谷 好通コラム

2005年04月24日(日曜日)

1162.レースやめよかな

水曜日に名古屋を出て札幌、東京、福岡と仕事して、
明日、日曜日のジュニア耐久レースに出るために、
土曜日の今日は
MINEサーキットでレースの練習をした。
車は、去年十勝24時間レースに使ったインテグラである。

 

このレースには何度か?25キーパーレビンで出た事があるが、
今回はレビンを卒業してインテグラに?25をつけて出場することにしたのだ。

 

ドライバーは、H.オサムこと畠中と、広島営業所の山本、そして私である。

 

レースは去年12月のジュニア耐久に出たきりで、ほぼ半年ぶり。
畠中も同様で、
山本に至っては1年半ぶりのレースである。

 

しかも、全員、忙しい毎日を過ごしているので、
前日に車のテストとセッティングを兼ねて、
土曜日にホンの少し練習できるだけである。
ジュニア耐久は、スーパー耐久と違ってまさしく「草レース」
みんなこんな感じである。

 

「出張ついでにMINEサーキットに寄って、チョコチョコっとレースに出る。」
こんなのも面白かろうと思って、楽しみにしていた。

 

一昨日わりと早く新山口駅前のホテルに着き、
たっぷりとメールのやり取りをして、たっぷりと寝た。
朝は快調な目覚めであった。

 

久しぶりのレース、どんなことがあるのか。
昨日は、その練習であった。

 

サーキットに着いたのは午前8時半。
畠中、山本と、
今回レースの世話をしてくれるレーシングガレージ坂井さんの人たちは、
もうすでにサーキットに来ている。

 

24時間耐久レースに出たままで、ほとんど何も手入れしてなかったインテグラを
とりあえず、レースに出れるようにするだけで、
坂井レーシングでは大変な作業であったようだ。

 

工場の方で一応の整備を受けてきたものの
この車は問題をいくつか抱えていた。
一番厄介だったのは、リヤの左のブレーキがすぐにロックすること。

 

十勝24時間の時には着いていた部品、
ブレーキの圧力の配分をコントロールするバルブが取り外されていた。
とりあえずの対策に、ブレーキパットを削ったり色々なことをするが、
サーキットを走る我がインテグラは、
相変わらずコーナー手前のブレーキングポイントで白煙を吐いていた。
その痕跡が、たくさんのフラットスポットとしてタイヤに残さされている。

 

土曜日はレースのための練習と思い、
出来るだけたくさんの周回を回ろうと思っていた。
しかし、まともに走れる状態になるまで時間と手間がかかって、
テスト役の畠中君と山本が何本か走り、
やっと私の番が回ってきたのは、この日の最終の一本。
リアブレーキロックの症状は、まだ出ているが、
コントロールはそれほど難しくはないようだ。
私は、インテグラで走る初めてのMINEサーキットに、
少しでも慣れなければならない。

 

去年の夏、田中さんの乗っているインテグラに、
ちょっとだけMINEで乗ったことがあるが、
極端に回転を抑えて乗ったもので、
全く参考にはならない、

 

だから、MINEをインテグラでレーシング走行をするのは、
実質上初めてなのだ。

 

私はコースに、かなり緊張して出て行った。

 

1周目と、2周目は、シフトのアップとダウンをするのに精一杯。
インテグラは6段ミッションであり、
レビンなどに比べると大きくクロスしているギヤ比なので
細かいシフトアップ・ダウンが必要で、
レビンならば、
4,3,4,3,2,3,2,3,2,3,2,3,2,3,4と
14回でMINEのコースを一周回れるのが、

 

インテグラの場合は、
5,4,3,4,5,4,3,2,3,4,3,2,3,4,3,2,3,4,3,2,3,4,3,2,3,4,5と、
26回のシフトアップとダウンでやっと一周回ることになる。

 

MINEに比べて、十勝サーキットでは、
2速まで落とす細かいコーナーがほとんどなかったので、
同じインテグラでも
5,4,3,4,3,4,3,4,3,4,3,4,3,4,3,2,3,4,5?と
14回のシフトで済んだので助かったのだが、

 

比べてMINEは、すべてのコーナーで2速まで落とし、
特に第2コーナー手前では5速まで上げ、5,4,3,2の一挙に3段の減速となるなど、
シフトアップ・ダウンが非常にめまぐるしい。

 

最初の一周目と、二周目は、それをこなすだけで精一杯。
三周目でやっと、コーナースピードを上げていって、
やっとこどっこいの1分48秒。
畠中・山本が43~4秒台で走っていたのだから、これはまるで初歩の状態。
さあこれから、インテグラのスピードになれて行こうかと思って走った四周目、
最終コーナー手前までフルスロットルで加速したあと、
直前でブレーキを踏んだとたんに、
ブレーキペダルが床までストンと入ってしまった。
ペダルにブレーキの油圧回路の圧力が全くかかっていないのだ。

 

ブレーキが全く効かない、
ノーブレーキ状態に一瞬のうちに陥ってしまった。

 

最終コーナー直前は、4速に入ってしばらく加速した地点。
しかも下り坂でもあるので、100km以上は軽く出ている。
4速で7,000回転ぐらいなので、130~150kmぐらいかもしれない。
いずれにしても高速で、コーナー直前でノーブレーキはまずい。
しかし下手にハンドルを切れば横転の可能性があるので、
そんな時は、
小石が敷き詰めてある広いエスケープゾーン(通称グラベル)に、
まっすぐ突っ込むのが一番だ。

