谷 好通コラム

2005年01月16日(日曜日)

1099.シシャモを食う日

大昔、私が小学校5年生の時、
女の子を好きになったことがある。
多分、あれが私の初恋なのだろうと思う。
紀子(のりこ)さんという子。
背は小さく、おかっぱ頭、色黒、面長で、頭の良い子であった。

 

この時の担任の先生はよく席替えをする人で、
何回目かの席替えで、紀子さんと隣になった。
昔は、椅子は一人に一つであったが、机は二人に一つの細長いやつ。
だから席が隣ということは、長い机に一緒に座るということになる。
まさに隣に“一緒に座る”という格好。

 

何のきっかけであったか知らないが、
ふいに、私はその子を異性としてすごく好きになってしまった。
恋をしたのである。

 

恋をしたことは初めてだったので、
自分の気持ちがどうなっているのか良くわからないまま、
とにかくハッピーな日々が過ぎた。
あんなに学校に行くのが楽しみだったことは、
今までの人生の中でない。
息をするだけでも幸せだったのだ。

 

しかし、そんなハッピーもほんの1、2ヶ月。
また、担任の先生が席替えの発表を行なった。
私は祈るような気持ちで、また紀子さんの隣の席になることを願ったが、
しかし、それは有り得ないことであった。

 

初めて女の子を好きになって、舞い上がっている男子を
わざわざその女子の隣に座らせておくわけがない。

 

この時の席替えでは、
紀子さんは遥か遠くに座ってしまい、
私の隣には、私の家の近所に住む男子が座った。
知っている子であり、悪い奴ではない、たしか森田君と言ったと思う。

 

紀子さんは、私より後ろのほうの席に行って
授業を受けている間中、彼女の姿を見ることは出来なかった。
絶対に先生がわざわざそうしたに違いない。

 

私は悲しかった。ものすごく悲しかった。
ハッピーな日々が一転して、不幸のどん底に叩き落された。

 

 

その日の給食のおかずは「チャンポン」
あの長崎名物のチャンポンという意味であるのだろうが、
給食の「チャンポン」は
あの長崎チャンポンとは
似ても似つかぬ別物であった。

 

油っぽい茶色の汁の中に、
スパゲッティーのような麺がチョボチョボと泳ぎ、
ナルトのきれっぱしがほんの少しの野菜と一緒に沈んでいた。
一番嫌だったのは、豚の脂身だらけの薄切りの肉が白く、
細かく千切れて、いっぱい汁の上に浮いていたことである。
ほとんど脂身だけ。
これが、脂っぽい茶色い汁の匂いと妙に相乗効果を出して、気持ち悪いのだ。

 

私は給食を残すなどという贅沢な子ではなかったが、
この「チャンポン」という名前がついている“豚の脂身が浮いた汁”が大嫌いであった。
これだけは、食べるのが本当に嫌だった。

 

 

紀子さんと席替えで別々にされて、
不幸のどん底に叩き落されていたこの日の給食が「チャンポン」であった。
不幸の上に不幸が覆いかぶさってきたようなもの。
最悪であった。
しかし、この日の二つの不幸の内では
紀子さんとの離別の不幸の方が圧倒的に大きかったのだ。

 

紀子さんと別々に分かれた机の上に、「チャンポン」が配られた。
私はそれをじっと見つめているうちに、
なんか情けなくなって、
涙があふれてきて、
ヒックヒックと泣き出してしまった。

 

隣の席の森田君が「どうしたん?」と私を覗き込んだ。
私は「うるさいっ!」と怒鳴った。
隣から掛けられた声が、紀子さんではなく、男の森田君の声であったのが
カンにさわったのだろう。

 

そして、突然
目の前の「チャンポン」をガブガブと食べ始めた。
脂身をそっとどけながら、なんてモンじゃなく、ガフガフガフガフ゛
口の中に押し込んだ。

 

