谷 好通コラム

2007年01月20日(土曜日)

1556.会社を立ち上げる

(この話は、17~19日に書いたものです。)

 

私が事業を立ち上げたのは22年と4ヶ月前。
築20年経った古いガソリンスタンドを借りて、スタンドを経営し始めた。
その店は、メインがダブルの計量器が2基だけで150坪の小さな店であり、
家賃も20万円くらいと安かった。

 

そのころ世は高度成長期で、いわゆる人手不足の時代。
始ったばかりのちっぽけな会社に若い労働力が就職してくれるわけもなく
事実上、最小限の二人だけの運営となった。
固定費は20万円プラスα、人件費は自分とその家族とアルバイト。
出費は最低限。
元々、前の運営者の時からガソリンの販売量がかなりあった上に
色々と企画して販売は順調に伸びて、
予定よりもかなり多い売り上げがあった。

 

最低限の出費に、予想以上の収入で、
収支はもちろん黒字。
独立するまではかなり苦労したが、
事業を起こしてしまえば、
簡単に黒字経営が出来、それが当たり前であるような経験をしてしまった。

 

中古のスタンドを借りた時は、そのままの店舗で運営を始めた。
イス一つ新しい物を買わなかったのだ。
それまで前の運営者が、そのままの状態で運営できていたのだから、
何か新しく何かを買う必要性を全く感じなかったし、
前の運営者が大切に使っていた物を捨てるのは勿体なくて出来なかった。
出費は家賃と水道代、電気代だけである。
あとは自分たちの給料。
給料もいくら取ればいいのかさっぱり分からなかったので、
サラリーマン時代の給料そのままの金額に少しだけ足したものを取った。
多分、二人で50万円くらいであったと思う。
それにアルバイト君の給料が10万円くらいで
出費は合計で80万円そこそこ、
これでガソリンと軽油を計200Kl、冬になれば灯油があって、
燃料以外のオイルとかタイヤ販売などで100万円の利益があった。

 

だから、約300万円の粗利益に対して、100万円余の出費であり、
多少の企画費が加わっても、運営純利益が200万円程度となり、
夢のような経営であったのだ。

 

当時、家を買った借金が1,000万円ほど残っていたのだが、
商売を始めて7ヶ月目に全部まとめて返済をしてしまった。

 

一時、商売とはこんなに儲かるものかと私は有頂天になった。

 

それから欲が出て、2軒目の店舗が欲しくなって
紆余曲折の末に土地を買ったのだが、
そこからが大変。
新しい店を作るのだからと、つい欲張った建物を建てた挙句、
あれも欲しい、これも欲しい、これもあった方がいいと、
新しい物を次々と買った。

 

まだ、新しい店からの収入は全くない。
たちまちお金が無くなって資金繰りが詰まってきたが、
開店にこぎつければ何とかなると、出費を続けた。

 

しかし店舗を建築してから1年間は、
そのころの法律との関係で、
ガソリンを販売することが出来ず、
洗車とコーティングだけでのオープンとなった。
しかし、高い授業料を払って身につけた特殊なコーティング技術も
時代が早すぎたのか、なかなか買ってくれる人が少なく、
広告宣伝を打ち続けないと売れない。
売り上げはまあまあであったが、広告宣伝費がかさんでそんなに利益は出ない。
しかも、2軒目の店なので身内だけの運営ともいかず、
何人かを採用し、社員を何人か抱え込んでいるので、
その店単独での収支は完全に赤字であった。

 

その赤字を1軒目の店の黒字で埋めたのだが、
それでも足が出る。
何とか頑張って運営を続けるのだが、一時は本当に倒産の危機があった。

 

きわどい経営で綱渡りしているうちに1年が経ち、
2軒目の店舗でもガソリンの販売が出来るようになった。
やっと、洗車とコーティングに特異な技術を持ったガソリンスタンドとなったわけだ。

 

ガソリンの販売は集客力がすごい。
洗車とコーティングだけで商売をしていた1年間は、
一日に数人のお客さんしか来ず、雨の日はゼロの時もあったぐらいだったのが、
ガソリンを売り始めた途端、
一日に何十人、土日には百人以上もの来店がある。
たったひと月70Klほどのガソリンの販売で、である。

 

その大勢のお客様に、
それまで蓄えた技術を活かして洗車とコーティングを販売した。
コーティングもそれまでのような丸1日車を預かって1台数万円もするものだけでなく、
給油に来たお客様が「待っている時間」で出来、
数千円で買えるような簡単なコーティングの仕組みを作った。
(この時の発想が今のKeePreの原点である。)
これはお客様に受けて、
その年の12月には405万円の洗車売り上げ(コーティング込み)を記録し、
一挙に収支が好転した。
倒産の危機を、奇跡的に切り抜けたのだ。

 

その時に2軒目の店長であったのが今の谷専務。
もう一人のスタッフと二人だけでの記録であった。
(一人当たりの洗車売り上げとして、いまだに破られていない記録である。)

 

