谷 好通コラム

2004年09月24日(金曜日)

1025.絶対に!負けない

ビジネスは戦いであり、決して勝ちっぱなしなんてことはない。
しかし勝たないと死んでしまうことになるので、それこそ必死で戦う。

 

この一週間、これでもかとスケジュールを詰めて仕事をやってきた。
今は中国の広州。

 

一昨日、上海に飛んで、上海、深セン、香港、広州とやってきたが、
とうとうここ広州で仕事が出来なくなってしまった。
仕事が座礁してしまったのだ。
(上海・深セン・香港とインターネットの接続を出来なかったので、2日休みました。)

 

広州で素晴らしい店を見つけた。
KeePreの代理店をやって欲しいと思って、午後からKeePreのデモの予定であった。

 

今日の午後から上海の頼さんを通訳に、
荻野部長と?快洗隊の畠中社長がデモンストレーター、そして解説が私、
これでもかというほどの贅沢な布陣である。
畠中君には、広州のその店を是非見せたかったから、わざわざ連れて来た。

 

そして、今回の予定には「香港」が入っていたので、
中国人の“李さん”は、香港のためのビザが必要で、このデモからは外れた。
上海の頼さんは台湾人なので、香港はまったく問題ないと思って、
今回は通訳を頼さんにお願いしたのだ。
(頼さんは台湾に里帰りするときいつも香港経由で帰っていたから。)
頼さんも、深センと広州の洗車の視察を兼ねるということで快諾してくれた。

 

ところが、その頼さんが、
中国から香港に入って、香港からまた中国に入国しようとしたら、
問題があって中国への入国を拒否されてしまったのだ。
(頼さんはいったん香港に戻ることになった。)

 

通訳無しでデモは出来ない。
広州の予定の店にも日本語を話せる人はいない。
手も足も出ず、
結局、今日のデモは断念して、昼間っからホテルでこれを書いている。

 

 

なぜ、こんなことになったのか、
なぜ、頼さんは入国できなくなってしまったのか、
それは、これから書こうとしている3つの話の最後に書こうと思う。

 

それにしてもこの一週間のスケジュールはハードであった。
それがこの一件で、
緊張の糸がプツンと切れてしまったように気が緩み、ひどく疲れたような気がする。
急に、まっすぐに立っているのもつらいと感じるようになった。

 

考えて見れば、8月初旬の24時間耐久レース前後から、
まったく一日も休みを取っていない。
別に休みが欲しいとか、休めないことをネガティブには考えていない。
真剣勝負で戦っているのだから、それぐらいのことはホントにどぉってことはない。
しかし、正常に仕事をするためには、
ある程度限界というものもあることも知らなくてはならない。

 

 

今日の午後からの隙間。
これを、あえてラッキーと考えて、ここしばらくの報告をしよう。

 

先週の金曜日17日は、
?快洗隊の新店舗「緑区、鹿山店(仮称)」の地鎮祭。
午後から山ほどの仕事を事務所で片付ける。
夕方、快洗隊刈谷店を覗いたら、新人のスタッフが驚くほどたくましくなっていた。

 

近藤君
彼は入社当時、ちょっと太めで動作も鈍く辛そうであった。
タイムトライアルもなかなか合格しない。
「どうせ続かないなら、早くやめさせてやった方が本人もつらい目をしなくて済むよ。」
と、畠中社長、石川マネージャーに話したことがあったほどだ。
それが、今日久しぶりに会ったら、
ビックリするような軽快な動きをして、フィールドを走り回っている。
作業の正確だし、そして早い。
だいいち見た目がまったく変わってしまっている。
なんと!
彼は2ヶ月の間に18kg!も痩せた・・というより締まったのだそうだ。

 

 

これは快洗隊始まって以来の新記録である。
脱帽であり、私ごとき・・完敗である。

 

近藤君はダイエットのために快洗隊に入ったわけではないので
痩せたことばかりに感心していてはいけないのだが、
そこまでになったのは彼の中に何か強いものがあったに違いない。
それにしても、大したものである。
軽快になった彼の動きと、確かな技術を見るにつけ、
私もがんばらなくっちゃイカンな。としみじみ思った。

 

中井さん。
確か文化系の専攻で大学を卒業している子だ。
何せ「洗車が好き」だと、ひたむきに車を洗い、磨く。
この間、畠中くんが中井さんと話をしていて、「いずれマネージャーになりたい。」と
心のうちを聞いて驚いた、と言っていた。
この子も大したものである。

 

 

まだまだ新人の子はいるが、いずれも快洗隊に入ってしばらくすると
なんか別人のようになってしまう。
たくましくなるのだ。
みんな大したものである。

 

新しい快洗隊FC店さんが、もうすぐ岐阜県高山市にオープンする。
その研修生として三藤田さんが刈谷店で一生懸命車を洗っていた。
すでに、自分のお店で極上洗車もキーパーもやっていたので、
最初からなかなかうまいとのこと。
それでも謙虚にしっかりと学んでいるそうだ。

 

 

開発部が、パッチテストを自分の腕でやっていた。
パッチテストとは、ケミカルを染ませた布を、肌の一番弱い腕の内側に貼って
3日ぐらいそのままにし、
肌がかぶれたり、赤くならないかをテストすること。

 

開発されたケミカルが人間の肌に対して刺激を与えてはいけないので、
理論的に刺激を与えないことは分かっていても、
実際に人の肌で試して見なければ、安心できないのだ。

