谷 好通コラム

2003年09月17日(水曜日)

799話 リ~・エさんの事

「李 エ」さんのエは、草かんむりに宝と書く
このホームページの日本語ソフトにはこの漢字がない
だから苗字の「李」は漢字で書けるが
名前の「エ」はカタカナになってしまう

 

しかし「李 エさん」ではおかしいので
lie、あるいはリエさんとなる
きちんと発音すれば「リ~・エさん」となるが
言いにくいので「リエさん」とみんな呼んでいる
だから
この文章の中でも「リエさん」と書くが
リエさんとは、“リ”が名字で、“エ”が名前なのである
(ややこしいですね)

 

リエさんは、中国の西方の都市「西安」に生まれた
西安とは
その昔、まだ「長安」と呼ばれていた頃、シルクロードの中国側の出発点であった
だから貿易で栄え、人の行き来も激しく
トルコなど中近東の血が入っている人も多いと聞いた
そりせいか町の一隅には、イスラム教の地区があり
立派なイスラム寺院もある

 

2年前、リエさんの案内で、家族を連れて西安を訪れたとき
イスラムの家庭で
イスラムの家族の方たちの温かいもてなしを受け
感激した事がある

 

西安には、名古屋から直行便が出ている
(上海で一度着陸し入管で続きをするが、同じ飛行機に乗ったまま西安に飛ぶ)

 

中国の一地方都市であるとはいえ
西安には1000万以上の人達が住んでいて
大都市である
人だらけ、車だらけの大混雑都市、西安

 

近くに広がっているタクラマカン砂漠から
常に微小な砂埃が舞っており
西安の空は黄色かった
いつも黄色い空が
雨が降ったあとのほんの少しの時間だけ、青くなるのだそうだ

 

リエさんが名古屋に来たのは
8年ぐらい前になるのだろうか(あまり詳しく聞いた事がない)
名古屋に来て
一番驚いたこと
それは「空が青かったこと」
だそうだ
「空がこんなに綺麗なものだとは知らなかった」
「名古屋に来てから“虹”も、2回見ました。きれいだった」と
リエさんはしみじみ言う

 

リエさんは留学生
西安から上海の大学に入って
その後、日本語学校に通ったのち
名古屋の大学に留学生としてやってきた

 

一度だけ大学に連れて行ってもらったが
学校を案内するのがいかにも楽しそうで、その姿を今でも覚えている

 

その大学生活も8年になってしまった
名古屋に来た頃は
渡航のための借金もあって
必死になってアルバイトをしたそうだ
勉強そっちのけで、である
当然、留年
勉強、バイト、勉強、バイトバイトバイト

 

日本でのアルバイトは高いものでないが
中国の物価水準は日本の10分の1、それからすれば超高給であった
しかし物価も高いので生活は楽ではないが
それでも故郷への送金は、たとえば日本円で5万円送っても
中国のお金にすれば50万円の価値があって、大変喜ばれる
つい、バイトにも力が入ってしまい
勉強しながらも、いつの間に8年

 

理想に燃えた留学も
いつの間にか、その目標を見失ってしまった

 

そんなころ、仕事の関係で彼女とバイト先で出会った
中国のことを一生懸命話してくれて
自分で分からない事があったら
次に会ったときまでに調べていてくれて
長いメモを渡してくれた

 

私も家族も、リエさんに会うのが楽しみで
みんなで一緒に食事をしたり、話をいっぱいした
そのうちに
「一緒に西安に行こう、みんなで西安に行って、いっぱい案内するよ」と
みんなで西安に行くことになってしまったのだ

 

人と人との出会いというものは不思議なもの

 

去年
私が上海に仕事で出かける機会があったとき
リエさんに通訳をお願いした

 

それがきっかけで

 

リエさんが「日本のお父さんとお母さん」と呼んでいる
奈良に住むリエさんの身元引受人のご家族から
上海の“陶さん”を紹介してもらい
半年以上に渡る大変な苦労ののち
「快洗Taoる」が生まれた