それから、その技術と販売手法を他のスタンドの人に紹介をしたり、
材料や機器を提供したりし始めて、
すぐにオリジナルのケミカルを開発し全国展開を経て
KeePreの体制が出来上がりはじめた。
それからアイ・タック技研という会社を新たに作って、
14年後が今現在である。

 

あの時、
2軒目の店舗を作った時に、
もうちょっと余分に無駄な出費を重ねていたら、
間違いなく倒産していた。
それぐらいギリギリの綱渡りをした時期があった。
もうちょっと無駄遣いをして倒産をして、あの時、会社が無くなっていたら、
KeePreもこの世に無かった事になる。
この車をきれいにする会社が17年程前に倒産しそうになった時、
危機から救ったのは、ガソリンスタンドという商売の凄まじいまでの集客力であった。

 

思い出してみると、
資金繰りがきつくなってきた頃、
私は資金計画、経営計画をするのがイヤだった。
夢のある楽しい数字など出てこないし、
倒産を予想する数字が出てくるのが怖かったからだ。

 

だから、
資金繰りが厳しい時なのだからこそ
なおさら細かい資金計画を組まなければならないのに、
その一時期、
どんぶり勘定、行き当たりばったりの経営をしたことがある。

 

それでも、月末の支払いの日近くになると
ありとあらゆる資金繰りをして切り抜けたのは、まさに奇跡に近かった。
自分の生命保険を担保にしてまでお金を都合したし、
カードローンも少しだが使った。
正常な資金繰りとは到底言いがたい危機的状況である。

 

そんな倒産の危機から事情が一挙に好転したのは、
たまたま、その時に作り上げたものがお客様に売れただけで、幸運でしかない。

 

あの時の教訓は、強烈に残っている。
「いくらの収入があるか解らないゼロ時点で、お金を使い続ける事の怖さ。」

 

収入がないまま出費が続くのは、
いかにもだらしないように思えるが、
やっている本人はそんな風には思っていない。
というより、
「収入が見えないのだから、
どれぐらい使うべきか、どれくらい使っていいかが全く見えない。
だから、使い過ぎているのかどうかも見えていないのだ。」

 

どれくらい収入があるのか計画が立たないままの状態での支出は、
どの程度が適切なのか、どこまでが限度なのかも見当がつかない。
良かれと思った支出も無駄であることが多い。
適切であると思って造ったものも、いざ商売が始まると不要であったり、
不適切であって、作り直さなくてはならないものもあった。
それより何より、
買うこと、造る事に忙しくて、
肝心のしなければならないことが疎かになることだ。
「有った方がいい。」=「無くてもいいかもしれない。」

 

私のこの危機の経験は、
KeePreの原型がスタンドのお客様にヒットして
ギリギリで倒産を回避できたことは、ラッキーであっただけだ。
この後は、さすがに懲りて、
新しいことを始めるにしても、最小限の出費で始める癖がついた。
それでも新製品を世に出す時などは、自信を持って、かなりの投資を思い切ってやる。
それとこれとは別の問題なのである。

 

会社の経営とは、実は非常に単純であって、
利益<経費=赤字。  利益>経費=黒字。
ただこれだけのことであって、
赤字は続けば倒産であり、黒字が続けば繁栄である。

 

収入がゼロの状態では、
利益(0)>経費=黒字。とは成り得ない。
この時点ですべきことは
「一刻も早く赤字から脱することと、その間、出費を最小限にとどめること。」
経費が小さければ小さいほど、
利益が出始めてから黒字になるのが早いし、
(これを単月黒字、タンクロという。)
赤字が蓄積する期間を短くして累積赤字が大きくなることを防ぐ。
累積赤字が少ないほど、
タンクロ状態になってからの累積黒字になるまでの時間が短い。

 

 

 

私は独立してから今まで、若者が独立するのを何度か援助したことがある。
成功した者もいるが、しかし、失敗に終わった者もいる。

 

 

最初に
社長にした若者は販売には力を充分に持っていた。
しかし、独立をしたとたんに、
サラリーマン時代の部下を何人も引き抜いて会社に入れ、
まだ全く収入も無いのに、社員を何人か抱え、派手に販売活動を始めた。
何人かの販売員が、新幹線、飛行機で全国を飛び回り、
交通費だけでも半端ではなく、
経費が売り上げ金額をも上回る異常な状態であった。

 

販売力はあったので、それなりの売り上げは出たが、
あっという間に資金繰りに詰まった。
この若者は売り上げが上りさえすればと焦り、
客先に商品のまとめ買いを頼んで、一時的な売り上げを確保した。
まとめ買いをした客先は、
そのあとしばらくは商品を買う必要が無く、
その客先の次の月の売り上げは激減し、
今度は違う客先にまとめ買いを、特別値引きを付けて頼み込む。
一時の売り上げを得るために
客先へのまとめ買いを頼むようになったら、もう末期症状で、
急激に経営は悪化して、
私はまもなく、その社長に退陣を要求する事になった。
不本意ではあるが、私がその社長になって経営をする事にした。
一時は本体であるアイ・タックの経営をも脅かすようなひどい状態であったが、
その会社も、
12年経った今は健全な会社になっている。
何をやったのか、
利益<経費=赤字 から、
利益(小)>経費(ほぼ0)=黒字の構造にしただけで、
従業員ゼロで人件費ゼロ、活動費ゼロ、すべてゼロで荷送り費だけが少々。
こんな状態で何年かはかかったが、今では立派な黒字会社に変身している。

