谷 好通コラム

2003年01月10日(金曜日)

614話 1日2回の事故

18歳の時、高校を卒業してから
すぐにガソリンスタンドに就職し、働きながら夜間の大学に行った
と日頃、自分の経歴を紹介をしているが
これはウソである

 

実は、高校を卒業後もう一つだけ職歴があるのだ
たった4ヶ月間の職歴が

 

しかし、自己紹介のたびにそこまで言うのが面倒で
すぐにスタンドに就職したと言っているだけで
ウソといっても、つまらんものである
そのつまらないウソの職歴とは、「アイスクリームの配送トラックの運転手」

 

卒業してすぐ運転免許を取った
私の誕生日は3月18日なので、卒業するギリギリで免許を取り
免許を取ったのが嬉しくて
とにかく車を運転する仕事に就きたかった
そこで選んだのがトラックの運転手
今は潰れてしまったが「中部乳菓運輸」という、ちっぽけな運送屋であった

 

明治乳業の瑞穂工場に隣接していて
実家から近い

 

運転免許を取って、すぐにトラックの運転手とは随分無茶な話だが
その頃は人手不足の時世で、即採用
私は、2tトラックのダイナに乗ることになった
荷台に保冷コンテナが付いていて
大量のドライアイスと共にアイスクリームを運ぶ

 

アイスクリームを積み込む冷蔵倉庫の中は-30゜c
7.8月にもなると外の温度は、+30゜c以上
その温度差は、何と60゜cにもなり、アイスクリームの積み込みは大変であった
しかし、若い時はそんなことなんでもなく
平気であった

 

お金がもらえて、毎日ドライブが出来る
私は、この仕事が楽しくて仕方なかった

 

最初は怖かった運転も、3ヶ月を超えてくると
もう全然、平気になってきている
前に遅い車がいるとイライラして、無理な追越しまでするようになった

 

8月のある日
雨が降っていた
午前中は、トラック2台が連ねて走る仕事で
私が後ろを走った
その頃の私は運転にもかなり慣れ、余裕が出ていたので
脇見運転なんぞをする不心得者になっていた

 

前を走る先輩のトラックに“追突”してしまった

 

あっという間のことであった
初めての交通事故
ひざがガクガク震えて、ただただ同僚に謝るしかなかった

 

私に追突された先輩のトラックは、保冷コンテナにチョッと傷が付いた程度
先輩は怪我一つなかった
しかし、追突した私のトラックは、キャビンの鼻っ面がベッコリとへっこみ
かなりひどい

 

初めての交通事故で、すっかりビビッテしまった私であったが
積荷はアイスクリーム
早くアイスクリーム問屋に持ち込まなくては大損害
無理して出発しなくてはならなかった
と、そのうち雨がひどくなってきて土砂降りになってきた
ワイパーを速く回しても、前がものすごく見にくい
泣きたくなってくる

 

この時は、しみじみトラックの運転手になったことを後悔した

 

すさまじい土砂降りの後
雨が上がった時には、道路が川のようになっていた
やっと、視界が晴れたのでホッとして
川になった道路をバシャバシャと走った

 

その頃には、午前中の初めての交通事故のショックはかなり薄れていた
つまり、油断しはじめていたのだ

 

そんな頃
脇道から大きな道路、国道に出るところがあった
当然、一旦停止しなければならない
ブレーキを踏む
あれっ?
ブレーキが効かない!
ツーっと、車が大きな道路に出て行く
必死になってブレーキを踏む!まったくブレーキは効かない
ありゃ~~~!
(その頃のトラックは、水が入りやすい構造のドラムブレーキで、
水の中を走ったりすると、簡単にノーブレーキ状態になった)

 

国道は、たくさんの車がビュンビュン走っている
その中にノーブレーキの車が、ツーっと出てきたのだからたまらない
一台のライトバンが
私の車のサイドに突っ込んできた
ドッカーン!!!

 

今度こそ、人身事故になってしまった
それでもライトバンの人は、不思議とピンピンしていて
腕から少し血が出ていた程度で、救急車も呼ばなかった
しかし、当然、人身事故

 

パトカーが来て、長い事故処理のあと
一日2回の事故で、前と横がベコベコになっているにもかかわらず
かろうじて自走するダイナに乗って
車庫に帰る時は
仮免許で初めて道路に出た時より運転が怖かった

 

一日に2回事故をやって
一台の2tトラック“ダイナ”を、長期修理に送り込んだ私は
車庫に帰ってくるなり、即「クビ」になった

 

そして免停が来て
18歳の未青年だった私は、家庭裁判所に出頭し、保護観察になった

 

経歴紹介で省いてしまう
私の苦い一回目の短い職歴である

 

しかし
あの日のあと、私は車で事故をしたことがない
加害者にも、被害者にもなったことがない
こすった事もない
無事故は、もう30年以上だ

 

一般路では、私はものすごく安全運転をする
単独で、しかも人が飛び出す心配のない高速道路ではスピードを出すが
他人がいる道路では、絶対に危ないことをしない
過敏なくらい慎重になる

 

あの日の2回の事故が
「道路が怖い」という、強いトラウマになったようだ

 

かたや私は、サーキットでレースをやっている
GRIT!吉田、畠中、山本もレースをやっている
このコラムにも、楽しそうにレースの様子をよく書いている
そんなことを
レースを知らない人からは、暴走の延長のように取られているかもしれないが
サーキットは、一般道路とはまったく違うのだ
サーキット走行はスポーツであって
そういう意味では、まったく安全なのだ

 

それに対して一般道路は、ものすごく怖いことだらけ
そして、みんなが無防備
そして、そんなところを走っている時の車は
凶器になっていて
いとも簡単に人を傷つけてしまう

 

球場で使うバットは、完全にスポーツの道具だが
家の中、あるいは道路で、人に対して振り回せば恐ろしい凶器になってしまう
車も、そんなことに似ている

 

今日、残念なことに
若いスタッフが事故を起こした
命に別状ないが、同乗者に大きな怪我をさせてしまった

 

私たちのレース活動が
悪い方向で影響していなければと、深刻に悩んでしまった
今日も、隙間無しのびっしりの用件をこなしながら
こっそり深刻に悩んでしまった

 

1日も早く怪我が治り、元気になってくれることを切に望みます。

 

(昨日の話「12月の饗宴」の続きの話は、また明日書きます)

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    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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