谷 好通コラム

2004年03月28日(日曜日)

919話 ノービザの中国

今回の上海出張は、私と荻野部長にとっては出張であったが、
李さんにとっては引越しであった。
アイ・タック技研の社員として、上海での仕事が始まる。

 

李さんは、3月24日に卒業式があった。
名古屋文教大学の“何とか文化史”という4年過程を無事卒業した訳だが、
なんと、“首席の成績”での卒業で、
卒業式では、演台に上がって卒業生代表として挨拶をしたそうだ。

 

1月に卒論の発表を終えて、1月半ばから快洗隊・安城店で実技研修を
凍えるような寒さの中でがんばった。
その頑張りは、安城店の藤村店長も太鼓判を押すほど。
3月から営業の研修をしながら、4月末にある上海での展示会のための準備をした。
たくさんのキーパーなどのパンフレットの中国語訳を、根を詰めてやっていた。
途中で上海への出張も3回ほどあった。

 

今年になって「卒論」を書き上げ、発表。
たった2ヶ月ほどの短い時間で、「実技研修」「営業研修」「翻訳」「出張」と
大変な忙しさだったろうと思う。

 

最後の頃は、足の爪が“巻き爪”になり、痛くてビッコを引いていたが
「大丈夫か?」と聞くと、必ず「大丈夫です。」と答える。

 

卒論発表後、しばらくアイ・タックの研修で学校に行かなかったこともあって
卒業式は、久し振りに会った友達とか学校の先生たちと
感動の再会であり、別れであったと言っていた。

卒業式が終わって、すぐ、入国管理局へ行き、
卒業証書を見せて、「就労ビザ」をもらった。

 

その翌日が上海への引越しとなったわけだ。

 

李さんは、「就“学”ビザ」で日本に来ていた。
それが、日本語学校に行き、そして大学に行き、卒業したところで、
その就学ビザが切れる。

 

李さんの場合は、アイ・タック技研への就職が決まっていて、
“通訳”であると共に、
アイ・タックの上海でのビジネスを推進するというきちんとした仕事があるので
「就“労”ビザ」が取得できた。

 

しかしこれは、極めてまれな事であって、
ほとんどの場合、就学ビザで日本に来ていた学生は、アルバイトしかしていないので
日本での就労ビザを取ることはなかった。
取らなかったと言うより、「取れなかった。」
日本で働いている多くの外国籍の人達は、ほぼすべて就学ビザで入国し、
アルバイトとして働いている、グレーな存在である。

 

事実上、日本は就労ビザを出さない。
アメリカ、ヨーロッパなどでも就労ビザ、すなわち、グリーンカードと呼ばれるそれは、簡単には出さないが、
ドイツに行った時、タクシーの運転手などはほとんど中東の人であった。
アメリカでも、ものすごくたくさんの外国人が堂々と働いている。

 

日本での外国人労働者は99%以上アルバイトで、
社員として働いている人はまずいない。

 

私は、就労ビザをなかなか出さない事情は、何も知らないので、
えらそうなことは何も言えないが、
少なくとも、
日本の若者が、せっかく社員になることが出来るのに
「フリーター」と称して、自らアルバイトしかしないというのは
あまりにも勿体ない。
と、思う。

 

李さんは、並々ならぬ努力で勉強し、
アイ・タック技研にとって、どうしても必要な人材であるとして入管に主張して
就労ビザを取る事が出来た。
それもたった1年の期限付きである。
(もちろん継続の手続きは出来る。)

 

中国では、ある一定の年齢ならないと(50歳ぐらいと聞いた)
観光として出国する許可が出ないのだ。
就“学”ビザは、何回も出されることはない。
だから、日本で就“労”ビザが出なければ、
事実上、観光での出国許可が出る年齢になるまで、李さんは日本に来られなかった。

 

李さんは、日本の企業に就職し、すなわち上海と日本でアイ・タックの社員として働く事が、
就労ビザ取得となった。
少なくともアイ・タックの仕事としては上海に引っ越すことで、
また、日本に入国することが出来るようになったのである。

 

今まで、日本に住んで、
通訳のアルバイトとして
一緒に上海に出張に行き、一緒に日本に帰ってきた李さんが
ひょっとして就労ビザが取れなかったら、
少なくとも何十年かは、日本に来られなかったのは事実なのだ。

 

しかし、
今では、日本から中国への入国は“ノービザ”である。
誰でも、好きな時に、中国へ行くことが出来るようになった。
中国には、日本人に対して、
就学ビザも、就労ビザも、観光ビザもない。

 

しかし反対に、中国から日本へ来ることは、非常に大きな制約がある。
なんか変だな。

 

そう思いながら、空港の出国のサクの向こうで手を振る李さんの姿が、
目に焼きついた。
いよいよ上海事務所の本格的な出発である。

 

中国は、ごくごく一部の部分だけ
近未来都市のように化けた。
広大な中国の国土の内の、ほんの一部の大都市だけで、
そのまた、ほんの一部の部分だけ近代化されたが、
その超高層ビルの下には、50年の格差を持って旧市街地が広がっている。

 

近未来都市上海は、バブルで膨らんだその皮の部分だけである。

 

中国のそのほとんど、
その全部に近いそのほとんどが、
いまだに、鎖国をしていた頃の中国の、ほとんどそのままなのである。

 

 

また、そのことをよく分かっていず、
高速道路の柵の上の部分に覗いている超高層ビルだけを見て
その下に、その周囲に延々と広がる本当の中国を見なければ、
たぶん、何をやっても失敗するのであろう。

 

そんな中国が、少なくとも外からの鎖国はいっさい解いた。
ノービザなのである。
日本と中国の相互関係においては、
中国は、日本よりも自由に出入りできる国になっている。

 

だからこそ、これからの可能性が大きいということでもあるし、
その可能性を開こうとしている、ということでもあるのだろう。

 

そのことをしっかりと肝に銘じて、上海を仕事の場としたい。

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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