谷 好通コラム

2018年07月06日(金曜日)

7.06.君はずっと君だ。ずっと可哀そうでいいのか

ハンディキャップは、
それを持った人が、そのハンディを克服する意思を持った時、
ハンディはその人にとってむしろ力に成り得るが、
そのハンディを逃げ道に使うと、
そのハンディはその人にとってはただの弱点であり、
マイナスにしか成り得ない。

 

 

55年も昔の事、
多分、私が中学校の二年生の夏でした。

 

私は足の不自由があったので、かけ足は全校で一番遅く、
何をやらせてもへたくそでカッコ悪く、
体育の実技の時間がみじめで大嫌いでした。
ある日、
その体育の実技の時間に、
服を着替えずにグランドに出て、体育の小島先生に、
「僕は足が悪いので、今日は痛いし、実技の時間を休ませてください。」
そう言ったら、
小島先生は私の事を可哀そうがって「ああいいよ、休んでいなさい。」
と言うかと思ったら、
「谷は自分の事がかわいそうか?」と言った。私は「えっ?」と聞き返した。
「君に厳しくできるのは、君しかいない。
足の悪い君に対して誰も厳しくは出来ない。俺も出来ない。
君に厳しく出来るのは君だけさ。その君が自分を甘やかしたら、
自分はどんどん可哀そうになるだけだ。
君はずっと可哀そうでいいのか。
足が悪いだけじゃないか。痛いだけじゃないか。
君は君だろう。
君は君から逃げられない。
君はずっと君だ。ずっと可哀そうでいいのか。」

 

暑い真夏のグランドの真ん中で、
真っ黒に日焼けした筋肉質の小さな小島先生は、
小さな声で、真剣な顔で、私を叱った。

 

私は涙が止まらなかった。
白い体操着に着替えに教室に向かった。

 

あれから私は体育の実技の時間をさぼろうとは思わなくなった。

 

高校に上ってから
相変わらず足の速さは全校で一番のビリだったが
柔道部に入って黒帯も取った。
一本の足が不自由だった私の柔道は思いっきり変則で、
段取りの月例会で初めて私と当たった他校の人は、
私の超変則柔道に慣れる前に、
私唯一の得意技「左の内股」で、いとも簡単にひっくり返された。
“何人抜き”かをして初段になった。
もう一つ自信があったのは寝技。
寝技に引き込んで負けたことはほとんどなく、
名古屋の市制大会で、ベスト8になったことがある。

 

あの頃から私の左足は私の弱みでもコンプレックスでもなく、
ただ単に悪いだけであり、痛いだけになっていた。
社会に出ても、立ち仕事の代表のようなガソリンスタンドにあえて入って、
遅いながらも仲間と一緒に走り回っていた。

 

しかし、私も歳とって、筋肉が劣ってきたら、
関節の変形が進んでしまって、
この歳になって改めて弱点になり、致命的な弱みになりつつある。
しかし、誰も私に走り回ることを要求しないし、
立ち仕事をすることを当てにはしなくなっている。

 

もう、セーフかもしれない。
小島先生、もういいよね。

ページのトップへ ページのトップへ

  • 最近の記事

  • プロフィール

    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

  • カレンダー

    2024年4月
     123456
    78910111213
    14151617181920
    21222324252627
    282930  
  • リンク集

  • 過去の記事

  • RSS1.0

    [Login]

    (C) KeePer Giken. All rights reserved.