谷 好通コラム

2004年05月30日(日曜日)

966話 中国とKeePre

北京から大連に飛んで、最後に上海に飛ぶ。

 

上海ではたくさんの仕事を用意していた。
しかし、大連空港での霧でまるまる1日間をロスし、
その大半の仕事をキャンセルした。

 

とにかく、上海の総代理店である車聖さんのスタッフに
完全にKeePreを使えるようになってもらわなくては、事を前に進められない。
だから、車聖さんのスタッフの研修を最優先にして、
新規客への営業は後回しにしたのだ。

 

中には歓迎の用意をして待って下さっていた方もいたであろう、
本当に申し訳ないと思うが、優先順位をそうすべきと考えた。

 

私たちのKeePreは、ただ単にケミカルを商品として販売するのでなく
KeePreの技術の伝達が必ず伴う。
それに理論と考え方もぜひ伝えたい。
そういう意味ではKeePreは非常に面倒な商品なのだ。

 

中国では経済開放以後、一攫千金を目論む人達で溢れかえっている。
KeePreを上海のショーで紹介して以来、
びっくりするようなたくさんの人・会社からオファーがあるが、
KeePreを代理店として販売したいのならば、
代理店である人がまず技術を習得することが絶対条件であることを伝えれば、
一攫千金にだけ興味のある人は引いてしまうだろう。

 

上海の車聖さんとは、ずいぶんたくさんの議論をした。
通訳を介しての議論なので余計に時間が掛かることを換算しても、
かれこれ何十時間もの議論を重ねてきた。
私が説得することもあれば、車聖さんから多くのことも学んだ。

 

今の車聖さんのスタッフへの技術研修は、
ほとんどの場合、社長の任さんも一緒になって研修に参加している。
これは重要なことで、
縦社会の中国において、何十人もの社員を擁する会社の社長が
スタッフと一緒になって汗を流し、
技術を習得するなどということは、きわめて異例なことのはずだ。

 

少なくともそのことだけででも、車聖さんが
上海の中国随一の上海マーケットを任せる価値のある相手であると考えている。

 

施工店さんとしても、
新しいものを受け入れようという姿勢を
強く持っておられる熱心な人達がたくさんいることも確信している。

 

中国に通い始めて1年半
上海だけに12回、そして今回、初めて北京・大連に行って見て、
また新たな方々とも交友関係を持つことが出来た。

 

北京では、郭社長とその会社に大きな実行力の可能性と、強い事業意欲。
そして、新しい洗車文化を作り上げるだけの革新性を感じた。
今後、北京には大きな力を投入したいと考えている。

 

しかし、異文化の中で事業活動をするのは大変に難しい。
そんなことも改めて痛感している。
言葉の壁が想像以上に高いのだ。

 

上海に移って約2ヶ月の李さんも大変苦労をしている。
一般的な会話では何の不自由も感じないほど李さんは日本語が達者だが、
ことビジネスの話になると、求められる言葉の精度がまるっきり違うのだ。
特に真面目な李さんだからこその苦労もある。

 

今回びっくりしたことに、
「とにかく、日本語ので書いてある通りに中国語訳しなさい。」
という李さんへの私の言葉を、
「日本語の単語を、忠実に単語として中国語訳しなさい。」
と受け取ってしまい。
それが文章になった時、
中国語の文章としては、まったくおかしな文章になってしまっていたことだ。

 

これは、私にとっては寝耳に水のことで
大変ショックなことであった。
商品カタログから、パンレット、マニュアルまで全部作り直さなくてはならない。

 

「日本語の通りに訳しなさい。」とは、
当然、
「日本語で書いてある“文章の意味”そのままに、中国語訳しなさい。」という意味だ。

 

文章であっても、言葉であっても、
その内容に意味があり、その意味のために書かれ話されるものだ。
その意味が通じなければ、まったく役に立たない訳であって、
単語一つ一つが訳されても、その文章としての意味がおかしくなったのでは、
文字通り、話にならない。

 

しかし、李さんは私の言葉を忠実に実行しようと思って、
その思いがあまり
「日本語の単語を、忠実に単語として中国語訳しなさい。」と受け取ってしまった訳だ。
李さんのかたくなまでの真面目さがなした事。

 

だから、その文章を第三者が「これでは、ちょとおかしいよ」と指摘しても、
「社長は、日本語のままで訳さないといけません。と言っています。
だから、これでいいのです。」となり、
誰もそれ以上言わなかったらしく、
第三者のチェックが効かない状態になってしまっていたらしい。

