谷 好通コラム

2002年11月02日(土曜日)

562話 閉店法の不思議

「閉店法」って知ってますか?

 

もちろん日本の法律ではない
前話の今小路さんから聞いた話、つまり、ヨーロッパでのこと

 

今小路さんの国、オーストリア、ドイツでは
物販業、物を売る商売は
「土曜日の昼12時から、月曜日の午前7時まで
店を閉めなければならない」
という法律があるそうだ
キリスト教、カソリックの影響であるそうで(休息日)
ヨーロッパの国々では
土曜日の午後から、月曜日の朝まで、大変不便になるらしい

 

もちろん、例外もあって
「映画館」「レストラン」
つまり、人々に休息を与える商売は、閉店法からはずれていて
休日の人々の楽しみを提供している

 

そして
「ガソリンスタンド」も、閉店法から外れている
車の燃料は、欠かさざるべきもので
ガソリンスタンドが休んでしまったのでは、町中ガス欠の車だらけになってしまう

 

!!
物を売る店のほとんどが、店を閉めている時
ガソリンスタンドは、店を開けても良いのだ!

 

そして
人々は物が買えなくて不便!

 

だから
ガソリンスタンドで
タバコを売り始め、酒を売り始め
食料品を売り始め、お菓子、雑誌、日用品、雑貨を売り始めた
「ガソリンスタンド+コンビニエンスストア」の誕生である!

 

八百屋、肉屋、スーパーのように本格的な品揃えはないが
ちょっと必要なものを
何でも揃えて
他の本格的な店が閉まっている時でも
開店している店「コンビニエンスストア」

 

ドイツに行った時
ガソリンスタンドに必ずと言ってよいほど
コンビニエンスストアが併設してあることに驚いた

 

アメリカ(と言ってもグァムであるが)のスタンドにも
コンビニエンスの併設店は多かったが
全部のスタンドが、ではなかった

 

中国、韓国、台湾には、ほとんどなかった
日本にもたまにあるが、必ずしも経営的には成功していないと聞いている

 

ドイツのガソリンスタンドには、ほぼ全店
コンビニエンスがあった
しかも、みんな結構繁盛していて
ガソリンスタンド=コンビニエンスは、常識のようであった

 

「フ~~~ン」とぐらいにしか思わなかったが

 

ヨーロッパのスタンドに
コンビニエンスがくっついているのは
「閉店法」
「物販店は、土曜日午後から月曜日朝まで、店を開けてはならない」
という法律があって
ガソリンスタンドはその例外になっており
消費者の不便が
必要として、スタンドにコンビニを併設の形を作り上げて来た!
なんて
とても考え付かなかった

 

逆に、ヨーロッパには
単独でのコンビニエンスストアを見かけない
それもそのはず
コンビニは、スタンドとの併設で十分な数があり
しかも
コンビニ単独店では
土曜の午後から月曜に朝まで閉店しなければならず
ずっと開店していられるスタンド併設店に対して
競争力が全くないのだ
(閉店法はヨーロッパの国々全部にある訳ではないと思うが
便宜上、ここでは一括して「ヨーロッパでは」とする)

 

またその逆に
日本ではスタンド併設のコンビニが
必ずしもうまく行っていないのは

 

コンビニは単独店として
十分にその数がすでにあり
単独店としても24時間営業が可能であり
ヨーロッパのようにスタンド併設の決定的なメリットが存在しない

 

そして
日本において「閉店法」などは、全く考えられないことであり
文化の違いとしか言いようがない

 

同じような意味において
日本のガソリンスタンドは
何年か前まで「特石法」(特定石油製品輸入暫定措置法)によって
石油は、原油の形での輸入のみ、と規制され
石油製品の精製能力を持った特定の会社(元売)のみが
実質的に、国内でのガソリンなどの販売権を持っていて
その権力の支配の元
あるいは、その庇護の元において
ガソリンスタンドは
安定した経営を続けてきた

 

その特石法が撤廃され
国内への石油製品の輸入が自由になったことによって
元売りの絶対権力の法的な根拠が失われた
元売りも
自己の存在を賭け
闘わなくてはならなくなったとき
その元に庇護されてきた
あるいは支配してきた石油小売業者を
庇護することも出来ず、支配することも出来ず
自由の地に放った

 

自由の地とは、勝つ者と負ける者が出来る世界のことであって
現実にそのように、状況は進んでいる

 

「ヨーロッパのガソリンスタンドはいいなぁ
閉店法なんて最高じゃん」
なんて思ってたら、勝ち残れませんよ。

 

※ドイツのドナウ川の中洲に建つ修道院
ヨーロッパにおいて、キリスト教は絶対の存在なのである

 

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2002年11月02日(土曜日)

561話 オーストリアから

オーストリアからの訪問客があった
オースト“ラ”リアではなく、オーストリア
ドイツの隣の国である

 

先回、ドイツのアウトメカニカで
知り合った方で
非常に面白い商品を扱っているブースにいた方
日本人である
このコラムの「522話 一生懸命話した」に出ていた
あの紳士である

 

今小路(いまのこうじ)という貴族のようなお名前
関西大学を卒業後
2年ドイツに留学してドイツ語を覚え
日本に帰ってきてから
大阪での万博の時
オーストリア間の職員であったオーストリア人の女性と結婚
色々ないきさつの後
大阪船場にあった自分の立派な会社を、弟に譲って

 

奥さん、子供と共にオーストリアに住まいを移し
今に至っているそうだ

 

日本の大手商社
名前を出せば誰でも知っている有名商社の代理人を務める会社を
オーストリアで経営している

 

かなりの大物である

 

立派な風格ではあるが
決して威張っていたりはしない
いつも笑顔を絶やさず
身のこなしもいかにも紳士であるが

 

