谷 好通コラム

2004年05月09日(日曜日)

953話 我がDisclosure

disclosureとは情報公開。
企業とか行政機関が、世間に対して情報を公開することを言う。

 

我がアイ・タック技研?は情報公開についてはかなり徹底している。

 

銀行さんとかベンチャーキャピタルの方が来れば、
即座に決算報告書をお見せし、コピーも差し上げ、直近の試算書も同様である。
特に試算書は、月次決算のつもりで
出来るだけ正確なものを、毎月15日までには出せるようにしている。
情報は正確であり、新鮮である事が肝心であるからだ。

 

隠すということは、
大体の場合、実態よりも良く見せようとする事であり、
その逆はない。
それは、誰でも知っていること。

 

だから、その内容が良いにしろ悪いにしろ、正直なものを出す。
隠すことによって得られることは何も無いが、
公開することによって得られることはたくさんあり、
その中でも、一番ありがたいのは“信頼”である。

 

洗車技術、コーティング技術も、
出来るだけ正確にたくさんの方にお伝え、公開しようとしている。
だから、毎月ワンデースクールと実践洗車スクールを
定期開催で10回ほど、不定期で何回か、
また企業ワンデーと称し企業の要請によって多数回開催している。
その出席者は年間1万人を超しているほどだ。
http://www.sensya.com/_school/21.html
そのおかげで、何千軒という施工店さんが、毎月20万台ものお客様の車に、
ほぼ正しくKeePreコーティングを施工してくれている。
こんなにありがたいことはない。

 

快洗隊の見学者にも、出来るだけ多くのことを詳しく説明し、
ほとんどの資料を公開している。

 

毎月発行している「KeePreタイムス」では、
直営快洗隊の実績を生の数字で公開している。
しかし、1月とか6月などの非需要期には恥ずかしいような数字になってしまうので、
公開するのに抵抗を感じることもあるが、
自分に都合の良い数字だけ出して、恥ずかしい物にはフタをするのでは
公開にならない。
思い切って、すべてをそのまま出してしまっている。

 

KeePreタイムスは毎月12000部発行していて、
その費用は無視できないほどの経費であり、製作にもかなりの労力を要するが、
たくさんの情報を多くの方に早くお伝えすることができ、
感謝されることも多い。
http://www.sensya.com/keepretimes/vol33/main/index
また、製品紹介の意味合いも持っているこのKeePreタイムスのおかげで
新商品の立ち上がりが驚くほど早くなっている。

 

そして、このホームページ。
一日400~600回、250人~400人の方が訪れてくれて、
今では、お会いする方の多くがこのホームページをご覧いただいていて、
この会社と私自身を最初からご存知の状態から
お話をすることが出来る場合が多い。
こんな場合、話が非常にスムーズに出来て、こんなにありがたいことはない。

 

我社のdisclosureは、

 

1.ホームページと
2.各種の洗車スクールhttp://www.sensya.com/_school/1.html
3.KeePreタイムス.
4.資料提供http://www.sensya.com/keepretimes/vol33/main/order.html
5.快洗隊見学の受け入れ

 

この5本の柱で行っている。
一つの会社としてはかなりの情報量である。
しかし、肝心なのは
その情報の量ではなく、それが正しい情報なのか、
情報を受けた人を操作しようと意図し“作られたニセの情報”であるかである。

 

情報を自分の都合の良いように変えて、
あるいは都合の悪いことは隠して、
自分を誇大に見せようとするのは、あらゆる意味でマイナスである。
隠すということは、
大体の場合、実態よりも良く見せようとする事であり、
その逆はない。
そのことを人々はよく知っていて
前話の三菱自動車の例を挙げるまでもなく、いずれはバレルことになり、
その時、すべてが逆効果なる。
長い間コツコツと積み上げた信頼が、一瞬のうちに崩れてしまうのだ。

 

情報は、包み隠さず本当のことを正確に伝える事で、
初めて有益な意味を持つ。

 

