谷 好通コラム

2023年05月06日(土曜日)

05.06.私はあまり「夢」を見たことがない。

私は睡眠が深いからなのか、いわゆる睡眠中に見る「夢」を見ない。

まったく見ないことはないのだが、滅多に見ることがない。

 

その事と関係ないのかもしれないが、

「‥になりたい。」とか「・・・をしたい。」という意味の

自分の志という意味での「夢」も、あまり見ない。

 

あえて言うならば、私は四歳の時のポリオで足に不自由があるので、

若い時は体力で何とかなってしまうが、

年を取ったら、

足を使わなくてもいい仕事になっていないと困るとは分っていたので、

いつまでも現場にとどまることは出来ない。

だから、いつかは”立たにい仕事”になりたい(orならなくてはいけない)。

これは「夢」とは違うが、

宿命としてずっと持っていた。

ある意味、そのために起業したようなものだ。

 

どこかの会社に勤め続けていると、

そこで、どんな仕事をするかは最終的には自分の意志では決められず、

自分の上司、それも自分が認めていない上司あるいは経営者であっても

彼らに自分の運命を決められるのが、ものすごく嫌だと思った。

自分の弱点が足にあるので、

わざわざそこを突いた人事でもされたら、

私はその会社を辞めざるを得ない。

だったら、自分ですべてを決めざるを得ない起業をするしかないと思った。

 

何か大きな夢を持ち、

胸を膨らませて起業したのではなく、

自分の人生、他人に運命を決められたくないと思って起業した。とも言える。

 

起業して、

ガソリンスタンドの運営はそれなりに自信があったが、

そのまま頑張っていても、いつまでも店頭に立っているままだ。

それでは、

「いつかは”立たにい仕事”になりたい」にたどり着けない。

たくさんの店舗を持つ会社の社長にならなくてはいけないのだ。

そして、社長席にドンと座って仕事が出来るようにならなくては・・

 

とにかく二軒目をと思って物件を探し回るが、

32歳の若造が起業したガソリンスタンドに土地を貸してくれる地主はいない。

ならば、土地を買ってしまえばいいと思って買った土地は、

今思うと商売には全く適していない土地で、しかもかなり割高だ。

それでも買うしかないと思って132坪、6,600万円を借金で買ったのです。

 

しかし、

買って、その土地にガソリンスタンドを建てようとしたら、

ガソリンスタンドを造っても、

そこで一年以上、正規マークのガソリンを売れないことが解かった。

当時あった「特定石油製品暫定措置法(今でも憶えている)」で、

日本全国のガソリンスタンドの総数が限定されていて、

一軒の新しいガソリンスタンドを営業しようとしたら、

既存のガソリンスタンド一軒の廃止”枠”が必要だったのです。

それでも、何とかなるだろうとタカをくくって、

ガソリンスタンドの設備を建てる工事を続けてしまったのです。が・・・

世の中はそんなに甘くはないので、

結局、ガソリンスタンドの建物完成後も”枠”は取れず、

完成後も、ちょうど1年間、ガソリン無しのガソリンスタンドだったのです。

 

もちろん、そのガソリンスタンドの建築費は借金です。

土地買い入れの借金と、建設費の借金は

1軒目のガソリンスタンドからの収入から払っていくしかないのですが、

2軒目のガソリン無しのガソリンスタンドからの収入無しでは無理です。

 

「2軒目のガソリン無しのガソリンスタンド」で、

どう多少なりとも収入を得ていこうかと考えていた時、偶然見つけたのが、

そのころ始まったばかりのカーコーティングの技術研修の募集記事。

よく分からないが、

とりあえず横浜まで走って行きました。

そこからが、今のカーコーティング事業の始まりです。

 

そこからの波乱万丈、紆余曲折、どんでん返し、は、

ただの一つもドラマチックなことはなく、地味で、口惜しいことも多く、

かっこ悪いことばかりで、思い通りに行くことなど一つもない、

ジタバタばかりをし続けた長い時間であった。

 

そこからどこが転機になって今のような事態になってきたかというと、

何が決定的な転機であったのか、思い当たらないのです。

長い時間の中で、たくさんの人と出会い、

転機とも言える人との出会いもあったのですが、

真似をさせていただいたことは多くあっても

そういうキーマンにも身を託す(頼る)ようなことはせず、

その時、その人、その事態に対して、

やるべき事を、やるべき時に、やるべき方法で、躊躇せずにやり続けたら、

山ほどの幸運と一緒に、

こういう状態、こういう結果になっているということです。

 

これを一言でいうと、

この会社がこんな風になっているのは、

「こう、なっちゃった」からなのです。

 

だから、何か素晴らしいことを夢見て、

夢を目指して、まっしぐらに来たのでなく、

その時にやるべきと思った事を、ジタバタとカッコ悪くやっていたら、

「こう、なっちゃった」のです。

ただ、やるべき事の中には、

いつもきちんと自分と仲間たちとお客様がいました。

 

 

三十年近く昔、

二軒目の店舗として買った132坪、6,600万円の土地は、

二年前にそれよりもだいぶ安くで売りました。

先日、LABO知立店から刈谷店へ移動する時に、久しぶりに見ました。

使い勝手が悪かったと見えて、

右の30坪くらいを使わないまま、

奥にもう一軒ある変な住宅の展示場になっていました。

建売住宅で売れなかったのでしょうか。

 

平成元年にオープンした

ガソリンを売っていないガソリンスタンド構造の、

株式会社タニ2軒目の

コーティングと洗車とタイヤの店「クリーンベースWith」

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

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