谷 好通コラム

2002年12月12日(木曜日)

591話 つかの間の雪国

昨日の朝、仙台に来て
今は、その帰りの飛行機の中

 

このコラムの約半分は、飛行機の中か新幹線の中で書いている
乗り物に乗っている時が、私は一番書き易い
理由はないが
多分、書く時間を取れるのが
寝る前かこういう時間であって、それに慣れてしまったという事であろう

 

それにしても
ここ何日か忙しかった
1日だけではあったが、レースでしっかり遊んでしまったあとなので
どんどん仕事をこなしていかないと
もう、遊べなくなってしまう

 

仕事をしっかりしてこその遊びなのだから

 

精神的には
バリバリにリフレッシュしている
元気エネルギー、満タンである

肉体的にも
レース翌日に少々筋肉痛があったが、それだけで済んだ
私は、体力があるとは思っていないのだが
疲れを何日も引っ張ることは滅多にない
やっぱり、丈夫なのかも知れない

 

しかし、体の奥の方がドヨーンと疲れているような気はしていた
そんな昨日
思いも寄らぬ休暇があった

 

仙台営業所で一仕事
それから車で1時間ほど移動してもう一仕事
屋外でのテストもあって
体の芯まで冷えた

 

しかし、そのテストは思いもよらぬ素晴らしい結果で
実験を担当してくれた方たちもびっくり
今までたくさんの方が挑戦してきては、失敗してきたことが
実験段階ではあるが
うまく行ったのだ
簡単なことだが、いまだ実現できなかったことが
目の前で出来てしまったのだ

 

今はまだマル秘で、多くを申し上げられないが
来年以降のビジネスの大きな部分を占めるかもしれない

 

足から、しっかり冷えてしまった
こんな時は、体がだるく感じる

 

夕方5時ぐらいには外はもう真っ暗
営業所に帰ってきて
近くの温泉にみんなで食事に行くことにしていた

 

食事の場所は、中部長にまかせた
「どうせなら、食事の場所に泊まっちゃえばどうですか?
いいとこありますよ」

 

と言うことで行ったのが「大師温泉」
私達の仙台営業所(岩沼市・仙台空港の南)から、わずか15分のところにある
拍子抜けするほど近い
石川夫婦のアパートからだと、10分だと言う
ほとんど庭先状態

 

中さんに聞くと
我が営業所周辺は、温泉だらけなのだそうだ

 

知らんかった~~

 

さて、この「大師温泉」
ビックリする事がいっぱいあった

 

営業所からたった15分
たった15分なのに「大師温泉」まで行くうちに
まわりは雪国のように白くなった
あっという間に別世界に来てしまったようだ

 

体の芯から温まる温泉
中さんが言っていた
「不思議な湯なんですよ、熱い湯なんですが、長く入っていても苦にならない
それでいて、なぜか汗が出ないんです。」
言葉の上では「へえ~」とぐらいにしか思わなかったが
入って見て、まったくその通り
不思議な温泉であった
体の芯から温まり、体の奥の疲れが取れる思いであった

 

夕食は、豪華ではないが
どの料理もとてもおいしく、楽しい会話もあって
満足感のあるものであった

 

携帯電話が通じない
部屋に外線の電話がない
あるのは暖房の入っていない場所に置いてある公衆電話のみ
ということでインターネットがまったく使えない
外部との連絡を取る気にならない
これはこれで
新鮮で良かった

 

カギのかからない日本間
綿入りの布団
布団に入ったらもう出たくない
昔の布団の温かさを思い出した

 

朝ごはんが、またおいしかったのだ
何故こんなにおいしかったのか、よく分からないが
ほんとにおいしかった

 

それでいてこの値段
1泊(一人部屋)、夕食、温泉、朝食
全部込みで一人7,800円
地方都市のビジネス素泊まり料金並みである

 

夜7時から、翌朝8時までのつかの間ではあったが
不思議な不思議な安らぎの宿であった

 

 

飛行機から見えた雪に覆われた山々と中禅寺湖

 

 

久しぶりに見えた「ブロッケンの輪」
太陽と雲と飛行機の位置関係で現れる不思議な現象
※少し離れてみるとキレイに見えますよ

 

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2002年12月12日(木曜日)

590話 追走そして入賞

書き始めたのは、仙台に向かっての飛行機の中なのだが
到着地、仙台の気温は
マイナス7度!だという
名古屋も寒かったが、マイナス7度とは気が重い

 

さて、レースの話
第2ドライバー吉田が、ピットから出て行った
担当は25周
ほぼ一年ぶりのレースである彼は
このところすっかり太ってしまって、私と同じような体型をしている
「スタミナが持つかなぁ」と言いながら
朝から甘いものをいっぱい食べていた

 

彼も淡々と走っている
中盤戦は、とりあえず落ち着いて
何事もなく周回をこなすのが仕事
もちろん、チンタラ走るわけではなく、精一杯速くではあるが

 

自分の役目が終わった私は、ホッとしてのんびり
・・・・・・・
・・
吉田には悪いが、書くことがない・・・
気が抜けてしまって
吉田が走っているところをよく見ていなかった
と言うよりも、応援に来てくれた人たちとコーヒー飲んだり
その辺をプラプラ遊んでしまっていたのだ
(これも吉田君に対する、私の信頼の現われであろう (^_^,) )

 

いずれにしても
そろそろ、彼の25周のノルマが終わる頃
ピットに戻る
ちょうど吉田が帰ってきた
ラストドライバーのH.オサムに、しきりに何かを伝えている
何か具合の悪いことでもあったのであろうか
「水温が上がり過ぎている。85゜cだ
それに、とにかくケツが出てコーナーが不安定だ
それから、何やらかんやら・・・」

