谷 好通コラム

2003年11月27日(木曜日)

842話 その気になった。

※今日は、名古屋⇔小倉の往復で
合計6時間以上も新幹線に乗った
たっぷりの時間で、話を2つも書いてしまったのです。

 

 

 

来年のスーパー耐久シリーズに
まったく無謀にも、私自身も出場することにしてしまった

 

クラスは、C-4インテグラ
田中選手たちが今年乗ったGr.Nプラスよりは下のクラス
スーパー耐久の中では一番遅いクラスだが
それでも、今乗っているレビンとは桁違いの速さである
チームとしては
田中選手のNプラスインテグラとツーカー体制だ

 

今年1年、スーパー耐久レースを見ていて
そのレベルの高さをひしひしと感じた
やっぱりMINEでの草レースとは、まったく違うレベルで
とても、私なんかが首を突っ込むレースではないことは分かっている

 

草レースで、やっとどん尻を走ることが出来るかどうかの
そんな情けないオッサンが
日本最高峰の耐久レースに出場して一体どうするのか

 

また、そんなことをしている時間があるのか

 

色々考えたが
今日、メカニックの岩永さんの工場に行って
田中さんと岩永さんと話をした
それで、やっぱり出たいと思ってしまったのだ

 

べつに、二人から一緒に出ましょうとか
おだてられたとか、そんな事があったわけではない
むしろ、その大変さを教えてもらっただけ

 

チームとして一緒に出場するのは
畠中修と山本信
二人ともそれなりの資金を、無理してでも出して出場したいと言う
当然、借金してのことだ
二人とも、一年間、人が走るところを見続けて
「自分も走りたい」の気持ちが
自分を抑えきれないほど高まってしまったのだろう

 

恥ずかしながら、私もそうだ
その気になってしまった
どうしても走りたい!
強烈にそう思うようになってしまった

 

3人で走るということは、ツーストップで走ることになる
ワンストップが常識のスーパー耐久レースでは
勝負は度外視するということになる
今年は、まず出場することに意義があるということか
出場も、たぶん2レースか3レースどまりになるだろう
お金も時間もそれほどまでには無い
レースカーも、中古の車を改造にして使う
必要最低限の体制だ

 

私は、来年が色々な意味で限界と自分で思っているので
その次は無い
彼ら二人は、来年の経験を生かして
ひょっとしたら、再来年も出場するかもしれない
そのためには必死に働いて
再来年も出ることが出来るだけの仕事をしておかねばならない
それは、本人が一番知っていること

 

先日、MINEで17番インテグラに乗った事がある
制限が多かったことはあったとしても
その時、私にはとても手に負える代物ではないと思った

 

それでも、レースを見ていたら
どうしても乗りたくなった
抑えようの無いものとして、胸の中に渦巻いている

 

インテグラに乗った後の私の後姿
本人も意識していなかったが、やはり肩が落ちている

 

 

私には、彼のようにうれしそうな顔はとても出来なかった

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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