本当の事を伝える情報は、
それを受けた人々にとっても、それを発信した者にとっても
あらゆる意味で有益であるが、
その反対に、情報の一部を操作した、あるいは隠したインチキの情報は、
それを受けた人々にとっても害悪であり、
それを発信した者の信頼をも大きく失墜させるものである。

 

我がdisclosureは、
とにかく量が多い。
どちらかというと質より量で、決して洗練されたものではないが、
しかし、量が多いということは、
ウソが入り込む余地が少ないと言うことでもある。

 

一回ウソの情報を混ぜてしまうと、
そのウソに対してつじつまを合わせなければならない。
そうなると、すべての事に事実とは違ったツジツマ合わせが行われるわけで、
ウソがウソを呼び、ほとんどの話がウソになっていってしまう。
一回のウソ以降は、すべて造った話にしなければならないのだ。
特に大量の情報を出し続ける場合には
これは、とても大変なことであって、
天才的な記憶力でもなければ、とうてい出来るものではない。不可能である。

 

そういう意味では、我がdisclosureは無骨で不器用ではあるが、
ウソは無いことだけは間違いない。

 

私は、ウソにウソを重ねていくだけの天才的な記憶力など持ち合わせていない。
毎日あった事、本当に思った事を出し続けるだけだ。
その方がうんと楽であるし、
良い事が一杯たくさんあるから。

 

明日から、また上海である。
“またっ”上海である。
(少しうんざり気味)

 

これも上海かもしれないが、

 

 

これも上海であり、

 

 

こんな風景の方が当たり前の上海であり、

 

 

もっと普通の風景の、これも上海である。

 

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2004年05月09日(日曜日)

952話 会社存続の根拠

今、三菱自動車が火ダルマになっている。
三菱自動車製の大型トラックの“ハブ”に構造的な欠陥があり、
多くの死傷者を出す事故を招き
大きな社会問題にまでなっている。

 

機械は人が作るものなので、必ず壊れるが、
しかし、危険な壊れ方をしてはいけない。
特に、人間の生死に関わるような壊れ方をしてはいけない。
ましてや、その危険が繰り返されてはいけない。
そういう意味で今回の三菱自動車の事件は最悪である。

 

何故こんなことになったのであろう。

 

(以下、すべて私の勝手な想像)

 

ハブが折れたことに因する事故が続いた時、
会社は
「死傷事故の原因が、
自分の会社が製造したトラックの構造と強度にあるかもしれない。」
と、当然のごとく考えた。
強度検査など、きっとテストも繰り返したはずだから、
自社製品に強度的な問題があったことをまったく知らなかったわけが無い。

 

そして、2つの考え方が交錯した。
1.大変だ。これ以上死傷者が出たらとんでもないことだ。早く対策しなくちゃ。
(☆大切なのは人の命であって、会社としての損害は次の問題。)
2.大変だ。何とかバレないようにしなくっちゃ、会社がとんでもないことになる。
(☆大切なのは会社の利益であり欠陥は隠そう、また人が死んでも仕方ない。)

 

さぁどうする。
どうする。どうする。どうしりゃいいんだ。

 

会社の中ではきっと激しい議論が繰り広げられたのだろうと想像する。
それが、経営陣の段階での議論であったのか、
それとも、現場サイドで情報が止められ、現場サイドでの葛藤であったのか、
多分、情報は経営陣まで届いていて、トップの段階での議論であったのだろう。

 

過去、三菱自動車は、
自社製自動車の重大な欠陥を隠蔽し、社会的に信用を失墜した事がある。

 

この時は、
企業の存亡をかけて、
品質において、およそ最高の信用を持ち
世界的なブランド力を持つメルセデスベンツの信用力に頼るべく
ダイムラークライスラーグループの傘下に入った。

 

そしてテレビCMなどの広告で、
「今の三菱自動車はベンツの品質で作られている。」と
あからさまに、現在自己肯定することによって、過去自己否定をして見せた。
個人的には、これは非常に不愉快なCMであった。

 

品質というものは、そんなに簡単に高められるものではない。

 

