谷 好通コラム

2005年08月03日(水曜日)

1241.10年後からの自分

今年の8月、アイ・タック技研?は創立20周年を迎えた。

 

その10年後、
2015年8月に、
アイ・タック技研は何をやっていて、どうなっているのか、
私は何を考え、何をやっているか、
あくまでも夢と希望の元に、かつ“無責任に”思い浮かべてみた。

 

今回はその「自分編」。

 

よろしいですか、あくまでも“無責任に”ですよ。
よって、これから書く内容について私は何も責任を持つことはないのです。(^・^)

 

・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
・・・

 

20“15”年8月20日

 

私は、一切の仕事から引退して遊びほうけている。
・・・はずである。
富士山の近く、
御殿場の町にそれほど遠くない田舎にボロ屋を買って、
一緒に住みたいと言ってくれた家族たちみんなとひっそり暮らしている。
なぜ富士か?
富士山が大好きで、晴れた日に富士山が見えるところに住むのが夢だったから、
表向きの理由はそうだ。
しかし、本当の理由は。
もちろん富士スピードウェーが近くにあるからだ。
もともと趣味の無い私には、車でサーキットをぶっ飛ばすぐらいしか
ストレスを発散するすべがなく、
好きな時に、好きなだけレースカーに乗りたいと、
前々から念願していて、ここに住むようになった。
健康のための運動も兼ねている。
それに、
ガレージに置いてある何台かのポンコツのレースカーを乗りに、
たまに若い子達が来てくれることも、何よりの楽しみである。
こんな生活に入ってから、
すでに約2年半になる。

 

2012年3月18日、60歳の誕生日の数日前、
就寝即熟睡の谷 好通は、珍しく布団の中で考えた。
久しぶりに寝付けなかったのだ。
「32歳で独立する時、
俺は50歳で引退するのだと宣言していた。
それが、
もうちょっと、もうちょっとと、ずるずると現役を勤め、
とうとう10年もオーバーしてしまった。
“体は歳をとっても頭の中とハートは青春真っ只中”。
と、自分もトニーみたいに思っていたが、
明らかに過去の経験が自分の新しい発想を縛っている。
このままでは、
アイ・タック技研も俺の古い考えの枠の中だけの発展しかない。
いい加減に身を引かなくてはイカンなぁ。」

 

そうしみじみ思い、
次の日、臨時の役員会を強引に開いて、
すべてのグループ会社の代表取締役と取締役を降りることを宣言した。

 

後任は、
会社全体のことを考えることが出来、
いつでも自分を顧客の気持ちにすることが出来、
謙虚に多くの事を吸収し、
新しい時代の流れを敏感に察知し、
すぐに行動に移せる
そんな人物を抜擢したことはいうまでもない。
前日の夜、最終的に決めた。

 

しかし10年前の私の理想の引退は、こうではなかった。

 

「俺の引退は、“駆け落ち”だ。
病気で動けなくなってからの引退とか、
頭がボケてから引退するのは、
何か暗いよ。
イヤだな、そんなのは、
ぱっと明るく、
若い娘( 実際は、「わっきゃー娘」と発音している)と、 “駆け落ち”するんだ。
俺がどっかへ駆け落ちしちゃえば、
みんな、しょうがなしに一生懸命会社をやっていくでしょ。
社長がすべてを放り出して、駆け落ちしちゃったんだから。
必要に迫られて、事業継承もバッチリ、それですべてが安泰。
というわけさ。
明るくっていいでしょ。その方が。」

 

などと、馬鹿なことを酒を飲むたびに言っていたのだが、
10年の間、デブのオッサンに駆け落ちを付き合ってくれる娘が、
とうとう現れなかったのだ。
寂しい話である。

 

今(10年後の)は、ほとんど会社には行かないし、
何がどうなっているのか知らない。
その方がいい。

 

ただ、
最近、頭に来たことがある。
10年前にアメリカ市場進出を決めて、
ロス アンジェルスのトニーに調査を依頼したのをきっかけに、
アイ・タック技研USAを立ち上げたのだが、
トニーの熟練の経営術にUSAが踊り、
ItacUSA創立8年で、日本のアイ・タック技研の総売上を越してしまったのだ。

 

