谷 好通コラム

2004年02月29日(日曜日)

901話 ふと、思ったこと

ふと、思うことがある

 

自分はもう51歳
あと3週間で52歳
母の体の中に、ひとつの細胞として発生してから52年と約10ヶ月
この世に生まれ出てから約51年11ヶ月半経ったわけだ

 

現役として働けるのは
あと20年
ひょっとしたら、あと10年
残されたたったそれだけの時間に、私は何が出来るのか
あるいは、何をすべきなのか

 

そんなことを考えて行動する年齢になった

 

大昔ならば、人生50年
もういつ死んでもいい年齢であって
「たった52歳ぐらいで、そんな辛気臭いことを考えるものではない
50歳代なんてまだ若造だ」
という元気発言は、それはそれとして
客観的に見れば
そんなことも考えて行くことはおかしいことではない

 

少なめに考えれば、あと10年
何があるか分からないので、少なめに考えてちょうどいいぐらい
その10年間をどう使うか

 

ここまでやってきたのだから
あとは、自分のためだけに10年を使うか
それならば、会社をもうちょっと大きくして、安定させて
しかも、可能性も膨らませて
投資家にとって魅力のある企業にしておいて
いい値段でM&Aをすればいい
その金を10年ぐらいで使い果たすつもりならば
何とか自分がやりたい事を少しはやって、のんびり暮らすことも出来るだろう
あるいは、遊ぶこともいいだろう

 

 

この会社がM&Aの対象になるような企業であるのかどうか
それはやってみなければ分からない
しかし
M&Aは、多くの企業家が取っている正当な手段であり
特に後継者がいない場合には
大きな企業にM&Aすることによって会社が安定し
社員の幸せにつながるかもしれないという意味では有効な手段である
M&Aは、決して利己主義的な行為ではない

 

しかし、実際にはそうはしたくないと思う

 

この会社、自分なりの価値観を持ってここまでやってきた
社員の人達も
1つのあるべき姿を目指して、みんなでやってきた
一生懸命働いてきたのは
ただ単に生活の安定のためだけではない
それぞれの価値観においての理想を持ってやって来たのだ

 

「日本に新しい洗車文化を!」ということ
ここまで来たら
どうせなら
その理想を叶えたいではないか

 

行くところまで行きたい
やれるだけやって、休めるものなら休めばいい
いや、別に休まなくたって何も損するわけではない
夢が叶うこととは、この上ないロマンであり
生き方として、魅力的である

 

 

899話に出てきた不動産の杉浦さんが
こんなことをおっしゃっていた

 

「私は以前、大きな仕事を成し遂げたあとの一時期
仕事の量を意識的に絞った事がある。
激しく仕事をした後だったので、しばらくはのんびりしたいと思ったんだよね。
だけど、本当にのんびりとしていたら
すごく、つまらなくなってきて
何もする気がなくなってきて、とうとう “うつ”みたいになっちゃったんですよ。

 

それで、これはイカンと思って、
今度は意識的に仕事をいっぱいやるようにした。
そうしたら
自分でもはっきり分かるぐらい、グングンと“うつ”のような状態が直っていく
仕事をバリバリやるようになったら
結局、あっという間に直ってしまったってわけ。

 

仕事に忙殺されていた時は、いつも“のんびりしたい”と思っていたんだけど
いざ、のんびりして見ると
何ともつまらない
つまらないどころか、精神的に異常をきたして来るぐらい苦痛なんだね。これが
人間、バリバリ仕事をしていて、たまに遊ぶから面白いようで
のんびりしちゃうのは、かえって良くないみたいだね
人間、色々とタイプあって、その人によって違うのでだろうけど
そういう意味では、谷さんなんて、絶対、のんびりなんて出来ないタイプだよ。」

 

う~~~~んっ、そうかなぁ、自分は違うと思うけど・・
やるところまでやったら、“のんびりしたい”
そう強く思っていた私に、杉浦さんは
「そんなのつまらない」と言っているわけだ

 

実際に事業に成功している人が
実際に“のんびり”してみて
実際に「つまらなかった、むしろ苦痛だった」と言っている

 

これは説得力のある話
杉浦さんの血液型はA型、私の血液型もA型(これはあまり関係なんか)

 

ホントは、あと4~5年間ぐらいはアイ・タックで頑張って
もう4~5年、他の仕事をバリバリやって、しっかり遊んで
合わせて10年張り切って生きて
あとはのんびりと、と思っていたが
そんなのは“つまらない”と言われて、少なからず困惑している

