谷 好通コラム

2001年12月08日(土曜日)

298話 出口が見えない

真夜中に、けたたましい音を立てて走り回る若者がいる
俗に言う“暴走族”
彼らは何のために、あのような行為をするのだろう
私なりに思っていることがある

 

・・・・・・・
あるいは
愛する能力のない親によって育てられ
愛されていない自分に気がつき
幸せを望まれていない自分を見つけ

 

相手の幸せを望む、そんなことを学習せずに
利己の塊となって育った

 

そして
あるいは
彼らは総じて、学校での成績が良くない、あるいは良くなかった
家庭では、及び学校においては
決して優秀ではない彼らは、劣っているものとして存在し
彼らは褒められることなどなかったであろう、多分

 

学校の教科の成績が良いかどうか
それでその人間の評価がすべて決まるわけではない
確かに
お勉強の成績が良いものは
怠け者ではないだろう
目先の遊びとかTVに興じてばかりでは、勉強はできない
記憶力もそれなりにいいのであろう

 

しかし、学校の成績が良いことと
その人の人間性がすばらしいこととは、必ずしも一致するものではない
日本の頭脳の最高峰の一つであろう“官僚”たちの一部には
人間として軽蔑すべき人たちもいる
お勉強が出来ることと、人間としての価値は
本当は、全く一致しない

 

がしかし、学校において、“生徒の価値は成績”であり
学校の生徒に対する評価は、教科の成績によって行われる
勉強のできないものは
授業の進行についてくる事が出来ないものは
教室の邪魔者である
親にとっても
恥ずかしい存在であり、邪魔者とされる場合がある

 

“邪魔者”
つまり“いない方が良い”存在

 

いない方が良いと思われている者にとっては
人から自分の存在を否定されていると言うこと

 

人は自らの存在を(あるいは存在価値を)
感謝されたり、褒められたり、愛されたりして
人から認められ、確認されている
人は、その存在を、人によって支えられている

 

それが否定されたとき
つまり、疎まれたり、嫌われたり、憎まれたり
いない方が良い、とされたとき
人によって支えられる事が、期待できないと悟った時
自らの存在を
自分自身で確認せざるを得なくなり

 

人から嫌われることを、憎まれることを
むしろ積極的にやることによって
そういう存在であることが、受動的ではなく、能動的にそうしているのだと
居直る

 

嫌われること、憎まれることが受動的なものならば
そして、それを受け入れるならば
自分はいない方が良いと言う結論になってしまう

 

そうではなくて
自分は、自らの意思で嫌われることをしている存在なのだ
自分は「嫌われている」のではなくて、「嫌わ“せ”ている」
「憎まれている」のではなくて「憎ま“せ”ている」
自分の意思によってそうしている
そういう存在なのだ
と居直り
自分自身を確認しようとしている

 

だから、彼らは
“わざわざ”嫌われること、憎まれることを
能動的に行動して
自分を確認している

 

積極的に嫌われ、憎まれることによって
自分自身を“ようやく保っている”

 

彼らは、それが、自分が望んでいる本当の姿ではないことを
多分知っている
おそらく、そういう自分を好きではないだろう
でも同じ類の人間同士が集まる所にいれば
それも気にならなくなる
そうしていなければ、自分が見えなくなってしまうから
そうせざるを得ないのであって
決して、それが本物であるとは思っていない

 

彼らはきっと、ものすごく孤独で、不安なのだろう

 

ツライ
きっと、すごくツライのだろうと思う
出口の見えないトンネルの中を歩いているような
そんな不安の思いに怯え
悲しく、真夜中に吠えているのだろうと思う
そんな自分であっても
“ようやく見つけた自分”を確かめるように

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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