製造段階での高品質確保は、
自社工場での組み立て段階での品質管理だけでなく、
部品を製造する協力工場と呼ばれる部品メーカー、下請け工場の品質管理、
その部品を構成しているそのまた部品のメーカー、つまり孫受け工場、
そのまた下請けの“ひ孫受け”工場の品質管理と、
品質管理の網の目は、
限りなく細かく、しかも末端にまで深く浸透していなければならない。

 

この品質管理の網の目を構築し、正しくマネージメントしていくには、
膨大な人々が関わっているので、
浸透されるには長い時間と、
製造機械の精度を上げるなどのインフラ整備に膨大な資本の投下を要する。

 

このように、品質管理とは“文化”と呼べる一面を持っていて、
末端まで含めた会社全体としての取り組みが必要である。
だから、これは会社の経営者の姿勢が大きく関わってくる問題なのだ。

 

高い品質によるブランド力を持った会社と合併することによって、
すぐに得られるようなものではない。

 

あるいは
製造過程で品質管理をいかに厳しくしても、
設計的に構造的な欠陥を持っていれば、元も子もない。

 

また、如何に構造的にしっかりしたものを設計しても、
コストの問題などで、経営陣にその変更を強制され
コストダウンを安全よりも優先させた設計にしてしまうかもしれない。

 

品質とは、どんな車を作っていくかという会社としての根源的な価値観なのだろう。

 

 

話は戻って、さぁどうする。
・・・・
やっぱり隠すことにした。
会社を代表する経営陣の価値観は、隠す方にあった。

隠して現状を放置したら、
また事故が起きて、人の命が失われる可能性があっても、
自社製品に、“また”欠陥があったことを公表して受ける会社のダメージを考えると、
また人の命が失われる可能性に目をつぶることにしたようだった。
これは会社の経営者の価値観に他ならない。

 

会社とは、
その製品を買い・利用してくれているユーザーの存在によって、
成り立っている。
だから、会社の繁栄と存亡は、
ユーザーに意思そのものにかかっている。

 

会社が
ユーザーの為になり、役に立つ物を製造、あるいは販売、あるいはサービスすれば、
ユーザーは、“買う・利用する”ことによって、
会社を存続させてくれる。

 

また、その物、あるいはサービスが
ユーザーにとっての価値の高いものであればあるほど
高い報酬、つまり高い価格で買い・利用してくれるので、
あるいは多くの商品を買い・利用してくれるので、
会社は繁栄する。

 

会社は、その存在の根拠となっているユーザーに対して、
いかに高い付加価値をもって役に立つものを作り、販売し、サービスを提供し、
ユーザーが買う・利用するという形で報酬を得ることによって、
存続し、繁栄する。

 

会社の存続と繁栄は、根源的にユーザー(Customer)に拠っている。

 

顧客第一主義、
カスタマー・サティスファクション、
Customer satisfaction、
略してCS.
とは、顧客に対してへつらい、媚びることではなくて
このように非常に原理的な、簡単なことなのではないだろうか。

 

今回の場合
会社の繁栄原理からすれば

 

1.大変だ。これ以上死傷者が出たらとんでもないことだ。早く対策しなくちゃ。
(☆大切なのは人の命であって、会社としての損害は次の問題。)

 

でなければならないのに、

 

2.大変だ。何とかバレないようにしなくっちゃ、会社がとんでもないことになる。
(☆大切なのは会社の利益であり欠陥は隠そう、また人が死んでも仕方ない。)

 

となってしまったわけで、

 

会社の存在と繁栄の根拠になっている“人”を、
会社の目先の存続・繁栄の後方に置いてしまった。

 

最も根源的なところでの誤りは、当然のごとく犯罪となった。
この会社はもう無理かな?と感じているのは、私だけではないようだ。

 

しかし、この経営者たちのもっと大きな罪は、
自分たちを信頼していた何万人にも及ぶ会社に関わる人達の生活に、
大きな不安を、ひょっとしたら失職を作ってしまうかもしれないことだろう。

 

アイ・タック技研はどうなのか!
他山の石としてこの事件の本質を見極め、
自らのこととして、自省、自戒して行かなくてはならない。

 

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    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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