谷 好通コラム

2005年03月03日(木曜日)

1129.あれっ何の話だ?

近頃、街を歩いている高校生を見ていると大変残念な事がある。
多くの女子高校生がお化粧をして、
せっかくの若い肌を覆い隠してしまっていることだ。
(男でも化粧をしている奴がいるが、あんなのはほっとけばいい。気持ち悪いだけ。)

 

美しさとは、若さそのものであって、
その貴重な本物の“若さ”を、
化粧という“若く見せるための道具”で造ったニセの若さで覆ってしまうことは、
愚の骨頂であるとしか言いようがない。

 

そもそも、“若さ”を美しいと感じるのは、
人間を一つの“生物”としての観点からすると
<種の保存の法則>に基づいていると言える。

 

種の保存の法則の中に「淘汰」という項目がある。
同じ種の個体の中でも、個体差があって、
その個体差の中で、もっともその環境の中に合った個体であり、
最も繁殖に成功する傾向の個体差を持った個体が、
そうでない個体よりも偏って子孫を残し、
同じ種であっても、世代を重ねるごとに、
偏った傾向がより強くなって、より環境に適合した種に進化していく。

 

たとえば、徐々に地球が冷えていく氷河期の前半には、
同じ種の中でも、寒さに強い傾向の個体差を持った個体が、
生き残る可能性が高く、
生き残る可能性か高ければ、子孫を残す可能性も高くなる。
逆に、寒さに弱く生き残る可能性が低い者は、
繁殖の機会も少なく、子孫を残す可能性も低い。

 

生き物には同じ種であっても個体差があって、
その差の中でも環境に適合している傾向を持った者が生き残り、
繁殖し、適合している者が繁栄していく。
この過程を「淘汰」というのだ。

 

このような淘汰が行なわれながら、世代を重ねていくうちに
寒さに強い個体が多くなり、
種全体が寒さに強い種となり、
淘汰によって環境の変化に順応した、進化した種となり、
その種が保存されたことになる。

 

種の保存の競争に勝ち残った種だけが生き残り、
“存在”している。
良い悪いの問題ではなく・・・・・

 

!!!!ここでちょっと中断。
今、新幹線の中でこれを書いているのだが、
となりの席で、ずうっと鼻くそをほじっているバカがいて、
その鼻くそを私との席の間にしきりに落としているのだ。
気になって気になって、汚くて、気持ち悪くて、正常な精神状態でいられなくなった。
・・・・・
今、席を替わった。
立派な背広を着たおっさんであったが、
香水つけて臭いし、あの鼻くそほじりは30分以上続けていた。
あの鼻には、そんなに大量の鼻くそが入っていたのだろうか。
・・・・・あ~~気持ち悪かった。

 

 

話を戻す。

 

淘汰は、環境に対しての順応だけではなく、
個体間の繁殖能力の優劣によっても起きる。
というよりも、むしろこれはどんな種にも、
そしてどんな事態にも共通して続く競争であり、淘汰である。

 

繁殖能力はオスにおいては「闘争における強さ」である。
オス同士によるメス争奪の闘争に勝ったものが繁殖の機会を得る。
オスは強い者が自分の種を残すことが出来るので、
オスは、メスよりも体が大きく、闘争に強い体になった。

 

純粋に繁殖の意味においては、
子供を体の中で育てて産むメスは体が大きく強い方が良い。
逆に、生物的には、オスは繁殖のために生きているようなもので、
生殖さえ出来ればお役目はOKなのだから
本来は体が大きく強い必要はない。
しかし、
同じ種のオス同士との闘争を経て
メスとの生殖を勝ち取った強いオスのタネが繁殖してきたので、
結果的にオスの方がメスよりも体が大きく闘争に強いという種が多い。

 

純粋に生物的には、
オスにとっては、
自分の種を子孫として残すのが生物としての使命である。
だから、
自分の種を確実にメスの卵に受精させ子孫にするためには、
オス同士との戦いに勝つことが必要だ。

