谷 好通コラム

2007年02月18日(日曜日)

1578.シンガポール航空

ロサンゼルスに向かって出発するため、
中部空港から成田空港へ飛行機で飛んでいる。

 

飛行機の中は半分以上が外国人である。
超満員。びっしりの満席である。
今日は日曜日、
日本に帰ってくるのは日本人で、
日本から母国へ帰って行くのが外国人ということかもしれない。
国内線でこんなに外国の人たちが多い飛行機に乗るのは初めてだ。

 

わずか45分の飛行なので、これを書けるのもほんの少しの時間だけ。
しかし周りで外国語が飛び交っている中、
一人の私はつまらなくなってつい書き始めた。

 

ロスへは私だけでなく開発の森君も一緒なのだが、
いつものように出発40分くらい前にチェックインをしたら、
満員で、席を選択する余地が無く、バラバラの席になってしまったのだ。
私が15B、森君が27C、
私のBは両方から挟まれた真ん中の席である。
森君の27Cは通路側の席であるが搭乗機B-737の一番後ろの席。
太っている私は真ん中の席は辛いし、両側の人も迷惑なので、
痩せている森君と席を替わってもらった。
だから、私は今、
外国語が飛び交う最後尾の席で、パソコンをポソポソと打っているのである。
今回の旅は、どうも最初からしんどそうな雲行きである。

 

ロサンゼルスへはシンガポール航空のビジネスクラスを取った。
HISという格安チケット専門の会社で、
往復ビジネスクラスで二十数万円。
世界で一番機内サービスが良く、
使用機も最新型をいつも使っているシンガポール航空は、
値段が高いこともみんなが知っていることである。
なのに、
HISで買うと、シンガポール航空がイヤに安いのである。
全日空、日本航空の便などの40万円弱の値段に比べて半額近いのだ。

 

台湾のチャイナエアーラインとか、韓国のアシアナ航空では
中部⇔ロスへの往復で16~17万円ともっと安いが、
一旦、台北空港とかインチョン空港に寄ってからであり、
シンガポール航空のように直行便ではないので、恐ろしく時間がかかる。

 

どういうわけなのか解らないが、
いやにシンガポール航空が安い。
エコノミークラスならば“往復で”7万円ぐらい。
下手をしたら国内便の中部⇔札幌よりも安い。

 

日本の空港会社が異常に高いのか。
シンガポール航空が何かの理由で安くなったのか。
解らない。

 

中部空港を出発する時、空は晴れ上がっていた。
成田行きのJAL機。

 

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2005年06月13日(月曜日)

1191.シンガポール雑感

日本の本屋で買ってきてもらったシンガポールのガイド本によると、
シンガポールは、自由貿易と税金の大幅軽減の政策によって、
驚異的な経済発展を遂げたとあった。

 

香港もそうであったように、
経済活動において、
関税と所得と消費に対する大きな税金は、概してマイナスの素であるようだ。

 

これは、実際に貿易に多少なりとも関わり、
実際に会社を経営してみて、
買い手に5%の税金が一律にかかり、
その会社が生み出した利益(所得)に大きな税金(48%)がかかることを体験し、
実感として思うことである。

 

何にでも税金がかかってくると、
消費者に安く物を提供することが出来ない。
“身動きが取れない”という圧迫感を感じることがよくある。

 

特に輸出入には、税金以外にも課税のための手続き費用という形で、
少なからずコストがかかってくる。
税金を掛けるために更なるコストがかかることは、
何か理不尽なことに思えてくるのだ。
ちょうど、
都市高速で高速代を徴収するための料金所で、
ひどい渋滞が起きることがよくあるが、
あれは高速道路の高速としての意味を激減させている自己矛盾と同じように思える。

 

シンガポールにおいては、かの昔、
その地理的なメリット活かし、自由貿易港として、
東洋と西洋を結ぶ貿易の中継点となり、急激な発展を見た。
また、それに伴う金融も発展した。
これは香港と同じように、国とは言えないほど小さな面積の国で、
非常に特殊な状態における特別な例であることはわかるが、
自由貿易が実現していることと、
法人税が22%という税金の安い国は、本当にうらやましいと思う。

 

シンガポールの超近代的ビルが並ぶ金融街

 

 

シンガポールは美しい国である。
そして、豊かな国である。
一つ一つのビルが非常によくデザインされて、品が良く
建築のクォリティは高く、
街は隅々まで掃除されており、緑も多い。
人々は表情豊かで、どの顔も幸せそうに見える。
シンガポールは、
絶対的に経済が豊かなのであろう。

 

しかし、狭い国であるだけに車の増加には非常に神経質だ。
台数を抑制するために色々な政策が行なわれていると聞いた。

 

ガイドをお願いしたAngさんから聞いた話。

 

まず、
シンガポールでは車の税金が恐ろしく高く、
私たちが日本で買う乗用車の値段の2倍になると言っていた。
しかも、毎年の新車登録の数が決められていて、
その枠を入札で買うので、
登録だけで2万シンガポールドル(140万円)もかかる。
例えば、ベンツのC180クラスを買うとなると、
車が500万円、車の取得の税金が500万円、登録の枠を買うのに140万円。
ざっと1,140万円かかるというのだ。
日本のカローラクラスでも500万円以上かかる。

 