 

 

・・・・
昨日と今日、老夫婦の家に行った
義父母である
鹿児島の山の中にある田舎に住んでいる
元・専業農家である
義父が83歳、義母が80歳

 

その義母が、持病の背中の痛さに耐えかねて入院したと聞いた
私は鹿児島には、もう何年も訪れていない
こんなことでもなければ訪れないことを恥じながら鹿児島まで来た

 

老夫婦には4人の子供がいて、すべて外に出ている
しかし、その中でも一番下の三女がすぐ近くの農家に嫁入りしていて
地元で保健婦をしていることもあって
ちょくちょく老夫婦の家に来て献身的に世話をしてくれている
だから、つい、それに甘えていたのだ

 

鹿児島の老夫婦は
田舎でも稀な専業の農家で
七十歳台半ばまでは
牛を2頭飼っていて、繁殖させた子牛を売っていた
それに、蚕を育てて繭を売ったり
田んぼで米作もやっていた
畑も少々
夫婦とも一年中休みなく働いて農業を営んでいたが
農業での現金収入はわずかであり、以前、その年収を聞いて絶句した事がある
出稼ぎをすれば、現金収入が入るのだが
「私は農業が好きで、
土方で出稼ぎに出るのは、本当に嫌いで
お天気と相談しながら妻と一緒に仕事をするのが楽しかった」という

 

特に、牛の世話は大変で、毎日畑に行って燕麦(えんばく)を刈ってきて
配合飼料と共に餌やりをし、掃除をし、体をブラシで擦る
牛は、毎日欠かさず世話をしなければならない
散歩は、鼻輪につけた手綱と掛け声だけで
自分の体重の何十倍もあるような親牛で
私たちには触らせもしないような気の強い牛でも上手に操っていた
昔、その散歩姿は、牛も彼も、実に楽しそうであった

 

夜が明けて、起きて
洗面をして、朝ご飯を食べて、仕事に出かけて
日が沈むまで働いて
外から帰ってきても牛の世話をして
五右衛門風呂を沸かして、汗をさっぱり流し、晩ご飯を食べて
好きなテレビを少し見て
大好きな読書を好きなだけして
午後8時か、9時ぐらいには寝る

 

雨の日はやる事がなければ、もっぱら読書

 

貧しいながらも、4人の子供を育て上げ
すべての子供を立派に社会人にして
4人とも外に出てからは、妻と二人暮し
老夫婦とも、ほんの何年か前まではものすごく元気で
なんでも自分達でやって
たまに子供たちが、孫たちを連れて遊びに来るのを楽しみにしていた

 

年が経ち
二人とも老いた
体力がなくなってきて、足が弱ってきて、
一番重労働であった牛を飼うこともやめて
蚕もやめて
田んぼもやめて
やがてすべての農業の仕事をやめた

 

80歳を越えた今では
不自由になってくる自分の体を巧みに操って
一生懸命、生きている

 

彼を病院に連れて行った
入院した妻に一週間ぶりに会ったとき
お互いのことを心配しあって
言葉を交わす

 

病院に入って、妻の背中の痛みがかなり直ったことを聞いて
ことのほか喜んだ

 

なんと純粋な生き様であろう

 

晴耕雨読、大地と共に仕事をして
物に対する執着とか、名誉欲とか、権力欲に惑わされず
その収入がわずかなものであっても、それを大切に使い
体が動く間は、何のためらいもなく働き
読書にいそしみ
四人の子供を立派に社会に出した

 

そして、体が不自由になってきた時
実に見事にそれに順応しながら
こちらが不自由であることを忘れさせられてしまうように
一生懸命生きている

 

ふと、思った
「彼らこそ、人生の勝利者なのかもしれない。」

 

私はその姿に深い感銘を受けた

 

彼が言った
「仕事が出来ないようになったら、日が長くてね。それが一番つらい」と

 

「あと、何年か働いたら、のんびりしたい」
そんな私の思っていたことが恥ずかしくなるような言葉であった

 

働けるうちは働いたらいい
それが一番幸せなような気がしてきた

 

 

※雨の中にたたずむ老夫婦の住む農家
かつては、4人の子供たちが走り回り
にぎやかな家であった

 

 

二頭の親牛と、ある時は二頭の子牛までがいて
にぎやかな牛小屋であった

 

 

大きなお蚕小屋、今はもう使われていない

 

 

家には猫が勝手に住み着いていて、ミャーミャーと鳴いていた

 

 

庭にはキジが住み着いている

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

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