 

また、ある時は
働き者で有名であった若者の独立を助けたことがある。
働き者の若者は一年に元旦の一日だけ休むだけで、
年364日ずっと働き続けた。
独立当初、会社は利益を上げていたが、
彼は経理が全く苦手で、
石油業界全体の状況が変わった頃
今まで通りの経営で赤字が出てしまっている事に気が着かず、
資金ショートする直前まで自分の会社は黒字であると思いこんでいた。
働き者ではあったが、経理的感覚が欠如していて倒産した。

 

また、ある会社は、
売り上げが思ったように伸びないのに、
最初に予想した売り上げに見合う人数のままダラダラと経営を続け、
赤字経営なのに、出費を減らす努力はせずに、売り上げを伸ばすことだけを考えて、
支出はむしろ増える一方、
またたく間に経営に行き詰った。

 

また、ある会社は、
この会社と同じようなテツを踏みそうになったので、
一番給料の高い社長に外で稼いでくるように提案したら、
社長を交代する結果となり、新しい社長は何ヶ月かで黒字転換して合流した。

 

 

私は私で、私なりに学習して、
ゼロから立ち上がれない事態にならないように導いたつもりなのだが、
“お金を使う仕事の忙しさ”にハマり込み、
立ち直りきらないまま自滅していった会社が続いた。

 

しかし、その泥沼から這い出して自力で生き返った人もいる。
ある時、素晴らしい能力を持った人が独立した。
しかし、独立してから店舗が動き出すまでの空白の時間が長すぎて、
いざ店舗か動き出す時には債務超過寸前となり、
それから、血のにじむような努力をして、
抑えるべき経費は抑え、
努力を重ねて、ようやく通年で黒字を出せるようにまで発展したが、
スタート時の収入ゼロの時の赤字がやはり重く肩にのしかかっている。
「最初の頃、あまり考えずに使った10万円が(収入がゼロの時なのですべて赤字になる。)、
黒字でそれを埋めていく時には、使った時の100倍の重さに感じる。」

 

私が独立してしばらく経った頃の倒産の危機に似た経験を持った彼は、
経営者として素晴らしい財産を得た事になる。
これからの大きな飛躍をするに違いない。

 

また、ある会社では、
資金的にだけではなく、
経営的にも自立して、
私たちの会社から飛び立っていこうとしている会社もある。
まだ、ハラハラの状態ではあるが、自助努力で頑張っていくのであろう。

 

また、ある会社では、
独立して、自分の思うがままに経営するも、
社員は自分一人だけの状態を続けて、最小限の収入ではあるが最小限の費用で、
無事に経営を続けている者も二社いる。

 

また、ある会社においては
5年前に独立した時の10倍以上の規模になって、
優秀な実績を持ったまま、凱旋のように合流する会社もある。

 

素晴らしい能力を持った会社に新に出資して、
協力関係を持ち始めた会社が一社。

 

最後に、
活動を始めたばかりの会社が一社。
収入がゼロの状態を、どこまでの出費で食い止めて、
どこから収入が出始め、どの時点でタンクロに入って、
収入ゼロの時代の荷物を解消し、累積黒字の段階に入るか。
そして、どこまで飛躍し、どこまで伸びていくのか。
経営のバリバリのプロのお手並みをワクワクしながら見つめている。
楽しみでしょうがないのだ。

 

会社を立ち上げるの応援して、かれこれ11社。
「2社勝ち、4社敗け(のち敗者復活で2社勝ち)、2社分け、3社ただ今勝負中」
なんて感じか?
アイ・アック技研と、創業の?タニは一応黒字なので勝ちと考えれば、
トータル6勝2敗2分け3勝負中。

 

会社を立ち上げるのは面白い。
会社立ち上げるのを応援するのも楽しい。
いずれも無限の可能性があり、夢を持っているからだ。

 

 

 

一昨日は広島で60名の方に、今日は福岡で、
130人もの方々に集まっていただき、セミナーを行なった。
3時間のセミナーは、
頭のてっぺんから足の先まで疲れ切るが、
たくさんの方の期待に応えることが出来れば、こんなに幸せなことは無い。
会社を興して以来ここまでやって来れたことを、しみじみをありがたいと思う。

 

 

福岡からの帰り、
初めての飛行機に乗った。
ボンバルディアDHC8-400
この飛行機については書きたいことがいっぱい有るのだが、
もう日付が変わってしまっている。
明日もある。もう寝よう。

 

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    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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