谷 好通コラム

2004年09月06日(月曜日)

1013.発想の方向の違い

昨日、日曜日に飛行機に乗って福岡に来た。
スーパー耐久の田中篤氏と会う。
福岡での仕事は月曜日の朝であったのだが、
その前に福岡で田中さんと話をしたかった。

 

先日の十勝24時間レースでの費用について、
解らないことがあったからだ。
このレースでの費用は、当初考えていたものよりも、
というより、メンテナンスを含めての打ち合わせよりも、
結果としてかなりオーバーとなった。
その差は百万単位。

 

十勝でのレースは、普通のレースと違って24時間という
チームとして未経験であり、
そのための準備は、何をどこまでやっていいのかも全く未経験のものであった。
だから、決勝前の最終整備では、
エンジン、ミッションの積み替えだけでなく
デフ、ハブ、ドライブシャフト、パワステポンプ、ステアリングギヤ、
ラジエターサブタンク、燃料ポンプ2基など、
考え得るだけのパーツが新品のパーツにアッセンブリーで取り替えられた。

 

しかし、そのころ私達は、
決勝前夜ということで睡眠を取りにホテルに帰っており、
ほとんど徹夜でのそれらのパーツ交換の現場を見ていない。
だから、請求書を見た時点で、
そのおびただしい部品の数を見て、びっくり仰天した。
正直言って、理不尽なものと受け取ったのだ。

 

この部品の山はいったい何処に行ったのか、
何かの間違いではないのか、
まさか、すべて決勝前夜に?17に装着されていたとは思いもよらなかったのだ。
そのことを全く知らずに請求書の膨大な部品を見れば、やはり驚く。

 

考えてみる。

 

私たちは、去年の?17インテグラを出来るだけいたわり、
エンジンもほとんどノーマル状態で、競争力が低いことを承知で、
あくまでも完走を狙い、
部品が壊れたら、
地元の部品屋さん帝北自動車さんに無理をお願いして揃えてもらった
返品可能としてある予備の新品部品に交換する。
といういう“つもり”であった。
それが一番コストを抑えた「完走狙い」であるとも。

 

しかし、メカニックの人たちは、
「完走狙い」ならば、
24時間レースは、通常のスーパー耐久ならば6回分に当たる時間を走るのだから、
去年1年間使ったパーツでは、
とても“もつ”という確信が持てない。
「完走」を目指すならば心配な部品は新品に交換しておくべき。
と、考えたのだろう。

 

徹夜の献身的な努力をもって、
ボディ以外ほとんどと言っていいぐらい新品の部品に交換された。

 

考えてみる。

 

彼らはそのようなことをしても、しなくても、
作業料は前もって何日分でいくらということで決まっているので、一銭も変わらない。
エンジンとミッションを本番用に乗せ換えれば義務は終わったのだ。
それをあそこまでの部品を新品に交換したから、
徹夜となったわけで、
決勝の日の徹夜もいれれば、2日連続の徹夜となった。

 

では部品代はどうなのか、
部品に彼らの儲けが乗せてあって、
部品を換えることが自分たちの儲けとなるのか、
いや、部品は帝北自動車さんから直接私たちに請求されるので、
儲けとはならない筈だ。

 

ではなぜ、
メカニックの彼らは、24時間レースという自分たちにも過酷なレースの前日に、
なぜ徹夜までして、膨大な部品を交換したのか。
レース中に中古の部品が壊れたって、用意されている部品があるのだから、
レース中に交換すればいいのではなかったのか。

 

考えてみる。

 

本番前日の部品交換は、彼らの儲けには関係ない。
そういう意味では、ただ単にしんどかっただけだった筈である。

 

ではなぜ?
考えてみる。

 

24時間レースを完走するには、どうすればいいのか。
壊れるかどうか自信がもてない部品をつけたまま出走させても、
壊れたら、レース中に交換すればいい。とは、彼らは考えにくかったのだろう。
あるいは考えられなかったのだろう。
レースとは、本来的に勝つことを目的に出るものであって、
レース中の部品の交換は、致命的なタイムロスであり、
そのレース中の部品交換を前提としたレースなど、レースとは考えられなかった。
そういうことかもしれない。

 