ガソリンの税金も高い。
シンガポールは、大規模な原油の製油設備を持っていて、
ガソリン等の製品を輸出する国なのだが、
自国の車のための燃料には、たっぷりと税金をかけて、高くしてある。
それでもレギュラーで100円/?と、日本より安いぐらいだが。

 

自家用車に乗ることが金がかかるようにしてある。

 

もう一つ大切なことがある。
これは中国でも痛切に思ったことだが、
タクシーの値段が、日本とは桁違いに安いのだ。
車種は、トヨタのクラウンみたいな車(タクシー版のコンフォート)
そしてベンツのEクラスである。

 

初乗りが2.4シンガポールドル(168円)で、
そこから1メーター・0.1シンガポールドル(7円)ずつ上がっていく。
日曜日の混んでいない街中を10分・5kmぐらい走って、
5シンガポールドル(350円)
街中から空港まで何キロあったのだろうか
高速道路を15分以上、計25分ぐらい走って、確実に15km以上はある。
とにかく相当走って、
15シンガポールドル(1,050円)

 

タクシーを“足”として使える料金になっているのだ。
実感として、日本のタクシーとは桁違いに安い。

 

タクシーを日常の足として使えるぐらいの値段にして、
自家用車を持つ必要性を無くしている。あるいは減らしている。
これなら、自家用車を持たなくても、日常の生活にまったく不便を感じない。
タクシーは街中を十分に走り回っているし、
いつ、どこでも捕まえることが出来る。
タクシーの方も、客が絶えず、高い乗車率で安い価格をカバーしている。
街を走っている車の半分くらいがタクシーという感じがするぐらい。
とにかく、タクシーは多い。そして、便利だ。
中国でも同じであった。

 

タクシーを不自由なく日常的に使えるようにして、自家用車の増加を抑制する。
これば十分に有効な手段だ。

 

それでも、豊かなシンガポールでは自家用車が増えて仕方がない。
そこで、もう一つの渋滞抑制策がある。

 

タクシーに乗っている時、
シンガポールの車のすべてが、面白い物を付けているのを教えられた。

 

 

これ、早い話が日本で言う「ETC」である。
(シンガポールではERDとか何とかと呼んでいた。)
料金回収業務のいらない「プリペイド式」で、
シンガポールでは、すべての車に取り付けてあり、
この運用方法が面白い。

 

高速道路でも、このETC(面倒なので日本名で呼ぶ)は使われるが、
“都心部”に入る箇所の道路にもETCの料金徴収装置が取り付けてある。

 

通勤時間である午前8時から9時半(不確実)の間は、“高い料金”が引き落とされ、
普段の昼間は“安い料金”で引き落とされる。
それが夜とか、休日には、
無料になってしまう。
道が混む時間には、高い料金を取って、なるべく走らせないようにして、
夜間とか休日は、道が空いているので、どんどん走りなさい。
という仕掛けだ。

 

これは、名案だと思った。

 

考えてみれば、この国の人口の78%が中国人だ。
中国人に何かルールを守らせようとしたら、「罰金」が一番効く。
あるいは金がかかるようにすればいい。
これは中国本土でも実証されている。

 

やらせたくない事があれば、金がかかるように税金を掛け、
あるいは罰金を課す。
やってもいいことは、無料。あるいは無税。
その意味で、貿易は国のためになり税金は課さない。自由貿易が基本なのだ。

 

この国では、政府の力が大変強く、
しかも、汚職が極めて少ないので、政府の政策が有効なのだそうだ。

 

ガイドのAngさんが言うには、「シンガポールは真面目の国よ」

 

 

そういえば、シンガポールで有名なのが、
町のどこでもタバコが吸えない事だ。
特に、タバコのポイ捨ては最高1000シンガポールドル(7万円)が課せられる。
観光客誘致のために、町の美化を進めるための法律なのだそうだ。

 

シンガポールでタバコが吸えるのは、
ホテルの自分の部屋の中か、特定のタクシーの中だけ。
あとは、どこもタバコは吸えない。
そう聞いて来た。

 

今回の一泊3日の強行軍の旅で、
ひょっとしたらタバコがやめられるかもしれないと、妙な期待までしてきた。
ところが、びっくり。
街のあちこちにタバコの吸殻入れがあり、その近くならばタバコを吸っていいという。
ホテルのロビーの中にすら灰皿があった。
観光地にはもちろん、当たり前の公園の中にすら灰皿が用意されていた。
タバコは吸い放題と言ってもいいぐらいだ。(持っていた二コレットが無駄になった。)

 

 

一体これはどういうことか。
多分、街中を禁煙にして街をきれいにするより、
ある程度、決まった場所で吸わせた方が、観光客に好評であり、
街もかえってきれいになるということか。

 

インド街で飲んだコーヒーは、恐ろしく甘かった。
コーヒーをカップからカップに何度も“長~く”移し変えて、さます。

 

 

ヒンドゥー教の寺院が美しい。

 

 

露天の野菜がみずみずしい

 

 

もう一つ、日本で聞いていた話と違う点があった。
「マーライオン」が、意外と立派であったこと。

 

マーライオンがあるのは、シンガポール随一の金融街のある港に面したところ。
このちょっと上流には、近代的なビル群と、
昔の倉庫をレストランに改造した新旧のコントラストが素晴らしい景観を作っている。

 

 

マーライオンは、その近代的な金融街を背景にした河口にあった。
なかなかの迫力である。

 