 

私が吉田に引き継ぐ時には
「調子いいよ」ぐらいで、えらい短かったが
奴はさすがに、口で走るレーサーを自認するだけある
ようしゃべる

 

いよいよ、我がチームのエースドライバー“H.オサム”の登場だ
彼が出て行ったときのポジションは
クラス6位
ピットインの関係で実質4位

 

表彰台、つまり3位を狙うためのターゲットは、88番レビン!
ジャーナリストチームである
すでにエースの佐藤君を使ってしまい
今走っているのは
元オートスポーツ・レーシングオン編集長、中島さん
そしてその次、ラストドライバー大串さんへのバトンタッチの時間も考えて
その差
約1分20秒=80秒
残り周回数は、約40周
1周2秒ずつ縮めなければならない

 

その時、H.オサムはどうだ
インラップは1分49秒台
「なに~~~ィ
これじゃダメじゃん、なにやっとるんじゃ、車がダメか? 」

 

しかし、みんなの心配をよそに
2周目、3周目、4周目と、タイムが上がり始め
いつの間にやら
88番に、1周2~4秒ずつ迫っていく

 

あっという間に、その差は1分を切り
30秒台になってきた
まだ残り25周ある
「いける!」

 

ピットは「行けッ、行けッ、行けッ、行けッ」の大合唱
1周回ってくるたびに
その差何秒の数字が、確実に減っていく

 

追われる88番のピットは、すぐ隣
だんだん悲痛な空気になって行くのが、よく分かる
「申し訳ないなぁ~」
と思いつつも
もう誰も遠慮しない「行けッ、行けッ、行けッ、行けッ」

 

 

その頃、37番シビックは
エースの清水さんが走り終わり、植村さんがそつなく走り
ぶっちぎりのトップで
山本が走り始めた頃であった
このチームは、優勝するために出てきたようなもの
まったく問題ない

 

88番は大串さんに代わっていた
この車、88番は、実は燃料に不安があった
スプリントレース用に作られている88番は、燃料タンクが30リットルしかない
途中の給油は20リットルが2回
合計70リットルで84~5周を走らなくてはならない
ギリギリだ

 

それに対して私たち25番は、45リットルタンク
まったく問題ない
燃費を気にせず、思い切って走れる

 

そんなわけで
冷静な大串さんは、燃費走行に徹して49~50秒台で走っていた
がしかし
迫ってきたH.オサム25番が、背後に見え隠れし始めたら
もうそんなことは言っていられない
大串さんは燃えた
(大串さんは、冷静ではあるが、燃え易くもあるのだ)
がぜん飛ばし始めて
47秒台を連発!
その差30秒台を切って
25秒台になった頃
その差は1周1~2秒ずつしか縮まらなくなる
残り18周
大串選手、逃げ切りなるか!

 

この辺で、今度は
H.オサムのターボに火が入った
怒涛の45秒台連発
スプリントレース並みのタイムである
(H.オサム後述=「負けるか、車がブッツブレルかどっちかだ、と腹をくくった」)
また
その差が1周2~3秒ずつ縮まってきた

 

あと残り12周で、15秒差
みんなが「勝った」と思った
隣のピットの意気消沈振りが気の毒であった

 

そんなムードが漂い始めた、あと7周目
88番が
ストレートに姿を見せない
と、ピットロードに力なく88番が入ってきた
ガス欠だ!

 

ただでさえ燃費に不安があった88番
25番H.オサムに追い詰められて、無理したペースになってしまったのだろう
息が尽き始めた88番を
大串選手は冷静にピットに運び、無念の3回目の給油をした

 

ここで25番、3位確定!
(H.オサム後述、「あの時は、涙が止まらなかった、泣きました」)

 

後は、グッとペースを落として
車をいたわりつつ、完走するだけペース

 

最後の5周ぐらいは、50秒台に落とす
余裕である

 

ファイナルラップ
25番は、大きくピットに車を寄せて
ガッツポーズをしながら走り抜けていった

 

みんな、顔をクシャクシャにしながら
誰彼となく握手をしまくった

 

チェッカーを受け、ウイニングランの1周のあと
入賞者がストレートに並んだ
もちろん、優勝の37番シビックも一緒だ

 

25番から降りてきたH.オサムと
吉田と、谷と、ピットのスタッフと、メカニックたちと
握手、握手
抱き合った

 

 

夢のような3人での表彰台
1年前、最初の耐久レースに出たそのメンバーで
再び挑戦したこのレース

 

1年前、あたり前のように負けた
あの時、「いつかは、ぜったい、このメンバーで表彰台に上りましょう」と
真剣な顔で、しきりにH.オサムが言っていた

 

私も、吉田も
「そうだな、上りたいね」と言いながらも
本気で出来るとは思っていなかった

 

それが、彼の言うとおり、みんなで本当に上ってしまった

 

“強く思えば、必ずそうなる”
いつも言っている私が、改めて、彼に教えられた一日であった

 

“強く思えば、必ずそうなる”

 

 

何をするにも
結果を出すためには、楽なことはない

 

実は、1位になった37番も
決して楽勝ではなかったようだ

 

37番ラストドライバー山本が、翌日メールで言っていた
「ぼくも今回は走りだしてすぐに
ベルトがはずれて、最後までベルト無しで大変でした。
ブレーキングのGで体を前にもっていかれて
何度もハンドルに胸をぶつけたり、横Gでシートから出そうになったり、
ブレーキがほんとに踏めない状態で
苦しいレースでした。」と

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    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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