それはレースの中で長年生きてきた人たちの本能的な行動であったのかもしれない。
レースとは勝つために出るもの。
だから、負けることを前提とした出走準備は考えられない。
そういうことかもしれない。

 

私達の十勝24時間レースへの参加の動機は、
まず「出て見たい」であって、
その次に「出来れば完走したい。」であった。
そして、完走することで、ひょっとしたら多数のリタイア車でも出ていれば、
まぐれで表彰台なんてこともあるかもしれない。
ということであった。

 

しかし、私たちは
田中さんのチームの力を借りなくては出ることが出来ず
スーパー耐久シリーズにレギュラーして出場している?17をつけて出場した。
ということは、
レースとしては公式に?17が出場しているわけで、
シリーズからすれば、彼らはレースをしに来ているのである。
だから、いくら今回の十勝への参戦が、
勝てなくても、とりあえず完走を目指し、
出来れば安く済ませたい。ということであっても、
レースに参加しているものとしては、
「壊れればレース中に交換すればいい」と、“勝つ”という発想からすれば逆の発想には
なれなかったという事、かもしれない。
レースを糧にしているプロと、
「出て見たい」の私の発想の違いが、根本的に食い違っていたのだろう。

 

結果として、
私達のインテグラは“完走”することが出来た。
ひょっとして、決勝前夜にあの膨大な部品が換えられていなかったら、
完走できなかったかもしれない。
あるいは、何度かの修理を伴って、もっと後ろの方での完走であったかもしれない。
あるいは、何も交換しなくても、何も壊れない完走であったかもしれない。
それは判らない。
しかし、結果として、
私たちは、多くの部品を交換した車で、
部品が壊れることでのタイムロスなしで、完走することが出来た。
それが結果である。

 

私には、彼らの心情を知ることは出来ない。
しかし察することは出来る。
私が田中さんからの一つ一つについての説明を聞いて納得することが出来たのは、
多分そんなことであったのだろう。

 

私は、田中さんからの説明で、納得した。
理解できなかった部分を、納得の上で、理解できたと思っている。

 

これで、やっと十勝が本当に終わったような気がする。
気持ちよく終わったように思っている。

 

そして、終わったあとには、
24時間を完走したNプラス仕様のインテグラが一台と、
決勝前夜にはずされた中古の部品、
まだ壊れてはいない中古の部品がほとんど一台分
ひょっとして今度走る時には、
予備の部品となって使える部品がほぼ一台分、残った。

 

田中さんいわく、
「これで、私と同じ体制になったということです。
すぐにでもスーパー耐久のレギュラーレースに出れますよ。」

 

なんというか、どういうか、
複雑な心境となった私であった。

 

田中さんの説明で納得した私たちは、
夜の博多に飲みに出た。
毎度の安居酒屋である。

 

生ビールを三杯ぐらい飲んで、気持ち良くなった私は、
毎度のことながら、
「せっかくスーパー耐久に出れるんなら、出ましょう。
来週の岡山TI戦は無理にしても、次の十月、仙台SUGO戦には、私も出ます。」
などと軽率なことを、無邪気に叫んでしまった。

 

今の仕事の状態で
決して出ることなど出来るわけがない仙台SUGO戦に、
本気で出たいと思って、そう叫んだのだろう。

 

それを聞いて田中さんは苦笑い。

 

 

無理だとは解っている。
本当に解っている。

 

今は広島のホテルの部屋。
昨日、名古屋から福岡に飛び、
福岡で田中さんに会い、話をして、しこたま飲んで、
今日の朝、福岡で仕事をしたあと、
下関で一件仕事をして、宇部市に向かった。
宇部での用件が終わったあと、今度は小郡、今の新山口駅の裏で
待ち合わせた畠中と山本の三人で晩御飯を食べて、広島に向かった。
明日は一番に広島で仕事をして、昼には神戸、それから伊丹に向かい、
夜帰る予定ではいる。
なんか、台風から逃げて回っているようだ。

 

ひょとしたら、どこかで台風につかまって、
新幹線の中で缶詰になりはしないかと、ちょっと心配である。

 

下関のお店であったかわいいワンちゃん。
「メロン」という名前であるそうだ。
私の顔をいっぱいナメテくれた。

 

 

福岡に飛んだときの、上空の雲。
高く上がっても、こんな雲があるときには、よく揺れるんです。

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

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