谷 好通コラム

2001年10月20日(土曜日)

252話 新しい生活

中学校一年生のとき
私は、“イジメられっ子”であった

 

中学校一年生の学級担任の先生が、エリート校を卒業したばかりで
やおら、学級担任をすることになった若い女先生

 

そして私は
小学校から中学校に入学するときに、全校テストがあって
何を間違ってしまったのか、トップクラスの点数を取ってしまったのだ
(勿論、こんな事は、生まれて最初であり、最後であった)

 

私は、その先生から“ミコ”にされた
ミコというのは、つまり、ヒイキというかなんと言うか
早い話が、チヤホヤされ可愛がられたのである
最初のころはそうでもなかったのだが、当然、同級生から反発が出てきた

 

何につけても、先生は私を立てようとする
一学期の時の学級委員選挙では、先生の影響が大であり
当然のようにトップになったが
二学期の時の選挙では、先生のヒイキに対しての反発もあって
見事に落選
三学期のころには
反抗期真っ盛りの生徒たちの、先生に対する反発を
私が一身に受けるようになっていた
悪いことに
元々、特にバ抜けて成績が良いわけでもなかった私は
実力どおりの成績で
その先生からもすでに見放されていた

 

あとはボロボロ
あまり思い出したくないことがイッパイあって
特に、チョッとワルであったK.Hは、私を目の敵のようにいびって来た
ある時、私は耐えかねて職員室に駆け込んで
その若先生に
私の窮状を、涙ながらに訴えたのだった
しかし、優秀であるはずであるという期待に背き、凡才であった私に
その先生は、「何をいまさら」であった
最悪なことに、それを
同級生に見られてしまった

 

そのことがあってからは、もっと情けないことになったことは言うまでもない
特にワルのHは、大喜びで私を餌食にしてきた

 

三学期も終わり
一年生としての終了式の日

 

その式が終わってから
ボロボロのイジメられっ子であった私は

 

そのHに・・
ケンカをしようと・・
校舎の階段の踊り場に呼び出した・・・
1対1の決闘である

 

そのときのHの反応は今でもよく覚えている
ビックリしたような表情のあと
弱い奴がそんなことを言ってくるなど、許せないということか、怒り狂った
あの時の、自分の恐怖感もよく憶えている
しかし、言ってしまったものは、引っ込めるわけにも行かず
そのままケンカになった

 

何発か殴られたあと
Hの首に腕を回し、頭を腕で抱え込んだ形で倒れこみ
そのまま腕を必死ではなさず
Hの頭を殴り続けた
何度も何度も、ひたすら殴り続けた
(プロレスで言う、いわゆるヘッドロック)

 

 

※この写真と記事とは何の関係もありません(*^。^*)

 

もがいていたHは、そのうち何も出来なくなった
周りを囲んでいた群衆は「やめなさいよ!」と口は出すが、誰も手は出してこなかった
それに、腕を放すのが怖かったのだろう

 

そのままの状態が、しばらく続いた

 

どれぐらい時間が経ったのか、かなり時間が経ったころ(本人にとってはひどく長かった)
例の若先生がやってきて、みんなに引き離され
やっと、そのケンカは終わった
その時の先生は、ガッカリしていたような、怒っていたような、よく憶えていない

 

別れたあと、そのHと、下駄箱のところでまた会ってしまった
一発、頭突きをくらい鼻血が出た
Hは、「おぼえとれよ!俺の兄貴分連れてきて、絶対殺したるからな!」
と、わめくだけわめいて、フラフラしながら行ってしまった
かなりグロッキーの様子であった

 

それからの春休みの間
私は怖くて、ほとんど一歩の家から出かけなかった
遊びに出たら鉄砲玉であった私が、まったく家から出ようとしない
お袋がひどく心配したことを憶えている

 

2年生としての新学期の始まりの日
恐怖の時間であった
「また、Hと同じクラスだったらどうしよう」「Hと顔を合わしたら何をされるか」
色々考えると足がすくんだ

 

ところが
ところが
全く何も起こらず
もちろんHとは、学校の配慮もあったのだろう、同じクラスにはならなかった
それからずっと何も起こらなかった
心配していたことは何も起こらなかった
(三年生のときにHとは、また同じクラスになったが、結構、仲が良かった)

 

しかも
ナント、私はイジメられっ子ではなくなっていた
誰も、誰一人として
私に、憎まれ口を言ったり、そしりの言葉を投げかけなくなっていた
私は普通の生活に戻れた
ほぼ一年ぶりの“新しい生活”が始まったのだ

 

なんと心地よいことか
普通であることが
みんなからソシリの言葉を受けないことが、平和であることが
それから私は、普通の学生生活を送った
(先生から見ればあまり普通でもなかったか?その辺の話はまたいずれ)

 

あの日の、階段の踊り場での出来事
あれは一体、何だったんだろう
今思えば
あれが私の最初の「ブレークスルー」だったのか
あれ以来、困ったことがあっても、自分から何かすれば
何とかなってしまう
そんなものだと思うようになった

 

※コイツが、元イジメられっ子? 今はなんとも憎たらしい顔になったもんだ

 

 

私は新しい生活を楽しむようになったが
もうひとつ変わったことが
それは、あの若先生
私と廊下ですれ違っても、挨拶もしなければ、目線を合わせることもしない
口を尖らせて無視するようになったのだ
あの先生にとって、私のした行為は、何だったんだろう
プライドを痛く傷つけたのかもしれない

 

それから
私は、どちらかというと権威とか、権力とかに反発するようになった
そんな気がする

 

考えてみれば
現代は「学級崩壊」という、あのころとは比べ物にならないくらい
荒れた教育現場になっているそうだ
それから思えば、いじめっ子と、いじめられっ子の喧嘩など
学校がのどかなころの出来事だったのかもしれない
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200108/24/20010825k0000m040078001c.html

 

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