 

大変な苦労とは
私達の要求、意見を、ほぼ毎日のFAX交換によって
リエさんが、陶さんとの橋渡しをしてくれたこと
そのFAXのファイルは厚さ数センチになっていた

 

快洗Taoるは
実に、この数センチのFAXの束から生まれたものといっても過言ではない
FAXの束とは、膨大なコミュニケーションの印
私たちと陶さんの間に入って、リエさんが作り上げてくれた
膨大なコミュニケーションの印なのだ

 

リエさんの存在がなければ
絶対に快洗Taoるは生まれなかった
その快洗Taoるが、毎日、1万枚単位の出荷に追われている
ユーザーの方には大変申し訳ないが
製造が追いつかなくて、タオルの色によっては欠品状態が続いている
快洗Taoるのその良さが、爆発的な出荷になっている
ドンドン増える注文が、それを証明しているに違いない

 

「私、なぜ日本で勉強してバイトしているのか、分からなくなってしまっていました。
でも、タオルのことで上海の陶さんと毎日FAXでやり取りを始めて
すごく生活に張りが出ました。楽しかった。・・なぜでしょう。」
そう言っていたリエさん

 

リエさんは
陶さんとのやり取りを、利益目的で始めた訳ではない
上海での通訳を引き受けた成り行きで
自然に、毎日の陶さんとのFAX交換が始まって
結果として
素晴らしい製品が出来上がった

 

私たちと陶さん
その両方の「良い物を造りたい」の気持ちを伝えるうちに
“利益がもらえるかどうか”などという
目先の目的以上に
一緒になって、リエさんも「良い物を造りたい」の気持ちになってしまった
そういう事ではないだろうか

 

本物の通訳とは
相手の言葉だけでなく、相手の“意志・意思”を正確に伝えるもの
相手の意思を伝えるためには
その人の気持ちを本当に理解できることが必要であって
理解するということは
その人の気持ちになるということ

 

その人の気持ちになる事が出来る能力を“共感性”と言う
あるいは“やさしさ”とも言う
人間としての“資質”が、ものを言うのだ

 

その意味でリエさんは、本物の通訳である

 

そして、ビジネスにおいての商品開発も
その商品を使う人の気持ちになれなくては、絶対に良い商品は作れない
小売りでも、お客様の気持ちを本当に分からなければ絶対成功しない
CS.とはそういうものだろう
あるいは、ビジネスというものそのものが、そうであるかもしれない

 

その意味で、リエさんは、ビジネスマンとして
いい資質を持っている、と言える

 

 

私達は、中国でのビジネスにおいて
リエさんの存在が、どうしても必要になっている
必要欠かさざるべき存在になっている

 

そのリエさんが
先日、上海で
みんなで話をしているときに言った
「わたし、来年の4月に最後の就学ビザが切れます。
中国に戻らなくてはなりません。」

 

しかし、中国に帰って、特にやる事があるわけではないとも言う

 

「じぁ、うちの会社に入ってよ。アイ・タック技研に入社して、
就労ビザを取ろうよ。みんな、全力で協力するさ。」

 

「中国でのアイ・タックのビジネスを伸ばす主役になってください。」

 

「日本に住んで、中国にも住んで、事務所を持って、本格的に仕事しませんか?」

 

中国での仕事が、どのように立ち上げられるのか
まだまだ分からないことが多い
たくさんの人に教えてもらわなくてはならない

 

しかし、リエさんが
私達の会社のために仕事をしてくれれば、必ず成功するような気がする
わたしの直感が、そう思わせている

 

みんなで
「そうしようよ、そうしようよ」と話をしていたら
その日一番のいい笑顔を見せてくれた
その上、カメラを向けたら珍しく、ポーズをとってくれた

 

※4人で上海のコーヒーショップにて

 

 