 

抵抗の全く無くなったブレーキペダルをスコンッスコンッスコンと何度も踏んで、
少しでも油圧が上がることを祈りながら、
一直線にグラベルに突っ込んだ。

 

ザッザッザッザッと砂煙を上げながら、
グラベルによって私の車は急減速を受け、グラベルの海のど真ん中に止まった。

 

止まってしまったら静かなものである。
脇のコースを練習の車が時折通り過ぎるだけ。

 

しばらく目をつむった。
先日までハードな出張をこなして、ワクワクしながらサーキットにやってきたのに、
一日中車に乗れるのを待った挙句に、
たった4周目の最終コーナーのグラベルの海の真ん中で止まっている。
「いったい何をやっとるんだろう。俺は・・・」
ふと虚しくなってしまった。

 

と、急におしっこがしたくなった。
ノーブレーキの時に体中が緊張して、いっぺんに膀胱におしっこが溜まったのか、
急に強い尿意を持ってしまったのだった。
ヘルメットをかぶったまま車を降りた。
コースの外に出て立ちション便をしようと思ったのだ。

 

降りて車を見たら
右の前輪から白い煙が少し立っている。
何だろうと思って覗いてみたら、
ブレーキオイルが飛び出て、熱せられたローターにかかって煙を上げていたのだ。
ブレーキオイルが急激に噴出して、圧力がかからず、
ノーブレーキになったのだろう。

 

いやいや、そんなことより、今は立ちション便だ。
深い小石の海・グラベルの中をザクザクと外の方に歩いていくと、
コースマーシャルが四輪駆動車にやってくるのが目に入った。
コースマーシャルの目の前で立ちション便は出来ない。
私は仕方なく、車の方に戻っていった。

 

「この一本が終わって、コースから車がいなくなったら引っ張りますので。」
という、あと15分ぐらい待たねばならないか。
「まいったなぁ~」と心の中で思う。

 

コースマーシャルの方は私も顔を知っているベテランの方で、
優しい言葉で喋りかけてきてくれた。
「インテグラの、リアスボイラーなしはどんな感じですか?」などなど、
コーナーポストに座り込んだ私は、
最初は、「それどころじゃないよ。」と思ったが、
その人の静かな語り口に
話をしているうちに、おしっこの事も忘れ、静かな気持ちになった。
不思議なのどかな時間。

 

時間が来て、さあ車を引っ張ってもらいながら
色々考える。

 

エアロはすっ飛んでいるが、
車の損傷はそんなに大きくはないだろうが、
しかし、
これで、明日のレースはぶっつけ本番になってしまう。

 

それは出来ない。
する意思があるかどうかという問題以前に、出来ないことは出来ない。
私の持っている能力では、
新しい車とコースを組み合わせを、たった3周だけで覚えることはないし、
どうレーシング走行すればいいのか、
全く解らないままレースに出ることは出来ない。
さすがにどうしても出来ない。
ましてや、インテグラはMINEではシフトが今までのレビンより倍近く多いのだ。
絶対に出来ない。

 

何のためにここまで来たのだろう。
何のために大きなお金を払ってここまで準備したのだろう。
ふと虚しくなってしまった。

 

ピットに帰ってきて、
原因を聞くが、
「プレンボのキャリパーは、
エア抜きバルブの締め付けを、普通のものより、もう一段グッと締めなければ、
稀ではなるが、こういうことが起きる。」とのこと。
要するにバルブの締め付けが甘かったということか。

 

その日は、これで終わり。

 

 

明日の予選、決勝を控えて、
メカの人達は、壊れたボディーを直し、
後ろのブレーキロックの対策を、この夜中にやることになって、
遅くまで頑張ってくれることになった。

 

現場は畠中と山本に任せて、ホテルに帰ることにしてしまった。
意気消沈というか、虚しいというか、
車でホテルに帰る時に
「明日は絶対に乗れないだろうな。」
「でも、予選だけでも乗れば、何とかなるかもしれない。」
「そんな馬鹿なことがあるわけがない。」
「もうレースなんてやめよかなぁ~。」
「走れなくてやめるのは私らしくない。やめるにしても走ってからやめよう。」
「レースの人は、自分のミスを認めないというへんな共通点がある。不思議だなぁ~。」
「どっちでもいいか。」
「どうせ遊びなんだから、マジになる方がおかしいのかな」

 

私は完全にネガティブになっている。
レース前日の私は、
完全にレースに対してネガティブになっていた。

最終コーナーにノーブレーキで突っ込んだこと自体は、
正直に告白して、「怖くなかった。」
あるいは、怖いと思う余裕もない一瞬のことであったのかもしれないが、
今でも、その場面を思い出したときに、
恐怖の色が全くかかっていないのは本当のことだ。

 

怖かったのではなく、
虚しかった。

 

その夜、わざわざ応援に来てくれたグリットの吉田夫婦たちと、
新山口の駅裏で飲んだ。
けっこうたくさん飲んで、騒いだが、
頭の隅っこに「明日どうしよう。」がこびりついていて、
どこか、うわの空のところがあった。

 

 

これを書いているのは、24日。
ジュニア耐久レースの決勝も終わって、帰る新幹線の中。
結果はもう出ている。
今回のレースはドラマであった。
その様子は、
明日、久しぶりの「スーパー耐久参戦記」の番外編として書きます。

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    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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