 

日本を出てくる時、
「マーライオンだけは見に行かない方がいい。がっかりするよ」と言われていた。

 

Angさんにそう言うと、
「そんなことありません。前まではマーライオンが置いてある場所も悪かったし、
だいいち、口から水を吹いていない時が多かった。故障が多くてね。
だから、場所をこちらに持ってきて、
像をきれいにして、水のポンプを新品にした。
いいでしょ、今のマーライオンは。」
と、シンガポールのシンボル・マーライオンを自慢した。

 

 

さて、
次回のコラムはちょっとショッキングなことを書く。
シンガポールでの洗車屋さんの実態を見学した時、
びっくりするような事があったのだ。

 

本当は今日書けばいいのだが、
昨日の朝、起きて、
一日中、見学をしたり、観光をしたり、夜はナイトサファリを見て、
そのまま、深夜1時05分発のシンガポール航空で名古屋に帰ってきた。
中部国際空港到着は朝8時15分。
飛行機の中では、不覚にもほとんど寝れなかった。
こちらの空港についてすぐに着替えて、東海市で地鎮祭。
そして、午後からも来客が何組かあって、今はこれを書いている。
そろそろ寝ていない時間が、40時間を越える。さすがにバテタ。

 

だから、シンガポールの洗車の「びっくり」は、明日のお楽しみです。

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2005年06月07日(火曜日)

1186.さぁシンガポール!

今朝、朝早く中国の“大連”から名古屋に帰ってきた。
元気いっぱいである。

 

しかし、昨日の夜はとてもつらかった。
と言っても、泊まったホテルがまたひどい所であったという訳ではない。
一昨日のホテルは、二泊の予定をキャンセルして、
昨日は大連・開発区の中の立派なホテル。
“INN FAIN HOTEL”という。
一昨日のひどいホテルと同じ“四つ星”のホテルであるが、
天と地の違いほどの差がある清潔かつ快適なホテルであった。

 

夕方まで元気満々であり、少ない時間でバリバリと仕事をした。
いい事もあったり、誤解からちょっと辛い事もあったが、
仕事は大方うまくいって、
晩飯を廣瀬君と大連の“付さん”と3人で食べる約束をしたのだが、
付さんと別れてから
急にお腹が痛くなって、ホテルのトイレに駆け込んだ。

 

少し下痢気味であった。
それから、何故かしんどくなって、
ベッドに横になってウトウトしていたら、体から力が抜けていくような気がして、
ぐったりとした気分になってしまい、
晩御飯の時間が来ても、辛くて、付さんに電話をして晩御飯の約束をキャンセル。
廣瀬君とホテルのレストランで消化の良さそうなものを少し食べて、部屋に戻り、
ベッドに横になったら、そのまま眠ってしまった。

 

現地時間、夜の8時過ぎである。

 

次の日、つまり今日の朝は飛行機の時間が早いので、
午前5時半に起きた。
前夜寝たのが午後8時過ぎなので、
正味8時間半~9時間寝たことになる。(久しぶりにたくさん寝た。)

 

十分に寝たせいか、今朝はすっかり元気になっていた。

 

あの前の夜、辛かったのは何だったんだろうか。
ただ単なる寝不足であったのか、
気が着かないうちに疲労が溜まっていたのだろうか、
それとも、大連の海辺のレストランで食べた「エビ」がいけなかったのだろうか。
生のエビを中国酒に着けたもので、地元の人でも好き嫌いがある癖のある料理だ。
あれに軽くアタッタのだろうか。

 

久しぶりに、体の芯から“しんどい”と感じた夜であった。

 

このところ、
手がけている仕事が多過ぎてか、
頭が回りきらず、
先がスキッと見えていない感じがすることが多い。

 

ものすごく充実はしているのだが、
今ひとつ達成感が無いまま毎日が過ぎているような気がする。

 

 

わが社のラスプーチン酒部が言った。
「シンガポールに行ってらっしゃい。
11日に出発してシンガポールに行くと、社長にまつわる悪いものが全部取れます。
11日に出発しないと意味がありません。
これは、年に一度有るか無いかの非常に大事な日なんです。
行き先はシンガポール。絶対です。
ぜひ、谷基司常務といっしょに行ってください。
谷常務もすっかり元気になります。間違いありません。」

 

馬鹿馬鹿しいと思いながらも、
こうも断定されると、その気にもなってしまうものだ。

 

で、ためしに旅行代理店に聞いてみたら、
簡単に格安チケットが取れてしまった。
片道五時間余りの中部⇔シンガポール往復が5万円台である。
これなら中部⇔札幌千歳の往復特割り料金と変わらない。
しかも、11日と12日は、たまたま(本当に偶然に)予定が入っていない。

 

しかし、
その旅程はちょっとすごいもので、
11日(土)
・10時半中部国際空港出発
・15時半シンガポール着
12日(日)
・シンガポール在
13日(月)
・午前1時!シンガポール発!
・午前8時!中部国際空港着(仕事が出来る!)