「本家本元のアイ・タックジャパンは、一体何をやっとるか!
そりゃ向こうの方が2倍以上車も多いし、金も持っとるが、
それにしても、
USAのトニーはもう70歳だぞ。
30近く若いお前さんたちが寄ってたかって、何で、あんな爺さんに負けるんだ。
ぶったるんどる!
最近、トニーからのメールの文字がまた大きくなった。
今では何と20フォントのバカでかい字でメールを送って来るんだ。
口惜しいったらありゃしない。
こうなったら俺が現役復帰して、何とかトニーを見返さなくては。」

 

USAに一矢を報いるべく
私は、アイ・タック・ジャパンに現役営業マンとして復帰を申し出たが、
「それだけは勘弁してください。
お願いですから、オーナーは富士で好きなだけレースカーで走っていてくださいよ。」
と、社長はじめ役員さん達の必死の説得に、
シブシブ引き下がる。

 

しかし、条件を付けた。
「わかった。じゃあ新しいレースカーを買ってくれ。
いまどき、ガソリンエンジンで走っとるのは、俺ぐらいのもんだ。
しかも未だに、15年前に畠中から70万円と騙されて買った、あのキーパーレビンだぞ。
それも25番のナンバーを付けたままだ。
みんな、今では最新の電気モーターのレースカーだ。
富士のクソ長いストレートを、バリバリバリと爆音を立ててゆっくり走る俺の車の横を、
無音の電気モーターレースカーが、
音もなく、しかしスピード差100km以上で、スッーパーって抜いていくんだ。
これじゃあ余計、ストトレスが溜まっちゃう。
現役営業マン復帰はあきらめてやるから、
強烈なモーターを付けた最新のレースカーを買ってくれ。
最近またアイ・タックの株、上がったらしいから、いいじゃん。」

 

会社の役員どもは、
私にまた現場に出られると、“うっとうしい”ので、
全員一致で、超強力モーターが付いた最新のレースカーを買う事に賛成した。

 

かくして買ってもらったこのレースカーは、
世界に2台しかない最新鋭車で、
世界統一を果たしたトヨタ自動車とNASAが共同開発したものだ。
「パッション」という車名。
だから、レースでの登録名は「キーパー・快洗隊・パッション」となる。
ナンバーはもちろん25番である。

 

最新のハイテクノロジーのカタマリで、
モーターは超電導のリニアモーターカーにも積まれているのを流用、
ガソリンエンジンの馬力に換算すると1,500㏋以上の化け物だ。
しかも、モーターを動力にしているにもかかわらず
電池を積んでいない。
宇宙の静止衛星軌道に乗せられた50万?のパラソルを持つ太陽発電衛星から、
超電磁波で電気の供給を常時受ける。
ボディはオールカーボンファイバー。
車重は、わずか500kgしかない。
0.33kg/馬力とは、F1も真っ青、キチガイじみた車である。

 

値段?
聞かない方がいい。
ただ、ちょっと半端ではないとだけは言っておこう。

 

「現役に戻るぞ」と役員に言ったら、
「それはありがたい。ぜひお願いします。」と言うと思ったら、
「何でも買ってあげるから、頼むから現役復帰だけは勘弁してくれ」と言いやがったので、
頭に来て、
世の中で一番高いレースカーを買わせてやったのである。
(ざまあみろ。)

 

最新の超ハイテクレースカーを、
脅して買ってもらった私は、
早速レースに出る事にした。
「キーパー・快洗隊・パッション」を得た私は、
久しぶりにレースに出る事にしたのだ。

 

今までの?25のキーパーレビンは、
普通の現役の車が走るレースには遅すぎて出られないし、
ヒストリックカーレースに出るには中途半端にポンコツなだけなので、
みっともなくて出られない。
だから、久しぶりのレースだ。

 

「ニュルブルクリンク24時間!」

 

世界的な耐久レースの一つで、全長が二十数km?以上もある長大なサーキットで、
世界中のトップレーサーたちが24時間のレースを競う。
とは言ってもこのレースは、
普段は草レースに出ているチームやドライバーまでが出ることが出来るレースだ。
その出走台数は200台をゆうに超える。
世界一長いサーキットならではの楽しいレースなのだ。

 

ドライバーは4人。
チームオーナーである私と、畠中選手、吉田選手、山本選手の4名である。

 