 

もう一つ、逆に、
良い子孫を残すことに都合の良い“メス”を選ぶことも必要である。

 

メスとしての繁殖能力が高さとは、まず第一に健康であること。
平均寿命の短かった時代、健康とはすなわち若いメスであるということだ。
生命力が旺盛な若いメスに受精させた方が出産の可能性が高い。

 

もう一つ、
若いメスはまだ他のオスのタネを受けていない可能性がある。
もう他のオスのタネが仕込まれている受精卵を持ったメスに、
後から自分のタネを仕込んでも無駄なのだ。
初々しい(ういういしい)処女を、オスが珍重するのは、
自分のタネだけを確実に残すことに対する欲求と言う意味となる。

 

人類が精神的な発達を得る以前、
まだ、“普通の動物”であったころ
オスがメスに対する魅力とは、
繁殖の相手として、もっとも有利な若さを持ったメスのことであった。
若いメスは、オスから見ると、すなわち美しく魅力的である存在であったのだ。

 

美しさとは魅力であり、それは若さであった。

 

人類が動物である以上、
人類が勝ち得た精神的昇華を経る以前の、
動物でしかなかったころに作り上げられた動物的な美的価値観においては、
オスにとって、若いメスが無条件に美しい者であるということが言える。
これは種の保存の法則にのっとった原始的な美しさである。

 

人類の動物的な部分においては、[若いメス=美しい]となる。

 

これは、精神的な成熟を経た今の人類においても、とりわけ男性に
根源的な深い美的価値観として残っている。

 

根深いのだ。

 

その反応として、
女性も、若さに対する執着にはすさまじいものがある。
「女は、骨になっても、一歳でも若く見られたい。」
と言われた時は、背筋がぞくっとなった覚えがある。

 

女は、メスとしては若いことに価値があるのだろう。
しかし、私たちは精神的な成熟を果たしている。

 

人類は、若さを絶対的な美しさとは思わなくなっている。
人類は、種の保存という種としての命題を、
繁殖の本能という呪縛から逃れて、理性という新しい方法論に昇華しつつある。
だから、
若さという絶対的な美しさからも開放されつつある。

 

人類は、絶対的な若さを化粧術でごまかして、見た目の美しさに撹乱した。
これはこれでお見事ではあるが、
絶対的に若さを持っている若き女性までが、
見た目の美しさに惑わされることはないだろうに、とは思う。

 

しかし、もっと大切なのは、
そんな次元は通り過ぎて
見た目の若さをも凌駕する“理性としての美しさ”を、
人類は、すでに手に入れている。

 

肉体的な若さとしての美しさ、
見た目の美しさ、
そのすべてを凌駕する理性としての美しさ。

 

人間は、理性によって、美しさの領域を、動物である時より1000倍に広げた。

 

 

・・・・・
話が、なかなか収拾に向かわない。
もともと、この話を書き始めたのは、
見た目の美しさの化粧より、
若さを維持するための基礎美容の方が、女性の価値観に合っており
その意味で、
車の見た目を美しくする巷のワックスとかコーティングよりも、
塗装の若さを保つためのBody Tune up coating KeePreの方が、
価値があると考えている。
なんて所へ話しを持って行こうと書き始めたのだが、
「種の保存の法則」などを書き始めた所から間違いが始まった。

 

話が元に戻らなくなってしまった。
完全に作戦ミスである。
若いことが美しいとか、そんなことはないとか、
どっちでもいい話から抜け出せなくなってしまったので、この話、もうやめる。

 

 

新幹線で東京まで来て、
千葉の幕張まで来ている。
明日からのIAAEのショーのための準備が出来た。
本当は95%しか出来ていないが、明日の朝来て帳尻を合わせる事にする。

 

今日は、このコラムの話をはじめ、何から何まで支離滅裂である。
まっいいか。

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

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