 

土曜日の午後シンガポールに着いて、月曜日の朝、名古屋に帰ってくるのだ。
これを、正味1日半のシンガポール滞在の1泊3日の旅、と言うのだそうだ。

 

土曜日と、日曜日を使って、
月曜日の朝には名古屋に帰ってきているので、
月曜日の予定は何事もなく、こなす事が出来る。

 

これは死ぬほど疲れるか、
ラスプーチン酒部の言うとおり、二人ともバリバリの元気になって帰ってくるか。
どちらかである。

 

いずれにしても、
一度シンガポールには行って見たかった。
金持ちの国シンガポールでどんな洗車があるのか、一日半あれば十分である。
じっくりと見てきてやりたい。
こんな馬鹿な動機でもなければ、なかなか新しい所には行けないものなのだ。

 

しかし、
そう言えば10日に四国高松に行く用事があるので、
ついでに、その夜、佐賀の田中さんのところに行く約束をしていた。
10日の日、
一日で名古屋→高松→福岡→佐賀→名古屋は、
物理的に絶対無理である。
田中さんに約束をキャンセルさせてもらう電話をしなくてはならないが、
本当の理由を言っても信じてもらえるだろうか。
それだけが心配である。

 

大連市内の町

 

 

大連の海

 

 

大連のキーパーがけ

 

 

大連の洗車機(これはびっくり最新に近いダイフク製であった。)

 

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2024年04月03日(水曜日)

04.03.三日間の四月の話といっぱいの写真。

三月の実績について2回連続で書きましたが、

本当は、もう一回分書こうとしています。

しかし三回も連続して書くと面白くないので、

叱られそうだし、いつかまた書くとして、

今日は、

三月月末の日曜日に行ったKeePer LABO安城店と、

晴れの「入社式」です。そして、

また雨が降り始めたけど桜がやっと咲き始めた「吉田小学校」の正門のです。

 

 

まず、

「KeePer LABO安城店」

体制変更で、LABO東海店で目覚ましい実績を上げた桑鶴君が、

店長兼務で課長として入っている。

そのせいか、KeePer LABO安城店は明らかに実績が上がってきています。

何が変わってきているのでしょうか。みんないい感じです。

 

桑鶴店長兼課長。

こざわ君。

まつうらさんと、にへいチーフ。

あかがわさんと、おくの君

いしかわ君

札幌から単身赴任の谷公洋(縁類関係なし)と飯を食べる。

 

そして、2024年4月1日の「入社式」です。

今年学校卒業の新卒での入社が113名で、

昨年4月から今年3月迄の入社でキチンと継続している中途採用社員140名。

シンガポールでの合弁会社の4名。 合計257名が、

関東以東の人は、「埼玉・三郷トレセン」に、

中部の人は「愛知・中央トレセン」に、

関西以西の人は「京都・関西トレセン」に集まり、

それぞれに社長、専務、私が着き、リモートで繋いで、合同入社式です。

 

北から北日本+東日本。

中日本+事務所

シンガポールからの主体である木村さんと4人?のシンガポールメンバー。

 

西日本。京都トレセンにて。

 

小学校の入学式はいつなのでしょうか。

4月1日(月)なら、桜は間に合いませんでした。

4月8日(月)なら、桜は散っているかもしれません。

ひょっとして、

4月5日(金)なら、きっと桜は満開で、桜的にはばっちりでしょう。

 

今日、4月3日(水)現在の吉田小学校正門前のソメイヨシノ。

満開までもう少しです。

しかし、もう今日は雨の中です。

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2024年03月03日(日曜日)

03.03 33話.海外は仕事が一番面白い? でも結局、遊びだったのか?

洗車屋快洗隊からKeePer LABOに変わる前後、全国でKeePerPRO SHOPが爆発的に増えている頃、私は海外出張をいっぱいやった。中国には70回以上行って、アメリカにも20~30回、ドイツにも20~30回。パスポートの有効期限内に入出国スタンプを押すページが足りなくなり期限の途中でページを貼りたして追加したぐらいです。その他にも、オランダ、スウェーデン、フィンランド、シンガポール等々、渡航の為の飛行機代など出張費用は何千万円にもなったはずです。しかしその結果、KeePerとして造られたビジネスは残念ながらゼロに近く、私が自ら嬉々としてやった海外進出の結果は失敗でした。失敗の原因は、その行動の目的を海外へのKeePerケミカルの販路拡大そのもの(つまり、売り込み)で、その結果が失敗でした。

それに対して、国内のKeePerの活動の目的は、KeePerを使うコーティングビジネスの提案であり、KeePerを使う人たちの成功を提供してきたからビジネスが拡大しました。その結果、KeePer PRO SHOPなど施工店さんにKeePerケミカルの供給が拡大され、KeePer技研㈱のビジネスとして成功したのです。つまり、国内での活動と海外での活動では「目的と結果」が逆だつたので国内では成功し、海外では失敗したという逆の結果になったようです。

これを教訓として、新型コロナ禍後の今の海外進出の活動は、まず、海外でKeePerの海外法人直営のKeePer LABOを成功させた上で、そのビジネスモデルを基礎として、海外でのKeePer 事業の成功を進めています。ただしそれは、私はもう体力が無いので、若い新しい社長が中心になっての事です。

 

では、十数年前の約十年間の私の海外活動の失敗を後悔しているかというとそうでもありません。まぁ、莫大な費用と時間を費やしてしまったとしても、掛け買のない教訓を得た訳だし、あれがあったからこその成功がこれから造られるかもしれないので、失敗は失敗としての意味はありでした。十分に。

 