リエさんは、すでに、わたしたちの正真正銘の仲間ではあるが
ひょっとしたら、リエさん
私たちの会社に入って、中国の主役になってくれるかもしれない
・・・
なって欲しい

 

みんながそう思っています。

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2003年09月17日(水曜日)

798話 上海の1日休暇

お断りしますが、今日は、すでに一杯飲んでしまっています。
だから、酔っ払いの戯言(ざれごと)として読んでください。

 

ふと、考えたのだが
昨日の“上海の風船”の話
これはひょっとしたら中国の国家的陰謀かもしれない

 

上海の大繁栄の姿を見ていると、忘れてしまうのだが
考えてみれば
中国は、共産党の国家である
それが、?小平の経済開放政策
「豊かになれる者から、先に豊かになりなさい」で
一挙に資本主義国家のようになってしまったが
考えてみれば、いまだに共産党が支配する共産国家なのだ

 

上海のバブル
いや、バブルより強靭な風船かもしれないそれは
共産党の陰謀ではないかと
酔っ払った頭が
ふとっ思ってしまったのだ

 

バブルに狂奔しているのは“いわゆる金持ち”
あるいは、外国からの資本をバックにした中国人
つまり、外国からの資本を代行する形で
中国人が買っているのではないか

 

あるいは、外国資本が直接に買うか
あるいは、中国人が外国で働いて稼いだ金をつぎ込むか
あるいは、台湾人か
(台湾人は、中国は一つを建前としている中国としては、中国人なのだ)

 

そうでなければ、2千万、3千万円というような
馬鹿高いマンションなどを買えるわけがないと思った
中国の物価指数から考えれば2億円、3億円に匹敵するのだ

 

一般的な若い労働者が2万円/月
高級事務職で5万~8万円/月ぐらい
社員50人以上の工場などの総経理・社長は
飛び抜けて給料が多いが、それでも20万~50万円/月ほどか
まれには、100万円以上の総経理もいると聞いたが
私の聞いた限りでは
普通の製造業の社長クラスで年収300万円~500万円程度
日本の平均月収に近い

 

それで、10分の1ほどの物価の中では、十分過ぎるほど豊かな生活が出来る
上級な生活が出来る

 

だから

 

数千万円もするようなマンションなど、ほぼすべての人が
買えるものではない
私にはそう思える
外国からの金が絡んでいなければ
買える人など滅多にいるものではない

 

私の知っているマンションを買った人も台湾人であって
台湾から持ち込んだお金でマンションを買っている

 

そして、そのマンション
決して、建設費が1軒に数千万もかかっているわけがない
マンション建設のためのコストの大きな部分である原材料費も、人件費も
中国では恐ろしく安いのだ
あくまでも山勘であるが
1軒2百万円?程度で出来てしまうのではないか

 

問題は土地代
しかし、土地は国家のものであって
私的な所有は出来ないと聞いた

 

国家の土地に建てた
2百万円ほどのマンションを
直接的、間接的な外国からの金が
値上がりを目的とした投資として、数千万円で買っていく

 

このバブルは、ひょっとしたら
外貨獲得を目的とした
それも丸儲けの外貨獲得を目的とした、巧妙な
“作られたバブル”ではないのか?

 

どこかでバブルがはじけて
不動産が大暴落しても
・外国から持ち込まれ払われた外貨は、そのまま残るし
・建設に要した労働者達に仕事があったわけだし
・街は近代的に整備できたし
・暴落して安くなったマンションには、買えるようになった中国人民が住めばいい

 

とことん作りまくって
バブルで値段を吊り上げて
バブルに踊る外国がらみの金を集めつくす
中国のバブルとは、ひょっとしたら・・・

 

共産党は、“人民の味方”なのである
“人民のために働く”のだ
数千万のマンションを買えるブルジョアのためになんか・・
・・・・・・
どっちでもいい

 

ちょっと酔った頭で考えた、中国共産党のバブル陰謀説
あたっているか?
かすっているか?
はずれているか?