大阪出身であるだけに大阪弁のイントネーションが
むしろ柔和な感じを漂わせる

 

来て頂いた時は、拡大部長会議の最中で
早速、その会議に参加していただく
皆も、色々と積極的に質問し
とても楽しい時間を過ごさせてもらった

 

その後の食事を一緒にしたのだが
その時に色々興味深い話を聞かせてもらった

 

感銘を受けた話しを一つ

 

「ヨーロッパのタクシーの運転手は、たいてい東洋人
パキスタン人、アフガニスタン人、トルコ人、コリアン、チャイニーズ
彼らの多くは、難民であって
ドイツは多くの難民を受け入れています。(第2次大戦での人種差別の反省もあって)

 

そして、彼らに用意されている職業がタクシーの運転手です。
『日本人は、なぜタクシーの運転手をしないのか?』
と、よく聞かれるのですが、
私達日本人は、難民ではありません。
乞われて来ているのです。
私たちが持っている能力を、見込まれて来ているのです。

 

だから私達日本人は、ヨーロッパで対等のプライドを持って生きています。
むしろ私は、何にでも100%パーフェクトを要求します。
だから厳格なことが好きなドイツ(オーストリア)では、
私達日本人はピッタリなんです。
東洋人の中でも別格なんですね。日本人は。

 

適当な仕事をする人からは“うるさい奴”と思われていますが、
私は完璧をいつも要求します。

 

私の3人の子供のプライドのためにも
日本人として、私はいい加減なことは出来ないのです。」

 

“自分の子供達のためにも、
日本人として、しっかりした生き方をしなければならない”

 

胸にしみる言葉であった

 

刹那的な生き方が蔓延っている今の日本
次の代に、何を残せるのであろうか

 

私には、今小路さんの言葉は、実に新鮮に聞こえた。

 

 

ちなみに、彼の子供さん
長男は、チューリッヒ銀行の日本支店に勤め
次男は、世界レベルの企業の、社長の飛行機のパイロット
三男は、ルーマニア・チャウチェスクが残した森の孤児の
リファビリと世話をするボランティアを、ルーマニアの森の中でしているそうだ

 

 

世の中広いもので、すごい人がいるもんだ
これからどんなお付き合いが始まるのであろう
ワクワクしてくる

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2002年11月02日(土曜日)

560話 異常な睡眠時間

一昨日は、朝からお葬式に出て行った
私の父方の義理のおじさんが亡くなった
96歳で老衰
大往生である

 

親父が亡くなってから
私が親戚関係の行事に出席するようになったのだが
もう50にもなって
やっと、そういうものに出席するようになったので
色々なシキタリが、あまり解からない

 

私の母は、三河地方
父は、三重県の北部

 

両方のお葬式に出て、そのシキタリの違いに驚いている

 

式は12時、正午から
少なくともその1時間前、出来れば2~3時間前には
式場に到着していなければならない

 

で、式が始まる前までに、ご飯を食べる
「アブラゲの入った甘がらい汁椀」
「ひじきの煮付け」
「大豆(だけ)の煮物」
「たくわん」
「白飯」
「でっかい饅頭(これは持って帰る)」

 

特に、この「アブラゲの汁」が面白い
味は基本的に甘い、かなり甘い
そして、唐辛子がらい
(今日はそうでもなかったが)
すごい時は、汁が赤くなるぐらい唐辛子を入れる
“泣かせるためだそうだ”

 

そして、告別式および葬儀式
細かいところで
三河地方との違いは多い

 

驚いたことに
葬式のその日のうちに
火葬、初七日、納骨、49日までやってしまう

 

だから
すべてのスケジュールが終わるのは
夜になってしまう

 

私たちのように遠方からのものは
火葬が終わった時点で
帰ることになっていて、3時半には帰宅したのだが
所変われば、品変わる
色々な行事の習慣も随分違うものである

 

この日
“元・谷武の家族”“現・谷好通の家族”の代表として
始めて父方の行事に出た訳で
あらためて、「代」が変わったことを実感したのでした

 

と同時に
このところ自分の中で
何かのリズムが変わってきていることを実感している

 

そのひとつ
睡眠時間が延びているのだ
午後11時ぐらいに寝て
一度、午前4時ぐらいに目が覚める
そのまま起きてしまえば、今までと同じ睡眠時間なのだが

 

最近はそのまま、また寝てしまって
午前7時くらいまで寝て
起こされても、起きるのが結構つらいのだ
なんと睡眠8時間(今までの倍近い)
それが何日も続いている

 

人間、年をとると
睡眠時間が短くなってくるとは聞いていたが
逆に伸びてしまっている
しかも、夢など全く見ない熟睡なのである

 

加えて
私はもともと寝つきが大変良い方なのだか
最近は、それが異常にすら思えるほど、すぐ寝てしまう

 

ちょっと本でも読もうかと
スタンドライト(2つ)をつけて
本を探そうと思ったかどうかぐらいで寝てしまうのだ
だから
夜中に目が一度醒めた時には
スタンドが2つとも着いたままで
まともにそれを見ているような形で目が醒める

 

まぶしくて、目が痛いぐらいで
それで最近、異様に目が疲れるのであろう

 

やっとの思いでスタンドを消して
そして、また寝てしまう

 

布団に入ったら
1分として起きていられないのだ

 

どう考えてもこれは異常である

 

しかし、成人病の症状を色々調べても
「異常に眠れてしまう」なんていう症状は、見当たらない
私は一体どうしたのでしょう

 

ここしばらく、コラムを書くのが途切れ途切れになっている
言い訳ではなく、こんなことが原因になっているのです
(言い訳か?)
(#^.^#)

 

※眠れるオジサン

 

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