それに、あの頃の海外出張は、毎回どこへ行っても最高にエキサイティングで、とにかく面白かったのです。海外の国には仕事で行った方が生のその国を知り、何よりも、生の生活・仕事を体験し、真剣に人と接し、つまり、その国の人間と同列でそのものの生活の中に体験する訳なので、観光とは別次元の体験をして来れるのです。だから、毎回どこの国へ行っても最高にエキサイティングで、とにかく面白かったのです。あれは結果として失敗でしたが私の人生にとってはかけがいのない経験であり、結局、私にとって最高に贅沢な遊びだったのかもしれません。

 

仕事の合間に、サンフランシスコから車で4時間の

国立ヨセミテ公園に行ったことがあります。

まるで別の宇宙のに来たかのような空間で、感動的だったのだが、

 

その中の巨大なセコイヤ杉の森からの花粉が、

まるで黄色い雪のようで悪魔の粉ように見えました。

日本もいよいよ花粉のシーズンが始まりましたが、

こんなのを見ると、日本の花粉はチョロイものです。

 

 

 

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2023年12月28日(木曜日)

12.28. 2024年から未来へ③、世界の中にあって当たり前のKeePer

昨日は、自動車以外でのKeePerを作り出していくことを書きました。

従来からの「看板」が順調に伸びつつあり

「スマホ」の販路が大胆に拡大しつつある中で、

新しい可能性を切り開いて行って、

さらにKeePerが多くの人の生活の中に、

もっと当たり前にとなっていることを目指していくということです。

 

もう一つの観点から、世界を見た場合、

新型コロナ禍以前から禍中には、

香港で11店と台湾に3店のKeePer PRO SHOPがあっただけで、

動きが止まらざるを得なかった訳ですが、

この5月に新型コロナの5類への移行後は

当然のこと、もっと世界へ活動を広げていくことを本格的に始めています。

 

十年以上前、私自身が活動して海外への進出を謀った事があります。

しかしそれは私自身の力不足もあったのでしょうが、途中で挫折しています。

挫折した根本的なと要因として、

「KeePerをケミカル商品として、売りに出ていた」からだと思っています。

だから、活動の末にいつもコピー商品が出て

その国で作り上げたはずのビジネスが壊れて終わりになっていたのでしょう。

 

KeePerのビジネスはケミカル商品だけでなく、それを使って施工する技術、

サービス商品としてのKeePer の販売、それを提供する店舗の造り方、

品揃え、接客方法、サービスを提供する店舗のマネジメント、マーケティング、

それらすべてを包括したKeePer独自のビジネスモデルを

世界の国においても作りだしていくべきであると考えました。

端的に言えば、KeePerケミカルを現地の業者に売るのではなく、

KeePer LABOのビジネスモデルそのものを、

私達が現地を学びながら運営していくことが、

世界にKeePerを広めるということになり、そこに活路があると考えたのです。

 

CoCo一番屋さんは、

世界にCoCo一番屋の”カレー”を、

それぞれの国ですでに売っている業者に売るBtoBビジネスに出たのではなく、

CoCo一番屋という店舗で、CoCo一番屋のカレーを

その国のお客様に売るというBtoCビジネスを展開して成功しています。

我々の強みも、

KeePer製品を施工してお客様に提供するビジネスモデル全体にあるのだから、

我々が海外に進出するには、BtoBのKeePer PRO SHOP造りではなく、

まさしく、そのすべてにKeePerのノウハウを包括しているKeePer LABOを、世界各国の事情を考慮しながらも、BtoCのビジネスを、

我々自身の手で造るべきと結論したものです。

 

海外の国々のコーティング事情は、

日本でも、かつて、そうであったように、

ポリッシャーによる「磨き」が元にあって、

やればやるほど艶と車の価値を損ねていくようなものが主体です。

KeePerは日本において、

ポリッシャーによる「磨き」から脱却し

独自のボディケアの手法をシステムとして造り上げ、

消費者から多くの支持と、数多くのリピーターを作り上げています。

 

海外における車のキレイさについての価値観と習慣が違っていても、

今が、ポリッシャー「磨き」が元にあるコーティングが存在しているのならば、

日本と同じように、KeePerは、

確実に現地の消費者の支持を得られるものと、私は考えます。

 

まず手始めに、A.S.E.A.N.諸国の要となっているシンガポールに、

現地の法人(日系)と、合弁会社を造りたいと思っています。

シンガポール現地にシンガポール版(略してSG)KeePer LABOを造って

店舗スタッフは、日本のKeePer LABOの責任者クラス1名を派遣して、

現地で採用したスタッフと共に、SG KeePer LABOを実際に運営し、

海外でのKeePer LABO構築と運営のノウハウを蓄積し、

実際に運営して、利益を出していくことによって確立していきたいと思うのです。

これをフラッグシップとして複数の店舗に展開し、

FC店舗の展開の仕組み作りを進め、

その上で、

シンガポールは東南アジアのショーケースとも呼ばれているので、

ここを拠点にして、

マレーシア、タイ、インドネシア、フィリピンなどA.S.E.A.N.諸国の

日本の自動車メーカーの車を売る

地元のカーディラーでの展開を模索します。

(既存KeePer施工店がある韓国はレクサス販社、MEXICOはSUBARU販社)

(いずれは世界一の経済国になると言われているインド進出も模索。)

 

海外進出のメインターゲットとも言えるアメリカは、

どのような形で、どのような方法で行けばいいのか、

はたまたKeePerの需要があるのかどうか、全く未知数なので、

今後の宿題となっていきます。

 