畠中選手とは、
快洗隊直営店500軒の内、450軒を持ち、
年商300億円の企業に成長した?快洗隊のH.オサムである。

 

吉田選手は、
10年以上前から発行していた販促ツールの宝庫「SUGKIKU」を、
SS用から、鈑金屋さん用、ディーラー・整備業用に拡げ、
あっという間に、外食産業用、コンビニ用、ドラックストア用と用途を広げ、
爆発的な成長を遂げた。
と同時に浮沈の激しい宣伝広告業界において、
どんどんとM&Aを進め、今では販促ツール界の電通と呼ばれている。
しかし、いまだに貧乏性で、きたない格好をしている。

 

山本選手とは、
中国地方においてすさまじい活躍を見せ、
アイ・タック技研の重役になり、
同時に、金に余裕が出来た頃からレース界に復帰し、
その秘めたる才能を開花させたのか、
今では重役兼務で全日本GT選手権のGT500クラスのトップレーサーとなっている。
「大器晩成、日本の遅咲きセナ」と、呼ばれている。

 

2015年ニュルブルリング24時間レースは
あっけなかった。
ポールポジションを取った我が?25キーパー・快洗隊・パッション号は、
スタート後、一度もトップを譲り渡すことなく、
24時間後、何事もなくトップでゴールした。

 

 

私と吉田は大喜び、
しかし、畠中と山本は「つまらなかった」とあからさまに言う。
・・・・・

 

先ほど言い忘れたが、
このレースカー「パッション」の一番すごいところは、
軍事衛星を利用した超精密のGPSによって、
全自動操縦を可能にしていることだ。
ミリ単位で、サーキット上のレースカーを最速状態でコントロールする。
ドライバーは、ハンドルを切ることもなければ
アクセルを踏むこともない、
もちろんブレーキまで全自動。
ドライバーは何もせずに、ただシートに六点ベルトで縛りつけられて、
強烈な横G・縦Gと戦うだけ。
気を失ったら失格になるので、
目を白黒させながらも、気絶しないように必死で頑張るのだ。
言ってみればジェットコースターに長時間乗っているようなものだ。

 

だから、私のタイムも、畠中も、吉田も、GTドライバーの山本も、
体重の差のタイム差だけであり、
ほとんど同タイムで周回したのだ。
「こんなのレースじゃないよ。」とは山本の弁。
「レースも、結局、金の差だけになったか。」畠中の弁。
「眠たい時は、やっぱりガムに限りますね~。ガムの勝利です。これは」吉田の弁。
「とりあえず、勝ったんだから、それはそれでいいじゃん、嬉しいよ。」と、谷の弁

 

あまりにもつまらないレース展開に、
翌年から、GPS全自動走行は禁止された。

 

・・・・・・
10年後の自分を書くつもりが、
レースの話になった途端に、そんな話ばかりになってしまった。
多分、私から仕事を取り上げたら、
レースぐらいにしか興味がなくなってしまうと言うことなのだろう。
実際は、10年後にレースなどやっている訳ないから、
(やっているかもしれない。(^。^))
うっかり引退をしてしまうと、意外とつまらない人生が待っているのかもしれない。
くわばら、くわばら。

 

 

今日は、千葉・松戸に行った。
オートパラダイスの2号店、快洗隊・五香店のオープンである。
今日の朝折り込まれたチラシによって、
何台かの来店があった。
幾つかの改善点を見つけたので、早速、手を入れたい。
この店は短い期間に繁盛店になる素質が大きい。これは確信である。

 

 

店の中から。
道路から視線が安城店のそれと同じである。

 

 

応援に入っていたFC本部の大野君。
ゴム手袋がすごく似合っていたので、思わず撮ってしまった。

 

 

その足で松戸店にも行ってみた。
今までのオートパラダイスオリジナルのカラーから、
快洗隊の新カラーへ衣替えをした。

 

 

同時に入り口に近いスペースをテントで囲う。
これによって、今まで通路であったような場所が、
広い空間となって現れた。
これは意外な効果で、これが今はだだっ広さになって、
かえって無駄な無の空間になっているが、これをプラスの効果にする工夫が、
これからの繁盛感の演出につながるのだろう。
色々と思いついたので、早速、提案していきたい。

 

 

本日、快洗隊直営店が8店舗になりました。
10年後の500店舗まで、あとたった492店舗である。

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    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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