谷 好通コラム

2005年08月03日(水曜日)

1230.USAとEUでは

アメリカ合衆国とヨーロッパ諸国(と言ってもドイツとオランダだけ)と巡り、
グルッと地球を一周回ってきた。
10日間の長い出張であって、
日本に帰ってきて3日目、いまだに時差に悩まされている。

 

 

得たものも多く充実した出張であったが、
アメリカとヨーロッパは、日本から見れば同じ西欧であるが、
あまりにも違う国であり、
あまりにも違う国民感覚であったことを改めて感じた旅であった。
アメリカとヨーロッパを続けて訪問した事によって
それをより強く感じたことだ。

 

旅自体が、
アメリカ旅行とヨーロッパ旅行を別々にしたような気がするぐらいなのである。

 

アメリカでは、
あちらこちらで星条旗を見た。
星条旗がアメリカ人としての共通項であるように
いかにも誇らしげに星条旗が、あちらこちらに掲げてあった。
アメリカは、
白人、黒人、アジア人、ヒスパニック人、インド人とありとあらゆる人種と民族が、
星条旗の元に、同志に似た共通の想いを持って、
アメリカという一つの国を形成している。
そんな感じを持った。
「心でつながった集団」という感じだ。
ニューヨークのハーレムは黒人という一つ共通の人種に偏った文化を見たが、
そこに流れている空気は、やはりアメリカそのもののにおいがした。
いずれにしても、100%に近い人がルーツとしてよそ者であり、
外から集まった人たちなのだ。
共通して持っているものはアメリカという精神。
スピリットを強く感じるのだ。
ある意味の排他性は、敵を多く持っている国ならではの警戒心の結果か。

 

しかし、逆の意味で、アメリカはいかなる物をも、
いかなる人をも受け入れる力がある。

 

私は、トニーと彼女との、心のつながりに関わる長い話を聞いて、
さわやかであり、少なからず感動した。

 

 

ヨーロッパは、
わずかにドイツとオランダというゲルマン系の二国しか訪問していないので、
ヨーロッパというくくりは適切ではないかもしれないが、
あえて感じたことを書く。

 

ヨーロッパにも、
あらゆる人種と民族が同居しているが、
その国を形成しているのは、
圧倒的多数の元来そこに住んでいる人たちであり、
その文化も経済も元々棲んでいる人たちのものであり、
ごく一部の場合を除いて、
よそ者を真の意味では受け入れていない。
「血でつながった集団」が、その歴史と文化を根拠に国家を形成している。
そんな感じだ。

 

昔ながらの街並みが多く残っているのは、
単に地震が無く、石造りの建物なので、
古い建造物が残ってしまっているというわけではなく、
間違いなく、
歴史をそのまま残すという意思を持った、文化としての古い街並みであった。

 

アメリカよりもより明晰に感じる排他性は、“純粋”を守る意味にも感じる。
「血」を根拠にしており、家族を根拠としている。
そんな国がヨーロッパの国達である。

 

だから、ドイツとオランダでも、
わずかではあるが違う空気があったし、
まだ見ぬフランス、イタリア、スペイン、イギリス、ポルトガルなど等、
見えない国境で別れているだけでも、
明確に違う文化と、言葉と、国民性が存在しているのだろう。
EU連合を組んで、
EU国通しの関税と検閲を撤廃し、ユーロという共通の通貨を持って、
事実上、国境を撤廃してしまったとしても、
そのことは永遠に続くもののように感じた。
また、それがヨーロッパの強さの源泉でもあると感じた。

 

 

アメリカの町にも古い歴史を感じさせるものはある。
前々回行ったサンアントニオなどは、
“アラモの砦”以来400年の歴史を持っているし、
その歴史を感じさせる古い建造物も残っている。

 

それはニューヨークにおいてでもそうだ。
自由の女神の像など、アメリカの初期から創世記にかけての古い建造物が、
大切に保護されているし、実際に使われ続けている。
しかし、
それらはその町の代表的な建物たちであり、
人々が住んでいる住居は、
そこに現在住んでいる人達か、
その前に住んでいた人達が建てたものである。
古いアパートでもせいぜい100年止まりであろう。
それは、日本と同じか、それに近い。