いずれにしても、

創業者である谷好通の代で出来なかった海外進出は、

次の代である後継者を先頭にして進められて行くが、

もちろん、一朝一夕にうまく行くものでなく、

10年単位の長い時間がかかる事、

それなりの資本投下の覚悟も必要でしょう。

しかし、いつまでも

「日本に新しい洗車文化を」をスローガンに

事業展開の枠を閉じている訳には行かないことも間違いありません。

決して焦ることなく、しかし決してあきらめることなく、

しっかりと、着実に、進めて行くことが必要でしょう。

 

 

明日は、明日が一年の中で一番忙しいピークの日であるKeePer LABOの

2024年から未来へ・・・を書きます。

 

 

ところで、

今年のKeePerの出荷倉庫は、本当に大変でした。

34名のスタッフで稼働させているそうですが、

パートさんが多く、今問題になっている「年収の壁」があって、

なかなか全員が稼働できる訳ではなく、

何年か前に比べると何倍にもなっている出荷数を、

みんなで力を合わせてこなしています。

特に今年の後半になってからの増加ペースは大きく、大変でした。

 

でも、救いはみんながすごく明るく仕事をしていてくれることで、

キャッキャッと笑い声があちらこちらから聞こえてきます。

今年の出荷業務もあと明日一日を残すだけで

宅配屋さんの集荷が終わりになるのでいよいよ終わりです。

本当にご苦労様です。

 

今日の空は、秋の空のようにうろこ雲?が出ていました。

Wikipediaで調べると、

うろこ雲、さば雲、いわし雲、ひつじ雲と、

色んな呼び方が、微妙な形の違いであるそうで、

こんな雲が出ると雨が近いと書いてありました。

 

 

「Wikipedia」より

うろこ雲、さば雲、いわし雲、ひつじ雲は、

低気圧や前線が近づいているときに現れやすいため、

天気が下り坂になっており、雨が近づいているという事が読み取れるそう。

昔から、「うろこ雲(いわし雲)が出たら3日のうちに雨」

「ひつじ雲が出ると翌日雨」などの言い伝えがあります。

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2022年09月13日(火曜日)

09.13.事業の海外進出にフロンティア精神は禁物だったのか。

私は中国などアジアに、過去、70回以上も行っている。

アメリカとかヨーロッパまでを入れると、

きちんと数えたことはないが、たぶん100回以上になるだろうか。

 

シンガポールに行ったのが2007年2月だから15年前。

谷 好通コラム (keepergiken.jp)

多分、その前後5年ずつぐらい、

10年間ぐらいを中国を中心に世界中で仕事をしたことがあります。

おまけに仕事を造りながら、世界一周までしたことがあったのです。

 

日本国内でKeePerがある程度の普及が出来てきた頃、

何かの偶然の機会に、海外に行った時、

海外でもKeePerは十分に通用すると感じ、

私は何を勘違いしたのか、

自分が、

海外にもKeePerを広めなければと妙な義務感を持ってしまったのです。

 

それから、ほんのちょっとの小さな縁をたどって、

海外のそこに行けば会える人が出来れば、

その縁が、海外でのビジネスに結びつくのかどうか、全くあての無いまま、

「行って、とにかく、やって見なければ何も分からない。」と、

無謀なフロンティア精神だけで、何の確証もなく、

とりあえず行ってから考えればいいじゃないかと、海外に出かけたのです。

 

向こうに待ってくれている現地の人がいれば

何のあてはなくても、何かを行動すれば次から次へと新しい縁が出来て、

約10年間に100回以上も出かけて、世界中を歩いたことになりました。

 

その結果、ものすごくたくさんの出来事があっても、

ほとんどビジネス的な成果はなく、

こんな事をいつまでもやっていてはイカンな~と思い始めたある日、

 

ロサンゼルスのビジネスホテルの一室で、

一人でベットに寝ながら、

「もう帰ろう。もう帰りたい。もうやめた。」と呟きながら、

妙に泣けてきて、

フロンティ精神だけで海外にKeePerを売りに回るのは、

その時を限りに、ピタッとやめたのでした。

 

それから、国内でまた一生懸命仕事をして、

KeePer LABOを毎週廻って、皆と会って、新しい店舗を一生懸命造って、

キーパープロショップの活動で、一年中、日本国中を回って、

国内での仕事に没頭したら、いつの間にか、

どんどんKeePerが成長して、今に至ってきたのです。

 

 

15年前から比べれば会社も何十倍もの規模になって、

KeePer LABOもFC込みで100軒を越し、

KeePer PRO SHOPは全国に6,300軒にも爆発的に増えて、

会社は株式上場をして、KeePerのブランドも全国に知れ渡って、

昔から考えると信じられないようにすごい経営状態にまで成長しました。

KeePerは15年前とは桁違いの信頼性を作り上げられたのです。

 

おまけに、テレビでも取り上げられる機会があって、

それをご覧になった海外にすごい実績をお持ちで、

異国に新しいビジネスを立ち上げる確実な力をお持ちの実力者が、

KeePerに着目して、海外への進出の機会をもたらしていただけるようになりました。

 

そういう方のお話を伺って、

確かな人脈と、ビジネスとしての分析力を目の当たりにした時

海外に進出するという事はこういう事なんだ。と、改めて気がつきました。

 