自殺する時に、人が何か吹っ切るとすれば、
きっとあの時のような心境と、行為であったのだろうと思う。
あんなに嫌いだった給食の「チャンポン」を、口いっぱいに頬張ったのだ。
まるで、自殺行為のように。

 

「あれっ?食えるじゃん。これ意外とウマいよ。」
あの時、初めて豚の脂身のウマさを知った。
むさぼるように口に押し込んだ豚の脂身がたっぷりのチャンポンによって、
私は脂身のウマさに目覚めてしまったのだ。

 

私は紀子さんを隣の席から失ったのをきっかけに、
豚肉の脂身のウマさを知ってしまい、
それから、私の食生活の方向性が変わってしまった。
肉、それも脂身がウマいと思うようになって、
劇的に、今の肥満への道が切り開かれてしまったのだ。

 

あの一瞬は、今でも鮮烈に覚えている。

 

 

こんなことを思い出したのは、
久しぶりに女の人に振られてしまったからだ。

 

振られたと言っても、色恋沙汰ではない。
快洗隊刈谷店の中井さんに振られたのだ。
彼女は洗車大好きで、ただそれだけで、わざわざ大阪から快洗隊に応募してきて、
一人で寮に入って、
刈谷店の中でも一番の元気印で働いていてくれる若き女性。

 

「KAISENTAI EYES」の筆者でもある。
私は彼女の文章を読んで、そのきちんとした文章力に驚き、
快洗隊から、キーパータイムスの編集責任者にスカウトしようとしたのだ。
キーパータイムスを毎月発行するのは大変なエネルギーが要る。
今は、私自身が原動力となっているのが現実で、
いつまでもその現状を打破できないでいる事は良くないことだと思っていた。
だから、私の仕事の助手として動いてもらって、
キーパータイムスを作り出すすべを学び取り
それを主体的に進めて行ってくれる存在が欲しかったのだ。

 

中井さんに、それが出来る可能性を見つけ、
?快洗隊の畠中君を説得した上で、中井さんを口説いたのだ。

 

そして、見事に振られてしまった。
彼女の快洗隊に対す意気込みは半端ではなく、
どうしても、快洗隊をやり通したいというのだ。
それは、ある程度予想していたことだが、
さすがに、がっくりである。

 

で、ふとっ
小学校5年生の時、
紀子さんと席替えでお別れした時に、突然、
豚肉の脂身が食べられるようになったことを思い出した。

 

私は、ある理由があって「シシャモ」が大嫌いで、
数少ない食べ過ぎらいの対象である。

 

14日の夜、ある呼ばれていた飲み会で「シシャモ」を試してみたのだ。
突然の思い付きで
「女性に振られた日、苦手な食べ物が、急に食べられるようになった。」を、
試したのだ。。

 

「シシャモ」

 

 

思い切ってガブッと、シシャモに食いついて見る。
口の中にシシャモが思いっきり拡がる。

 

 

思ったより不快感はない。
決して「まずい!」とは感じなかった。
しかし、「あと10年ぐらいはシシャモは食べなくてもいいなぁ」とは思った。

 

後は、とにかく思いっきり酒を飲んで
シシャモを食ったことを忘れようとする。

 

かなり飲んで、抵抗力がなくなった頃、
名古屋一番の繁華街・栄の居酒屋「花あかり」の女将にからかわれる。
私よりたった一歳年上だけなのに、

 

 

私なんざまるで子ども扱いである。

 

 

この後の惨状を、面白がって激写する人たち。
(この人たち会社の社長さんである。)

 

 

この人たちが撮った写真を、一緒にいた畠中が「3万円で買いますよ」とはしゃいでいた。
暴露される前に自分で暴露。谷好通襲われるの図

 

 

そんな私を助ける気の全くない人たち。

 

 

シシャモを食べた日。
それは、素敵な人たちと飲んで騒いで腹から笑った素敵な日であった。

 

 

今は、上海のホテルでこれを書いている。
時計はとっくに12時を回り日付が変わってしまったが、
明日(16日)は、上海での頼さんの結婚式のことを報告しなければならない。
いい結婚式でした。

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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