 

上海出張、最後の日は観光であった
初めての上海の観光
1日1万円で8人乗りのタクシーを貸切り、観光する予定だあったが
快洗Taoるの陶さんが
どうしても、「自分の車で案内したい」と言ってくれたので
結局、甘えることにしてしまった

 

陶さんは、奥さんと子供さんも連れて来た
家族ぐるみで一緒に遊びに行くのは、最高の親愛の情の表現だ
うれしい!
こんなにうれしいことはない

 

観光に行ったのは「蘇州」
上海から車で2時間ほど、蘇州は水の都だ

 

途中の道路で、もう1台の車と合流した
蘇州に染色工場を持つ、陶さんの友達だそうで2人
蘇州の地理にうとい陶さんが、道案内を頼んだらしい
2台並んで蘇州観光
私たち4人に対して、同行が5人

 

最初に行ったのが
何とかという庭園、広い広い!
ぶらぶらと歩いての見物は、私にはしっかりとくたびれた
観光は、私はホントに苦手だ
いっぱいの人の中で、目が回る

 

 

次に行ったのが「寒山寺」
寒山寺は蘇州の観光のメッカで
やはり、すごい人であった
歩くのが苦手な私は、途中の堂の前に座り込み
「ここで待っているから、見にいっといで」と、家族を行かせた

 

一人で堂の前の石段に座っていたら
寂しかろうと思ったのか
陶さんが横に座ってきた

 

みんな寺の本堂のほうに行ってしまって
残ったのは石段に座っている私と陶さんだけ
私は中国が喋れない
陶さんは日本語がさっぱり分からない
両方とも、微々たるほどの英語の単語が分かる程度
黙っているのも気まずいので
訳の分からない英語で、二言三言
極端に簡単な単語しか喋れないので、よく分かる
しかし
あまりにも幼稚な英語の会話は
お互いにばかばかしくなって、結局、黙る

 

おっさんが二人、石段に座って、黙っている
居心地が悪い
お互いに考えていることは一緒
「早くみんな帰ってこないかな~」
「・・・・・・・・・」

 

先に帰って来たのが
蘇州の染色工場の2人、社長・シー(難しい漢字で書けない)さんと、もう一人
ニコニコして、シーさんがタバコを差し出す
タバコを勧めるのは、中国の親愛の印、滅多に断るものではない
しかし、お寺の中は「禁煙」と書いてあった
私は手を振って
「ノースモーキング、ノースモーキング」というが
陶さん
「ノープログレム」ときっぱり
「・・・・・まっいいか」
シーさんから貰ったタバコを、シーさんと、シーさんの会社の人と3人で
石段に座って、プカ~っとやりだした
ホントにいいのかしらん

 

 

寒山寺のあと
通訳の李さんの日本への留学生時代の同級生・張さんが
蘇州に会社を経営していて
私達に、お昼ご飯をご馳走してくれた
彼の話も面白くて
近く、李さんの事を書こうと思っているので、その時にまた書きたい

 

最後に行ったのが
「水の都」という場所
蘇州から上海に半分戻ったぐらいのところにある、ちっぽけな村で
典型的な“田舎”であった

 

 

村の中に、二千年前に造られたという石造りの運河を
おばちゃんが漕ぐ舟に乗った

 

 

ゆったりと水路を進む舟は
のんびりとして
とっても、気持ちが良かった
舟を漕ぐおばちゃんが、また素敵で

 

 

楽しい、楽しい、でも、ちょっとくたびれた観光の一日でした
帰りに、また
陶さん家族が晩御飯を一緒に食べようと誘ってくれた
断る理由はない
よろこんで、ご馳走になった

 

今日一日で、陶さんの家族と私たち
本当の家族づきあいが出来るようになった気がして
うれしかった

 

耳を引っ張り合うのが、愛情の表現なのだそうだ
お~っ痛そう

 

 

チャーミングな奥さんと、ひとり娘イーユゥーイちゃん(本当の発音はもっと難しい)

 

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