谷 好通コラム

2001年12月05日(水曜日)

295話 続・少年の心

MINEジュニア耐久レース最終戦
いよいよ、決勝だ

 

予選ですっかり自信をなくしてしまった私は
「スタートドライバーは、大串さんで行こう」と、みんなにしきりに言うが
いや、一生懸命に懇願するが
誰も取り合ってくれない
へな?吉田 「もう決まった事なんだから、今更だめですよ」
大串さん 「奥さん(自分の)に叱られちゃうから、勘弁してくださいよ」
テツ清水 「ニヤニヤ」
H.オサム 「へらへらへら~(#^.^#)」

 

本気で、スタートドライバーを変わって欲しかったのに
誰にも相手にされず
私は諦めて
居直る事にした
「いーよ、いーよ、走ったろうじゃん。
こうなったらバッチリ決めちゃるけんね」と、ごちゃ混ぜの方言をつぶやく

 

※緊張のスタート前に、非情にもオチャラケルH.オサムと
意味もなくVサインのへな?

 

 

スタートはローリングスタート
初めての経験であったが、やってみればどうって事ない
無難に、ポジション通りのスタートが切れた
“何でもやってみるものだ”

 

スタート後も、スプリントではないので淡々としたもの
とは言っても、ごり押しの黄色いシルビアが迫ってきたり
それを引き離したり
同じチームの37番レビンに乗るYukumotoさんが
最終コーナー、目の前でスピンしたので、抜いちゃったりして
結構楽しく周回を重ねる
タイムも予定通りの48秒台前後
「なかなかいいじゃん」

 

快調に走って12、3周目
ヘアピン手前でブレーキング中に、急に車が不安定になった

 

なんか変だ
その内、ブレーキの利きも極端に悪くなり
ステアリングも、左に柁を当てると車がヨレてしまい
コントロールが出来ないぐらい不安定になる

 

このコースは全体としては右回りなので
左コーナーは、2つだけ
「第一ヘアピン」と「便所下の一つ目のコーナー」(ホントにみんながこう呼んでいる)
進入時のブレーキングは、いつもの倍ぐらい手前から踏む
しかも、何度もポンピングして、床まで入ってしまうブレーキペダルを出す
出てきたブレーキで充分に減速し
それから、ヨレヨレするボディーをそ~~っと曲げていく

 

ストレートエンドは、さすがに怖かった
200km/h近く出ている車を、ブレーキをバコバコ踏んで、まさに必死で減速
そんな状態でも
なんとタイムは10秒落ちぐらいにとどまっている
大したもんだ、と自分で感心しながら
周回を重ねる
ほんとはすぐにでも、ピットに帰りたいところだが
そこが耐久レースの難しいところ
給油のタイミングがあって
その前に帰ってきてしまうと、ピットイン(規定で2分)の回数が増えてしまい
勝負にならなくなってしまう

 

フラフラ、ヨレヨレの状態で、無理して7周ばかり走って
やっとの思いで、19周目にピットイン

 

車がひどい状態である事を
まずセカンドドライバーである大串さんに伝達
その後、メカニックの人にも必死で説明するが
何せ初めて経験した状態なので、うまく説明できない
私の訴えがうまく通じなかったのであろうか
なんと
足回りの点検もせずに
給油だけして、大串さんをスタートさせてしまった

 

当然ながら
大串さんも、私と同じようにヨレヨレで走っている
タイムも同じぐらい
もう勝負できるような状態ではなかった

 

それでも、さすが
“帰ってこない”、必死になって耐えて走っている
あのひどい状態を、身をもって知っているのは私だけ

 

ヨレヨレになりながら
ほとんど利かなくなっているブレーキで
全速のストレートから第1コーナーに突っ込んでいく、あの恐怖を耐えながら
そして
曲がろうと思っても、曲がってくれない車を
あやすようにして必死に曲げる
それでもアクセルを戻そうとしない、そのかたくなな意志を
私と共有して、彼も走っている
そして、自分の周回ノルマをこなさねばと
やはり帰ってこようとしない

 

同じ極限状態を共有していることに
私は目頭が熱くなって、コソっと泣いた

 

それでも必死の周回を重ねるうちに、ますます症状がひどくなって
走り続ける事が出来なくなり
ピットに帰ってきた

 

・フロントハブベアリングが潰れて
・ドライブシャフトが折れる寸前であった
・ロアーアームも曲がっていた(これはレース後わかった)

 

車から降りてきた大串さんの第一声
「いゃ~すごいですね!よく、こんなんで走ってましたね~っ」

“うれししそうに”言った
うれしそうに!

 

最高である
悲壮感などカケラもない
ひどいトラブルを抱えた車を、コントロールしてきた事に
彼は喜びを感じている

 

同感である!

 

 

こんな状態でも
チームのスーパーメカ達は数分で直してしまう
その後走り出して
今度は排気のマフラーが外れてしまうというトラブルはあったが
へな?が、修理した25号で淡々と走り、何事もなくゴールした
(こう書くと、へな?が一番損したみたい)

 

結果的に
完走!
21台中13位

 

 

かの昔
私達が少年であったとき
自然の中で遊ぶのが常であった

 

そんな時、アクシデントなんてしょっちゅうあった
・肥溜めに2度落ちた
・何メートルかの崖から滑って落ちて、足の骨を折った
・道に迷って、遭難しかかった
・池でおぼれた
・犬をからかって噛まれた
・スイカを黙って食べて、お百姓さんに殴られた

 

死にそうになった事だってある
でも、少年たちは (私の場合は悪ガキ)
決して、“懲りて、その遊びをやめる”なんてことは、なかった
むしろ
アクシデントは
少年たちの間では「自慢話」となった
そして、オジサンとなった今では、それは「思い出」となっている

 

トラブルをも
レースというドラマの中の、“楽しみ”と感じ取ってしまう
彼の感性は、やはり
立派な「ワンパク坊主」

 

好奇心にあふれ
何に対しても感動をすることが出来るみずみずしさ
少年の心を持った人なのであろう

 

 

今回のレース
出場台数21台
ドライバー60名以上
サポートスタッフ150名以上
グランドスタンドにいた観客数約6名!!!!!(数えた)

 

レースは見るものでなくて、“やって”喜びを感じるもの

 

とは言うものの
大串さんに敬意を払って「レーシング・オン」を買ってきた
なかなか面白い!
もちろん大串さんの記事は、ひときわ熱い言葉で語っていた
これからちょくちょく読んでみようか

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    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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