谷 好通コラム

2019年03月29日(金曜日)

3.29.世界を飛び回って、ただ、私は面白かっただけだった。

ここ何日かを仕事で忙しくさせてもらっていると、
自分の体があまり動かせなくなっている事をしみじみと感じる。
その分、新しく社長になった者が、
日本全国を飛び回っていると、それが一番強力な営業である事も分る。

 

多くの創業者がそうであったように、
私もこの会社が一番の拡大期であった時期には、
もう、自宅にはほとんど帰ってこないくらい日本国中と世界を飛び回っていた。
しかし、今考えてみると、
一番ダイナミックに動ける時期に、
私は中国に70回と、アメリカに20回ぐらい、
途中のヨーロッパも入れると100回以上も海外に出張して、
自らの足で営業して回っていて、
世界一周も本当にやったぐらいだ。
海外主張が楽しくって仕方がなかった。

 

しかし、結果的に、中国では何の足跡も残せず、
アメリカでも失敗して、海外での活動はことごとく失敗して、
あらゆる意味において無駄となった。
唯一成果があったのは、中国で「快洗Taoる」を開発し調達出来た事ぐらいだ。
動いているばかりちっとも成果が得られなかった時期のある時、
アメリカのロスのホテルでふと、
「うちへ帰りたい」と猛烈に強い思いに襲われて、
このまま頑張っていてはだめだと、
これ以上頑張ってはダメだと強烈に思って、涙が止まらなかったことを覚えている。

 

それで、ピタッと海外に出張することを辞めて、
私は、ひたすら日本国内を駆け回ることにした。

 

ちょうどKeePer PRO SHOPが出来た頃で、
第一回のキーパー選手権から、
毎回、「キーパープロショップ研修会」を開いて、
私自身が講師となって、日本全国をくまなく回って、
一会場に数十人から多い所では300人の聴衆に対して、
プロジェクターで手作りのパワーポイントを映しながら、2時間ぴっちりと、
叫ぶような大声でKeePerの必要性と、お客様が待ってくれていること、
売るよりまず技術が重要な要素で、
しっかりと技術を身に付けて、品質の高いKeePerを提供すると、
無理して売らなくても、自然とお客様の方から求められるようになる。
そんなようなことを、
毎日毎日、日本国中の会場で話し続けた。

 

一回の選手権に伴う研修会でたぶん15会場くらいで話した。
来られた人が何人くらいであったのかは
全くデータを取ってないので判らないが、少ない時でも1000人は超えていた。
それを8月と12月の選手権、年二回やって、
一時期、春もやった。
研修会だけでなく、選手権が終わると勝った店舗にインタビューに回る。

 

あの頃から、KeePerの普及は急速に進み、アイ・タック技研は急成長した。

 

極端な言い方をすると、
KeePerは、私が世界に出て行かなくなって、
日本の中でそのエネルギーを発揮するようになってから急成長した。

 

私が、世界を飛び回って無駄なことをやっていた時、
まず先に国内をもっと一生懸命にやっていたら、
KeePerはもっと早く、もっともっと大きくなっていたはずだ。
否定的に言うならば
世界を飛び回って、ただ、私は面白かっただけだった。

 

 

 

会社の近くにある「吉田小学校」の「入学式の桜」がちょうどタイミングよく咲いた。

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

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