15年以上も前。

まさに徒手空拳で、糸ほどの細い縁を頼って、

せっせと海外に通って、KeePerを売りに行っていたことで、

ビジネス的に全く成果を出せなかったことの意味が解るような気がしました。

 

昨日、そんなことがあって、

ちょっとしたカルチャーショックというか、考え込んでしまい、

何も書けなかったのです。

 

自らの力量を顧みず、フロンティア精神なんかに身を任せ、

世界中を渡りあるいたあの頃の私は、

無謀を通り越して愚かですらあったと思うのですが、

 

あの10年間がものすごく楽しかったのも事実で、

私の一生で一番楽しかった時期かもしれません。

そう考えると、私はあの十年間、

仕事にかこつけて、遊びまわっていたと同じだったのかもしれません。

 

きっと、そうだったのでしょう。

 

十五年前のシンガポール。

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2015年02月05日(木曜日)

02.04.「大」は「小」を兼ねないこともある。

スカイマークエアラインが、
民事更生法(?)の手続きをしたと、新聞に書いてありました。
いわゆる「倒産」です。

 

スカイマークエアラインは日本におけるLCC(格安航空会社)の草分けで、
ANA、JAL、の運賃の半額近い安さでスタートし、
当時は、特に若い子たちに圧倒的に受けました。
しかしすぐに、
何本かのスカイマークエアライン便の”前後のANA、JAL便”を、
ANA、JALがスカイマークエアラインの価格に合わせて”安くする”戦法でいじめ、
スカイマークエアラインは、たちまち経営が行き詰りました。
そこに激安ツアーで急成長していた旅行代理店HISが、経営権を取って、
HISの影響力を使ってか、ANAとのコードシェア路線を実現するなど、
経営を立て直していました。

 

スカイマークエアラインの機体はスタート当初は、
中型機のボーイング767だけでしたが、
成長するにつれてLCCの定番である小型機ボーイング-737が増えました。
路線も増え、日本唯一の格安航空会社として急成長し、
日本”第三位の航空会社”になったのです。

 

成長したスカイマークエアラインは、
もっと積極的な経営戦略を考えたのでしょう。
その頃まだ試験中であったエアバス社の二階建て超大型機”A380”を、
6機を総額約1,915億円で発注してしまったのです。
大型機ボーイング747ジャンボジェットをしのぐでかい飛行機です。

 

大型機は、席が埋まれば埋まるほど、乗客一人あたりのコストは下がります。
それに航空関係者にとって超大型機は”夢”です。

 

売り上げを増やす⇒乗客を増やす⇒輸送量を大幅に増やす⇒超大型機の調達
超大型機⇒輸送コスト単価を下げ、運賃を下げれば、いくらでも乗客は増える。
その根底には、
「安くすれば、いくらでも売れる。」の安売りの論理があったのでしょう。
それで6機のA380を予約注文したのは何年前のことだったでしょう。

 

ところが、二年前、
LLCの規制緩和があって、
ピーチエアライン、ジェットスター、エア・アジア・・・などなどの
LLC格安航空会社が一挙に増え、
スカイマークエアラインの運賃は、
別に特に安い運賃ではなくなってしまったのです。

 

安さだけで売っていた商売は、
“もっと安い”をぶつけられるとひとたまりもありません。
安さのメリットは、安さだけであって、
もっと安くする者が表われれば、
よりもっと安くするしか対抗手段がありません。

 

スカイマークエアラインは乗客数も激減して、
経営が厳しくなったのですが、
そうなるとすでに予約注文してあるA380が負担になります。
それを買い取って運行するなんて力は、とうに無くなっています。
だから、仕方なくキャンセルをしようとしたのですが、
発注した時の契約で、約710億円のキャンセル料を払わなくてはなりません。
それでも、スカイマークエアライン側は
話し合いで何とかなるとタカをくくっていたかもしれませんが、
エアバス側はそんな交渉をまったく受け付けずキャンセル料を取ります。

 

それで、スカイマークエアラインの経営は行き詰まり、倒産です。

 

しかし、たとえば、
予約注文していたのが超大型のA380ではなく、
LCCが多く使うエアバスの小型機A320とかA319、A318、
あるいはボーイング737-800などならば、
少しディスカウントすれば、世界中にいっぱいあるLCCが、
取り合いするほど、すぐに売れます。
しかし
超大型機A380ともなると、
国を代表する航空会社、
たとえばエーアフランスとか、ルフトハンザ、シンガポールエアラインとか、
巨大な航空会社しか買い手はいません。
しかしそういう会社は、すでに長期に計画立てた調達予定があるし、
そういう会社は、飛行機を3クラスの独自な自社仕様にしており、
LCC仕様になっているA380は、とても使い物にならず、
つまり、キャンセルしたA380の買い手が全くいなくて、
エアバスもキャンセル料を取らざるを得ないのです。

 

これが超大型機でなくて、小型機だったら、
スカイマークエアラインは倒産せずに済んだはずなのです。

 

超大型機は、席が埋まれば単価コストが低くなるのは解かりますが、
他のLCCが、なぜ、みんな小型機ばかりなのか。
それば事業的リスクが少ないからという理由も大きかったはずです。

 

