谷 好通コラム

2004年01月20日(火曜日)

875話 米国人と中国人

東京への出張
新幹線の中で書き始める

 

アメリカの人たちはカッコイイ
いかにも映画の中に出てきそうな感じで、思わず「カッコイイ」と思ってしまう
Tシャツを着ていても、サマになっているし
キチンとスーツを着こなしていても、体自体がでかいし、肩幅があって
堂々としている
道で客引きをしている黒人だって
その口からラップが今にも出てきそうだし
体の動きがいつもリズミカルで
とにかくカッコイイのだ

 

アメリカ映画を見る事が多いので
そう感じるだけなのかもしれないが

 

白人でも黒人でも
それぞれがスタイルを持っていて
カッコイイと感じる

 

それは、米国に住む日本人にまで同じものを感じる

 

射撃場“WFV”のオーナー「山本さん」もそうだ
背は小さい方だが、実に堂々としていて存在感がある
奥さんもそうだ
ものすごくチャーミングで、魅力的だ
二人とも日本人的ではあるのだが
その存在感はアメリカ人に通ずるところがあって
不思議なものを感じさせる
かっこいい

 

その中にあって
私を含めた日本人は、何か“貧弱”な感じがする
グァムの街の中で
日本人のグループが歩いていると
遠目に見ても、すぐにそれが日本人であると分かる
どの人も同じような格好をしているのだ

 

アロハのようなシャツにバミューダーパンツをはいて
足はビーチサンダルか、ランニングシューズ
必ずグループになって歩いている
あるいはカップル
いかにもレジャースタイルで、あまりにも同じスタイルで、まるで制服のように見える
若い女の子は、いずれも体を強調するスタイル
出来るだけセクシーにと見せることを意識しているのか
その露出は痛々しさを感じる

 

一人でひょこひょこ歩いているのは私ぐらい(自慢にもなりゃしないが)
私は普段の半そでシャツに綿パン、そして革靴
こんなカッコに革靴はおかしいのだが
私の革靴は身障者用の特別製の靴
今のところ、この靴以外には履けるものがない
だから、しょうがないのだ
多分、休みの日にコンビニに行くときも同じ格好だ
変な格好
日本人の制服のようなレジャー着ではない
しかし、それでも
自分もいかにも日本人に見えるだろうなと思う
その証拠に客引きから声をかけられる

 

日本人の匂いがするのだろう

 

グァムは観光地であり
日本人はほとんどすべて観光客
そして多くの人が初めての地であり、不安もある
チョッとひ弱に見えるのは、そのせいである

 

そしてそれを迎え入れるアメリカ人たちは
地元の人間であり
いつもの街での、いつもの生活の場
生き生きしているのは当たり前
白人でも、黒人でも、先住のチャモロ人でもそれは同じだ

 

だいいち、グァムはアメリカであり、みんな英語をしゃっべっている
片言の幼児までが、英語でアブアブと言いながらしゃべっているのだ
当たり前の事ながら
思わず
「あんな小さな子供まで英語しゃべってる」
なんてバカなことを感心したりする

 

日本人も義務教育から英語を習っているが
普通に英語を喋ることが出来る人は10%もいない
基本的に、私たちは英語にコンプレックスを持っている
だから
英語圏の国に来ると、おどおどした感じになってしまうのか

 

もうひとつ
グァムにはフィリピン人も大変多い
フィリピンは英語が国語なので
みんな何の不自由もなく英語をしゃべっている
だから
フィリピンの人はグァムの社会の中に溶け込んでいて
まったく異質な感じを受けない
しかも
フィリピン人は地元のチャモロ人はよく似ていて、私たちには区別がつかない

 

いずれにしても
英語をしゃべっている人たちをカッコイイと感じるのは
自分の英語に対する中学校的なコンプレックスと
アメリカ映画のかっこ良さに対する
コンプレックスの裏返しであろう
文化そのものに、私たちがコンプレックスを持つべきものは何も無い
彼らも、私たちと同じように
カッコつけるのが精一杯とも言える
ただ、それが映画的であって、カッコイイと見えるのであろう

 

そういう意味で言えば
ぜひ、映画「ラスト サムライ」を観ていただきたい
あれほど西洋文化伝来以前の日本人を
美しく描いた映画は他には見たことがない
久し振りに感動した映画であった
英語コンプレックスを吹き飛ばしてくれる映画である
(しかし、主人公の渡辺謙は英語をしゃべっていたが)

 

 

・・・・・
対して中国人

 

上海で感じたこと
混雑した道路を走っていれば
ちょっとでも先に出ようと車の頭をつッ込み、割り込んでくる
相手が不快であろうと平気でクラクションを鳴らしてくる

 

「自分さえ良ければ、それでいい」
道路を走っていると、特にそんな風に思える

 

商売の話をしていても
目先の利益のことが気になって
将来へ向けての展望の話など、あまり興味がない様子
今が良ければそれでいい、って感じ

 

刹那的なものを感じることがある

しかし、考えて見れば
中国と言う国
侵略と、殺戮の連続の歴史の国である

 

紀元前からの内戦の連続と
長い植民地としての時代
人民の救いであったはずの毛沢東による革命も
史上最大の粛清を伴っていたという説もある

 

世界で一番豊かである大陸は
究極の権力争いの舞台でもあった
権力者のおもむろな意思によって、人民の運命は翻弄されてきて
人民は、自分が生き延びるためには
自分の意志とはまったく関係なく
自分がどう振舞えば良いのか、どう言えば、どう思えば
自分が、自分の家族が、自分の一族が生き延びられるのか
必死に闘って来た

 

強大な権力とは
民衆のためという価値観から出発はするが
それが強固になる過程で独裁者の必要性が生じた瞬間に
そのシンボライズされた固有の権力者のためだけに存在するようになる
これば、ありとあらゆる独裁の歴史が物語っている

 

そして、そんな形で強大に成長した権力は
必ず、民衆が自分を自分として生かそうとした時に
圧殺する方向で働くことを
人民一人一人は知っていて
人民は権力に対して従順であることを身に付ける
それは、自分の、自分の家族の、自分の一族の“ために”である
ある時は生存のため
そんな切実なものであった

 

だから
そのタガが外れたとき
つまり、
みんなは一斉に、自分のため、自分の家族のため、自分の一族のために
損得勘定に走る

 

それは、圧倒的な権力によって圧迫されてきた時代に対する
当然の回答なのであって
特に中国の場合は、それが何千年もの歴史の中で作られてきたもの
簡単に揺るぐものではないのであろう
「自分のため、自分の家族のため、自分の一族のため」

 

中国とは “中華人民共和国”
中国人は民族として「中華」の思想を持っている
中華の「中」は、中心である意味であり
中華の「華」とは、誇りある民族であり文明であり、文化である
つまり、
中華民族とは世界の文明と文化の中心である存在なのだ

 

中国人の奥底に広がっているこれが
中国の文化の根本であるような、そんな気がする

 

 

映画に出てくるように
かっこいいアメリカ人

 

対して、自分のため、家族と一族のために働く
でも、ガサツな感じがする中国人

 

どっちが良いのか

 

人はみんな、それぞれなのだ・・が
どちらかと言えば
私は、中国の方が好きである

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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