 

ヨーロッパのように何百年に渡り、
何世代もの人々が、その建物に住み続けている住居が集まって、
古い街並みを形成していることはない。

 

 

どちらが好きか?
ただ単に好きか嫌いかだけでいえば、
今は、アメリカが好きである。
良いとか悪いとかの尺度ではなく、ただ単に好きか嫌いかだけでは、
今は、アメリカが好きである。
なぜか?などという理由はまったくない。
アメリカには、またすぐにでも行きたい何かがある。そんな感じがあるだけだ。

 

 

アメリカ人もヨーロッパ人も、日本人より肉体的に圧倒的に大きい。
背が高いだけでなく、肩幅があって、骨格自体がでかい。
だから、いずれの国に行っても、デブでチビ(相対的に)の私は、
彼等の中にいるだけで、自分が貧弱に思えてコンプレックスを感じてしまう。
しかし、そのコンプレックスは、
アメリカでは力の強さに対するコンプレックスとして感じ、
ヨーロッパでは、民族としてのコンプレックスとして感じる。
その辺が微妙に違う。

 

アメリカでは、肉体的に大きい小さいというハードの問題だけではなく、
ファイティングスピットという意味での“強さ”でも、コンプレックスを感じるのだ。

 

同じ日本人でも、
アメリカに住んで、
アメリカのスピリットを身につけたトニーは強いのだ。
そういう意味で、アメリカにはありとあらゆる物と人を受け入れる力がある。

 

※トニーは、いかなる時も一歩も引かないのだ。
一歩も引かない。

 

 

アメリカには受け入れる力がある。
道路を走っている車を見て思った。

 

ヨーロッパの道には、
圧倒的にヨーロッパの車が走っていて、
日本、韓国のアジアの車はほんのわずかであり、
アメリカ車はほとんどゼロに近い。
「フォード」のマークが入っていても、それは「ドイツフォード」の車であって、
アメリカの車ではないのだ。
ヨーロッパでは、ヨーロッパの車が走っている。

 

ドイツの“アウトバーン”では、普通に200kmで車が走っている。
“だから、それに耐えうるヨーロッパ車でなければ”という反論が聞こえてきそうだが、
ヨーロッパが、それ以外の車を充分に受け入れる体質があれば、
200km走行に耐えうる車をどの国でも作っただろうと思うし、
出来ない話ではない。

 

逆にアメリカでは、
アメリカのメーカーの車も多いが、
ヨーロッパ、アジアの車もそれに匹敵するぐらい、たくさん、バンバン走っている。
だから、アメリカの道での車種の方が圧倒的に多い。
ヨーロッパを走っている車の3倍近くの車種が走っている感じだ。

 

これは私たちの商売においても同じで、
ヨーロッパでは、ヨーロッパの製品を私たちが買うだけであって、
私たちの製品をヨーロッパが買う発想はまったくあり得ない様であり、
何度かアタックしたこともあったが、門前払い。
たしかにヨーロッパの技術はすごいものがある。
特にSONAXの開発技術力は、いつも良い方向に予想を裏切るものがあり、私達を驚かせる。
それは事実だ。
しかし、ありとあらゆる物すべてが最善というわけではない。
それも事実だ。

 

アメリカでの技術も最先端であり、素晴らしいものがある。
しかしそれでも、
アメリカと製品を私たちが買うことと同じように、
私たちの製品をアメリカの企業が買うというレベルでの話も、
普通にテーブルの上に乗る。
これは決定的な違いのような気がする。

 

 

私は、一週間後の10日からまたアメリカに行く事になっている。

 

それまでに時差ボケが直るだろうか。
直っても、またすぐに時差ボケになって、苦しむのだろうか。
私はどうも今、アメリカ大好き人間になっている。
このままでは年中時差ボケの、ボケ爺さんになってしまうかもしれない。

 

 

打って変わって、こちらは日本でのこと。
今日、?快洗隊直営店、快洗隊岡崎店の地鎮祭が行なわれた。
新しいコンセプトを実現する岡崎店、
完成が楽しみです。

 

地鎮祭とは、いやはやのどかで純日本的ですなぁ

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

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