
席とかドアなどを人に譲る事がマナーとされ、順番をキチンと守る。
日本でも順番はキチンと守るが、
先に行ける人がいれば、待ってまでは譲ることなく、
先に行くことは当たり前であるとされている。
私は、日本のやり方の方が合理的だと思うのだが。

 

アメリカでは、
車椅子に乗っているなどハンディキャップを持っている人に対して、
大変に親切で、みんなが“譲る”美徳を発揮する。
日本では、
相手のハンディキャップに気が着かないフリをする事が美徳とされ、
もちろん譲ることもするが、それも何気なくすることが親切だと考える。

 

 

宗教的な違いも大きいのであろう。
アメリカでは“隣人”という考え方があり、
日本では“世間”という考え方がある。

 

何かで読んだ事があるが、
アメリカでは、毎週、教会に行く人が国民の過半数であり、
キリスト教以外の宗教も入れれば、大多数の国民がなんらかの宗教を信じ、
宗教が生活の中に入っている一大宗教国家であることを。
アメリカでは、無宗教である事がむしろ少数派であるそうだ。

 

日本では、
正月は神社に行って、
結婚式はキリスト式で行い。
死んだら仏教式の葬式を挙げるのが一般的であり、
無宗教の人が大多数である。

 

 

アメリカでは譲ることが美徳とされている。
が、しかし、
権利意識も大変に高く、
何かあればすぐに裁判所に訴え、
特に賠償責任訴訟では驚くような高い賠償金が動く。
誰もが大会社を相手に、裁判で巨万の富を引き当てるチャンスがあるのだ。
日本では、
裁判所に訴えるということは滅多にあるものではなく、
大袈裟にしたくないという一種の抑制がある。
万が一、賠償責任訴訟を起こしても賠償額は妥当なもので、
会社側に大きなダメージを与えることもなければ、
訴訟を起こした者に巨万の富がもたらされることもない。
ただ、最近では商品の欠陥が発覚した時、マスコミがリンチのごとく叩き、
その会社の存在を危うくするような事象が多くなっている。

 

 

アメリカでの商品の販売については、
PL保険(製造物責任保険)を絶対に入るように、
日本の保険会社で入ろうとしたら、
アメリカでの保険料は、日本での10倍以上であった。
それだけ訴訟リスクが高いということであって、
商品をアメリカで販売するには、それなりの覚悟がいるということなのだろう。

 

 

アメリカでは、
地域の人、職場の人、友達、お客様、
色々な人を自分の家に呼び、彼らはホームパーティーを開く。
仕事での人間関係も、
個人の家庭と家庭の付き合いにまで実現し、
それが最高の関係である。
アメリカでは、積極的に仕事を家庭に持ち込み、
奥さんが立派にホステス役をつとめる。
日本では、
仕事を家庭の中に持ち込むことを嫌い。
外の店で食事などをしたり、ゴルフをやったりで人間関係を作り上げる。
その多くは男同士の付き合いであり、
お酒を飲む店で、プロの女性をホステスとして使う。

 

 

アメリカでは
“階層”がはっきりと存在していて、
たとえば
「チップを渡す人=中産階級以上」と
「チップを貰う人=低所得者層(たとえば移民)」に別れている。
可能性という意味では平等だが、
スタートする時点で、かなりのハンディキャップを背負う人たちが多い。
日本では
見事にスタート時点でのチャンスの平等が与えられていて、
誰でも、自分の努力と力次第で、何でもできる。

 

日本の社会は格差が大きいと、テレビなどで話題になっているが、
私は、逆に日本ほど格差の無い国はないと思っている。
どんな日本人でも、
すべて平等のチャンスがあり、
日本では、「本人次第」の他に
最初からの社会的ハンディキャップとしては何も存在していない。
日本ほど平等機会が保障されている国は無いだろうと思うのだ。

 

 

車をきれいにする習慣があること自体は同じだが、
アメリカで洗車やディテールを行なっている人は、
低所得層の人達、ロスならばメキシカンが中心であり、
主に白人のアメリカ人(中産階級以上)は洗車をさせる方である。
金持ちが貧乏な人に車を洗わせているという構図である。
アメリカの低所得層と中産階級以上では、
その所得が、埋められないほどの決定的な差がある。

 

昨日のデモも、普段はメキシカンがディーテールを行なっている場所。

 

 

日本では、
もちろん同じ日本人が、同じ境遇の日本人の車を洗い、磨いている。
洗うほうも、洗われる方も、基本的に所得と待遇に差があるわけではない。
だから、みんながプライドを持ってその仕事をする事が出来る。

 

これはかなり意味が違う。

 

 

アメリカ人は車をよく洗う。
トニーが言うには洗う回数が多いそうだ。
何故そんなに洗うのかと言えば、
「たとえば会社の駐車場に車を止めた時、自分の車が汚かったら、
それを見た会社の同僚たちが『汚いッ』という不愉快な感情を持つ。
それは申し訳ないことなので、汚れたら洗う習慣がついている。」だそうだ。

 

ほお~っと思った。
「我が隣人が、汚い我が車を見て、不快感を持っては申し訳ないから洗車をする。」
こんな発想は、思いつきもしなかった。

 

 

たくさんの意味で違うアメリカと日本。
日本で支持されたものが、そのままアメリカで通用するものではない。
我々の洗車やコーティングのメリットをもって、
何をどうしてアメリカでの位置づけを作り出して行けばいいのだろうか。
帰りの飛行機の中、しばし考え込んでいる。

 

日本にいては出来なかった発想が生まれてくるような気がする。

 

 

18日の午後、成田空港から発って、
18日の午前中にロスに着いて、(日付変更線の関係で日にちが戻っている。)
19日に、大きな客先で仕事をして、夕方にはすべての仕事が終わった。
20日の午後一番の飛行機でロスを発ち、
21日の夕方、成田空港に着く。

 

正味4時間余の仕事の為に、丸四日間を使った。
何とも効率の悪い仕事である。
しかしアメリカは、日本とはあまりにも事情が違い、スケールが大きい。
一つのビジネスが作り上げられたら、
それはとてもスケールの大きな事になるであろう。
今の無駄が将来の大きなチャンスに結びつく可能性があるのだ。

 

日本ではやらなくてはならない事が山積し、
いずれも、たくさんの人たちが関わっている大切な仕事だ。
先日、今年のスーパー耐久レースを一緒にやって行く会社の社長から、
「海外は、日本国内がしっかりしてからの話だよ。」との、ご助言をいただいた。
「日本での仕事が何もキチンと出来ていない状態で、
何のための海外のビジネスか。」という意味だ。

 

おっしゃることは十分解るのだが、
それでも日本国内だけを見ていると、
自分の発想が小さくなってしまうように思うのです。

 

私たちの仕事は、発想が一つの大きな要素なのであり、
いつも感覚を新鮮にして置かないと、
新しい時代の方向が見えなくなってしまったりするのです。

 

今日が昨日と同じでは、
明日も今日と同じになって、
いつまで経っても同じで、
それでは自分が腐っていくような気がするのです。

 

だから仕事的に自らの感覚をリフレッシュするという意味も大きいのです。
この四日間を有意義にするか、無駄にするかは、
私自身の問題なのでしょう。

 

アメリカの自動車屋さんはスケールがでかい。
これ全部、新車納車待ちの車だそうだ。

 

 

成田行きのシンガポール航空のジャンボが飛び上がったのは午後1時過ぎ、
帰りは偏西風が逆風になるので、
11時間半ほどかかる。

 

日本に帰る。

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

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