 

 

問題が一つある。
開発部の部長は肌が弱い方なので、このパッチテストにはぴったりなのだが、
写真の増田君は肌がしっかり丈夫なようで、
何を着けても肌が赤くならない、つまり反応しないのである。
(実は私も一緒)
開発の部長は、もっと肌の弱いスタッフが入ってくるまで、
ずっと、自分でパッチテストをしなければならないようだ。

 

 

18日(土)は終日、アイ・タック技研に入った比較的新しい営業担当にケミカル研修。
いつも勉強はやっているが、
一つ一つの商品についてばらばらに教えているので、
この日は一度、総括的に基礎からの勉強をやらなくてはイカンなと思って、
急遽やることにしたもの。
けっこう勉強になったと好評だったので、また定期的にやっていかねばならない。
この勉強会には、開発部長と研究室の迫さんも講師側として参加。

 

午後5時に終わる。
それから大急ぎで、名古屋空港に向かう。
北海道・苫小牧で、翌日の朝、社員のお父さんが亡くなったお葬式があるのだ。
千歳まで飛んで、レンタカーで苫小牧のホテルに着いたのは、
午後10時過ぎ、
出かけたのは、アイ・タック役員3人(私を含めて)と?快洗隊畠中
よせばいいのに、それから居酒屋に晩飯、
というより不謹慎にも“飲み”に出るバカ4人組。
(私、含む)

 

 

19日(日曜日)
午前中、お葬式に出た。
心のこもったいい式であった。
故人のご冥福を心よりお祈りする。

 

式が速く終わったので、早い飛行機にチケットを切り替えて乗る。
(この季節、名古屋⇌札幌には特割がないので(腹が立つ)、時間変更が出来る。)
午後4時には名古屋に着いて、
夕方から時間単位のちょっと一服である。

 

 

20日(月曜日)
朝早く、今度は車で福井に向かう。
3件の用件がある。
精力的に仕事をこなしていくが、結局、昼飯を食べる機会を失ってしまった。
すきっ腹で交渉ごとは良くないと、車を走らせながらパンをかじる。
よくあるパターンである

 

最後の訪問先でショッキングな情報をお聞きした。
これからの将来、また大きな戦いがありそうである。
同行の谷統括と気持ちを引き締め、あらゆることに対するすばやい対応と、
基本戦略の見直しを確認しあう。

 

北陸自動車道に乗って、米原近くまで行ったら、
一宮インター付近13kmの渋滞、通過に45分と高速情報に出ている。
谷統括は午後7時20分の飛行機で福岡に飛ぶことにしているが、
単純計算すると間に合いそうにない。
翌日は久留米で九州ワンデースクールがあるのだ。
少し焦る。

 

そういえば、この日は3連休の最後の日だ。
自分たちは休めるわけがないので、3連休のことなんてすっかり忘れていた。
渋滞にはまって、周りを見渡せばほとんどレジャーカーであり、
みんな遊び疲れたような顔をしている。

 

「くそっ」とも思うが、
渋滞は思ったよりもスムーズに車が流れており、
無理しなくても、名古屋空港に30分ほど前に到着した。
谷統括は、今は西日本を見るようになっている。
がんばれ!

 

 

21日(月曜日)
また朝早く、名古屋空港に向かう。
福岡まで飛んで、S耐のチーフメカ岩永さんのガレージ「岩永自動車」に行く。
十勝で使った膨大な部品について確認をしにいったのだ。
昨日のうちに?快洗隊の畠中が福岡に行っていて、空港で合流する。
彼は、新しい快洗隊の直営店の物件を見に行っていたのだ。

 

久しぶりに見た私たちのインテグラ。
ほぼレース当時そのままで、
あらためて見ると24時間の激闘の跡があちらこちらにあり、ちょっとジンと来る。

 

 

感傷的な気持ちはちょっと脇において、
交換部品リストを、実際の車を見ながらじっくりと確認していく。

 

 

私はたった2時間だけであったが、
目に焼きついているこのメーターたちとコックピットの風景。

 

 

「また乗りたい!」と、こみ上げてくる気持ちを抑えて、確認を急ぐ。
北九州にある岩永自動車さんを出て、午前中に福岡空港まで戻らなくてはならない。
昨日聞いた重大な情報について、
夕方から臨時の部長会議を招集してあるのだ。

 

午後4時過ぎには会社に戻った。
福岡に行ったら必ず食べるお楽しみの博多ラーメンも、空港で15分で食べた。
そういう意味では順調であった。

 

しかし、部長会議のあと、
別件で、また重大なことが持ち上がった。
断腸の思いである。
人の心とは、まことに不思議で厄介なもの、そうつくづく思った。
しかし、問題の解決のキーワードは「みんなの幸せ」
これさえあれば、どんなにつらい問題でも解決できることを、自分に強く言い聞かせる。

 

22日(火曜日)
上海へ出発の日だ。
前夜遅くからの準備も問題なく済み、朝5時半起き、に名古屋空港に向かう。
今回の動向は畠中君である。
営業が始まっている上海の車聖快洗隊をしっかりと見てくることと、
広州の店をぜひ彼に見せたかったからだ。
私にとって、この店は“目からうろこ”であったからだ。

 

名古屋⇒上海は、たった2時間余。
上海は近い。

 

 

私は、絶対に負けない。
何がどうかかってこようと、私は、絶対負けない。
十年間休み無しでもかまわない。
絶対負けないのだ。

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    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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