それでも、スカイマークエアラインがA380を発注したのは、
海外事業への進出計画とか、
色々あるのでしょうが、
やっぱり、
飛行機にかかわる者はでかい飛行機が好きで、
理性では小型機にすべきことが判っていても、
超大型のA380を発注してしまったのでしょう。

 

 

少なくとも、飛行機は、
数多くの航空会社の失敗例を挙げることなく、
断じて大は小を兼ねないことは、明白なのです。

 

今朝、中部空港で見た小型機ポーイング737のスカイマークエアライン。

 

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2014年08月07日(木曜日)

8.07.世界を歩き、世界に住む中で身に付けたヤサシサなのか

娘と孫たちが昨日、帰ってきました。
先行して夏休みを三日間取って、
今日から孫たちを連れて釧路の霧多布に2泊3日で出かけます。

 

孫と娘たちが帰ってくると必ず行くのが、
近所の小さな中華料理店「伍島園」です。
ここの餃子とチャーハンがみんな大好きなのです。
伍島園を営業する五島列島出身のご夫婦には四人の娘がいて、
上から京子ちゃん、幸(子)ちゃん、豊(子)ちゃん、愛(子)ちゃんです。

 

この伍島園の二階にある宴会の広間は、
「幸の間」「京の間」「豊の間」「愛の間」「福の間」と名づけられていて、
両親に愛されていたことを思わされます。
今は、どの娘の婿さんなのか分かりませんが、
二人の婿さんが、厨房で料理を作っています。
一家総出で中華料理店をきりもりしてきた暖かさを感じさせます。

 

四人娘の末っ子が「愛ちゃん・アイコ」で、
私の娘より三つ年下です。。

 

私達がガソリンスタンドで独立した頃、
上の息子と娘はまだ小学校の低学年。
独立したばかりで両親は年中働きっぱなしだったので、
二人の兄弟は夜までほったらかしでした。

 

そんな時、娘・セイコはアイコといつも一緒に遊んでいて、
伍島園でご飯を食べさせてもらったりしていました。
セイコはあのころから伍島園の餃子と炒飯を食べてきたのです。

 

でも、中学校、高校と別の友達がそれぞれ出来て、
共に遊んだのは小学校までだったようです。

 

大人になったらアイコは自ら外国に行きました。
ブラジルに三年住んで、スリランカ、シンガポール、タイ、
そして日本に戻ってきても沖縄に住み、
ずっとセイコと会うことはなかったのですが、
たまたま、実家である大府に帰ってきていたセイコは、
実家である伍島園に帰ってきていたアイコとばったり会いました。
25年ぶりくらいと言っています。

 

昔、子供の頃のアイコは、セイコよりもずいぶん背が小さかったのですが、
今はずいぶんでかくなって、存在感たっぷりです。
でも、写真を撮ろうとしたら、
セイコの横で背を低くして写ろうとします。
世界を歩き、世界に住む中で身に付けたヤサシサなのでしょう。

 

 

本当はこんなにデッカイのです。

 

 

孫たち。カメラを向けると自動的にVサインをします。

 

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2012年09月12日(水曜日)

9/12.朝8時半から夜7時半まで隙間なしの普通

朝、8時半に出社、
9月中旬に予定している株主総会と定款変更について
管理本部と集中して打ち合わせ。

 

隙間なく、
朝9時半過ぎには、SONAXからアジア担当のホフマン氏が来訪、
今年後半から来年に向けての
製品生産輸入計画と原料確保のための打ち合わせ。
アイ・タック技研㈱はSONAX製品を単に買っているわけではなく、
KeePerの技術とSONAXで共同開発した独自に作られる製品を、
我々専用に独自の原料を使って、独自のレシピで作られるので、
ここを間違うと来年大変困ることになる。集中した綿密な打ち合わせ。

 

昼、クラフトレーシングの橋本社長と合流して、
小さなイタリアンレストランでランチ。
橋本社長は英語が話せてレース好きのホフマン氏とレースの話で盛り上がる。
私も英語の会話を解らないなりに理解しようと思ってけっこう集中する。
食後、ホフマン氏は東京に新幹線で行き、
成田空港に向かって、シンガポールに飛ぶと言っていた。
開発の増田所長も、東京に向かうとレストランから大府駅に直行した。

 

午後、私たちはそのまま、
橋本社長とキーパーラボのこととか色々な今後のビジネスについて、
かなり集中して議論し、構想の具体的当面のスケジュールまでを決める。
長い議論に、いささかくたびれる。

 

夕方、重なって始まっていた企画のミーティングに合流。
KeePerタイムス117号、初校が出来上がり、修正すべき所を集中して議論。
余裕があれば、みんなで議論できるように
あまり自分が話さないようにするのが常だが、
今日は、朝からの隙間なく集中し続けたので、根気がなくなり、
みんなの議論を待つまでもなく、
とりあえず目いっぱい集中して話し、
足すべき三つの原稿を、自分が書くことを約束し、
原稿の期限を2日後と決めて、会議を2時間で切り上げる。

 

明日から列車に乗ったり飛行機に乗る時間がかなりあるので何とかなるだろう。

 

朝8時半から夜7時半まで隙間がまったくないまま集中が続いたので、
とりあえずビールを飲みたい。
本社に一日いる日の普通な一日でした。

 

 

レースの日でも、みんな、やっぱり集中なのです。
どんな日も、どんなことにも集中しているといい仕事になるし、楽しい。

 

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    谷 好通

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