谷 好通コラム

2001年08月27日(月曜日)

208話 いろんな生き方

テツ清水はなぜ、30年も走り続けてこられたのか

 

当然
借金はしているそうだ
それも半端な金額ではないらしい

 

スポンサー探しは熱心にやったそうだ
アマチュアドライバーに対するスポンサーなど、そうそうあるものではない
それでもずいぶん獲得したらしい
その売り込みは私も経験した訳だが、その熱意は半端ではない

 

それから、忘れてならないのが
応援をしてくれたたくさんの人達
レースに出ようと思うと、たくさんの人の協力がいる

 

メカニック
タイムを計る人
サインボードを出す人
雑用をしてくれる人
耐久レースになると、もっともっとたくさんの人
そんな人達を“雇っていたのでは”、とんでもない出費になってしまう
清水さんをサポートしている人達は、すべて無償
好意“だけ”で、協力している

 

 

何が、山ほどの?借金をしてまで、清水さんをレースに駆り立てているのか?

 

何が、スポンサーに対してこのアマチュアレーサーを、お金まで出して
サポートしようという気にさせるのか?

 

何が、せっかくの休みを棒に振ってまで、レースの世話を無償でしようと
あのたくさんの人を思わせるのか?

 

30年以上も清水さんを走らせ続けたものが、あったこと自体が、奇跡に近い

 

それは“夢”だと思った
生涯現役であって、いつも自分の限界に挑戦し続けたいという“夢”

 

いつも、いつも“夢”を、かたくなに追い続けている純粋さが
たくさんの人を動かし
“夢”を共有することによって、みんな幸せを感じているのではないだろうか

 

若いときに受けた大きな感動
「生沢徹」の生き方、スタイルを
自分に実現しようと、夢を見て、それを行動し続ける

 

人は年をとって行く度に、夢を忘れていく
肉体的に年をとって、老いていくのは抗しようがないにしても
精神的な老いを全く感じさせない、若い「テツ清水」に
みんな気が付かないうちに、“夢”を一緒に見ているのでないだろうか

 

「走りたい!」
その強烈な意志が、テツ清水の体中から滲み出している

 

「レースやめれば、もっとうんと楽になる」
と、何度も何度も考えたそうだが
「走りたい!」という思いが勝ってしまってきた人生

 

立派な観光バスのドライバーが職業の彼
レースをやめれば、楽なのんびりした生活が出来る
しかし、そんな自分は想像もしたくないみたいに
アマチュアとしてのトップを追求し続ける

 

「楽になりたいから、自分の夢をあきらめる」を
絶対にしなかった“生き方”

 

そんな生き方もあるもんだ
うらやましいとも思った

 

その清水さんが、今回不本意なレースをした
レース後の言葉、「踏めなかった」が印象的であった
いろいろな理由があるにしろ、不運があったにしろ
彼自身にも全く不本意な結果であった

 

 

今後、彼が自分をどうモチベートしてくるか
これからの何十年かの生き方をどうして行くのか
味のある人だ

 

もう一人
アマチュアのトップを目指している人
三浦さん

 

 

彼はMINEサーキットカメラを持ってしょっちゅう現れる
ゆうに車一台分は金がかかったでっかい最高級のカメラを持って
彼はレースの「流し撮り」に執念を持っている
下関の保健所に勤務している
カメラ専門誌の写真コンクールにも何度と無く入賞・優勝しているという
半端な懲り方ではない
今回も自分の撮った写真と、入賞した写真雑誌を持って
ピットを訪問してくれた
サーキットにはいろんな生き方を、精一杯している人がいる

 

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2001年08月27日(月曜日)

207話 テツ清水・生沢徹

また新幹線の中
毎度のごとくMINEサーキットに行ってきた
が、今日は乗らなかった
レースがあって、それにエントリーまでしてあったのだが
今日は結局乗らなかった

 

昨日、親父の49日の法要で、それが終わったあと
かなりアルコールが入ったまま、夜遅く下関まで入った
翌朝早く起きて、すぐにレースというのは
いくらなんでも
いくら私が馬鹿でも、無謀だと思ったのだ
悪すぎるコンディションでレースに出ても、手伝ってくれる人たちに迷惑だ
そう思って、今回はエントリーをキャンセルすることにした

 

だから今回は、「見るだけ」

 

去年の途中から「テツ清水」というレーサーを、サポートしている
現在50歳
彼が、まだ高校生の頃(私は49歳、だから私も高校生の頃)
日本のオートスポーツが創世記の頃だった
「生沢徹(テツ)」という若いレースドライバーがいた
いつも
ライバルよりも、少しだけ非力な車を駆って
あっと驚くような走りを見せてくれた、そして強かった
人気ナンバーワンのドライバーであった
一つのメーカー専属にはならない一匹狼的なところも、人気の理由であった
(その頃のレース界の事については、またぜひ書きたい)

 

わたしは、その「生沢徹(テツ)」が大好きであった
その頃レースに夢中になっていた数少ない若い子達の
半数以上がそうであったように

 

清水さんも大ファンであったそうだ、
ファンというより「心酔」の粋であったようだ
挙句の果てに、「自分の一生はこれだ」と、この頃決めてしまったと、いう

 

 

だから、その生沢徹にあやかって
レースでは、自分のことを「テツ清水」と名乗り続けているそうだ

 

それからの生活は、すべてレース中心
その30余年のあらましは
コラム集の「テツ清水の、トコトン走しっちゃるけんね」を見てやってください

 

テツ清水というのは、エントリーネーム
本名は別にある「清水忠行」
しかし、いつも「清水さん」か「テツさん」と呼んでいるので
忘れてしまっていた

 

清水さんは、才能が飛び抜けてはいなかった
だから
何千人、何万人に一人のプロ・レースドライバーには、なれなかった
残念ながら、結局はなれなかった
そして
アマチュアレーサーとして30年以上も走ってきた

 

レースというのはお金がかかる
いくらノーマルクラスといっても、レースカーはレースカー
かなりの改造がしてあって、普通の車とは全く違う
安い中古車を買ってきて、レースカーに仕立て上げるのだが
それでも100万円以上はかかる
(私のキーパーレビンは、レースカーの中古だったので、全部で60万円だったが)

 

ランニングコストも馬鹿にならない
練習走行料が、25分1本で3,500円
ガソリン代が1本走ると2,000円ぐらい
あとタイヤとか消耗品までを考えると、1日で2.3万円は覚悟しなければならない
それを月に1.2度やって
その上で
年に何度かのレースに出ようとすると
年間100万円以上はかかる

 

トップを狙い
ステップアップをしてプロドライバーを目指す場合は
その何倍かのお金をかけてくる
たいていの場合は“借金”
借金をして、上を目指す
しかし、そう簡単には、金を稼げるプロドライバーになれるわけではない
資金の行き詰まりで、挫折するのが普通
ほとんどの人は、借金だけを残して
“夢”半ばで、挫折していく

 

これはモータースポーツ世界自体のあり方にも問題があると思うのだが
そのことについては、またの機会に

 

ほぼ100%近い人が、モータースポーツから去っていく中で
テツ清水は、50歳になった今も、走り続けている
なぜ30年以上も走り続けていられるのか
何が彼をそこまで駆り立てているのか
彼にとって生沢徹はなんだったんだろうか

 

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    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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