谷 好通コラム

2006年02月25日(土曜日)

1351.勇気をもらう上海

上海に初めて来たのは3年前か、あるいは4年前か、
いずれにしても、もうかなり前のことである。

 

まだはっきりした将来が見えないままで、
一体この何年か何をしてきたのだろうか、と疑問を感じることがある。
とは言っても、
輸入は「快洗Taoる」と「ラ・モップ?」を、良い品質で、
しかも製造工場との直接取引きで順調に行われており、
年間一億円クラスの取引にまで成長したので、これはこれで大きな成果である。
しかし、輸出においては、
キーパーなどの普及は未だ一部に限られていて、
売上も通算で数千万円にとどまり、
決して順調とは言えないのが現実だ。
何年かの間に何人ものスタッフも失った。
そのことについても、大きな悔やみが残っている。

 

中国については何度もあきらめようとした。
この国の得体の知れないどろどろとした仕組みに嫌気が差し、
本気で嫌いになったこともあった。
しかし今、以前とは全く違った体制で上海での再スタートを切った。

 

上海に初めて来たきっかけになった頼さんを、
上海事務所の所長として迎え、
日本語が話せて交渉上手、正義感が強く一生懸命さがすごい張さん(リリアン)と、
洗車とキーパーの技術がしっかりしていて無口だけど度胸満点のユウさん。
この3人を上海の前線事務所に置き、
アイ・タックのラフプーチンの異名を持つ酒部部長を本社責任者として、
強力な牽引力をもって中国を切り開いていく。
そんな体制を組んだ。
いまだかつてない強力な布陣である。

 

この体制の下、たくさんの事案が力強く進んでいる。
いつまでも私が出張っていてはイカンのだと、つくづく思う。

 

昨日は、上海で初めてダイヤモンドキーパーのデモを行なった。
ダイヤモンドキーパーがひょっとしたら、中国においての切り札になるかもしれない。
そう思って、日本に先駆けてダイヤモンドキーパーを紹介してみたのだ。
慣れない私の実演で、果たしてうまく行ったのかどうかは??であるが、
とりあえず反応は上々である。

 

 

新しい事務所で、新しい上海の3人のスタッフ。

 

 

新しい事務所は、豫園、人民広場、新世界などのすぐ近くで、
新しいビルが並ぶ新しい上海と、古い上海の住宅が広がるその瀬戸際にあった。

 

 

魯迅公園も近くにあって、
その周辺は、昔、日本人が多く住んでいた日本租界であったという。

 

その日本人租界のどこかでトニーは産まれたと聞いた。
上海で産まれたトニーはまもなく東京に帰って来たので上海の記憶は全くない。
でも、自分が産まれたかもしれないその地域を走る時、
目を細めながら、「僕は、多分、この近くで産まれたんだろうな~」と
すっかり古くなってしまったその景色を眺めるトニーの言葉が重かった。

 

 

驚いたことが一つ。
ユウさんが、なんと、車を運転するのだ。
運転免許を持っていたことも知らなかったが、
頼さんが自分の車を、ユウを信頼して運転させていたのだ。
上海の乱暴な車の中を慎重に走るユウさんは、決してスムーズではないが、
決してビクビクした運転ではなかった。
度胸満点で、少なくとも後に乗っていて不安ではなかった。
人は信頼するものであることを、頼さんから改めて学んだユウさんの運転振りである。

 

 

夜、みんなで上海最後の食事を楽しんだあと、
バンドーを見に行った。
その途中、「新世界」のイルミネーションがまばゆいばかりであった。

 

 

バンドーに着いて、まず、
古い上海の象徴である石造りの巨大建造物たちにトニーが「すごい!」と歓声を上げる。

 

 

当然、記念写真。

 

 

その対岸には、新しい上海の象徴である浦東地区の宇宙的ビル街。
ひときわ派手な上海タワーが、いつものように中国での勇気を与えてくれる。
もう一度、この中国での挑戦を始めよう。

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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