 

この結果には、私もショックであるが、
一生懸命“言われたとおり”に中国語訳してきたつもりであった李さんには、
すごいショックであっただろう。
ここから立ち直れるか。
これからが、
中国において彼女がビジネスマンとしてやっていけるかどうかの正念場である。
がんばれ李さん。

 

言葉の壁は、想像以上に高いのだ。

 

上海空港で搭乗時間が来るのを待っていると、
場内アナウンスで、耳に残る言葉がある。
「トンチー・フォ・トンチー」
というフレーズで、
アナウンスの最後に必ずこのフレーズが付く。

 

意味は、
「搭乗口から搭乗してください。」で、
中国語で書くと
「登機口・登機」
「登機(トンチー)口(フォ)・登機(トンチー)」となるわけだ。
これを日本語に直訳すれば
「搭乗口・搭乗」となってしまう。

 

中国語は助詞が無いのか、
「登機口・登機」つまり「搭乗口・搭乗」と言えば
「「搭乗口から搭乗してください。」となるらしい。

 

私達日本語しか分からない日本人には、想像すら出来ないことだ。
前話の「抗議より弁当?」にあったように、
物事に対する価値観、抗議の意味、
などなど習慣の違いとしか言いようのない違いもある。

 

KeePreは単なるケミカル商品ではない。
かなりのコミュニケーションが必要である。
このような商品としては変わった存在においては、
特に、この言葉の壁が大変な障壁になってしまう事も予想される。

 

厄介であるとは思うが、
だからこそ、それがKeePreの商品としての独自性となって、
浸透し始めれば、強い商品に成長するとも考えている。

 

成そうとしている事業が困難であればあるだけ、
成された時には、他に無い強さを身に付けているはずである。

 

北から、
「大連」「錦州」「北京」「上海」「広州」「香港」「台湾」「マニラ」
これだけ、当面行かねばならない所がある。
ひと月3回は、中国などへの出張が必須となってきている。

 

広がり始めるとあっと言う間に広がってしまうが、
決して、薄く広くにならないように、一点一点に力を集中していく。

今回も、正直言って疲れた。
しかし、栄養過多の中国料理へのコントロールもある程度憶えたし、
これからどうすればいいのかも、ある程度、見えてきたと思う。

 

中国へ行き始めて1年半、
また新しいステップを踏み始めた事を強く感じた今回の中国出張である。

 

 

今回印象に残ったシーン

 

元師団長、郭社長が宿舎観閲の時の凛とした後姿。
この姿勢、ほれぼれとしてしまう。

 

 

すごく逞しくなった、と感じた頼さん

 

 

上海の車聖・任社長と頼さん(社長)が、ものすごく仲良くなっていて嬉しかった事。
上海浦東空港に一緒に送ってくれる時の二人の後姿。

 

 

意外とチャンとしているじゃんと思った鴨井君、
いい度胸をしているし、なかなかである。
上海浦東空港にて

 

あ~~~~おもしろかった。

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2004年05月30日(日曜日)

約一週間メールが読めていません。

24日、北京でインターネットへの接続に苦労して、結局失敗し、
その時以来、アウトルックの調子がおかしくなってしまいました。

 

大連のRAN接続の出来るホテルで、
インターネットエキスプレスとは接続できるようになったのですが、
(だから、これが書けている訳ですが)

 

やはりアウトルックでの送受信が出来ません。
そして、今現在も、なぜか一度だけ送信は出来たのですが、
受信は出来ていません。

 

ですから、
先週の月曜日から、
メールの受信がまったくできない状態でいるのです。
この一週間、
私にメールを送ってくださった方、
大変申し訳ないのですが、まだメールを読めていないことをご承知おきください。

 

何とか休み明けの月曜日には、会社で直して受信したいと思っています。
よろしくお願いいたします。

 

私は、連絡のほとんどをメールでやっています。
だから、私の携帯電話でほとんど鳴らない位です。

 

一日何十通のメールをいただくのですが、
それが一週間も開くことが出来ないでいるのは、大変不安なのですが、
現在どうしようもない状態です。

 

本当に困りました。

 

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2004年05月30日(日曜日)

965話 抗議より弁当か?

大連では2つの目的があった。
1つは、もうすぐ発売の新商品が大連から良いサンプルが出てきてので、
直接工場に行って、詰めをしてくること、
2つ目は、大連の近くの(中国全土の地図では近かった)
錦州という街で、熱心にKeePreにラブコールを送ってくれている会社に行くこと。

 

大連に行ってから分かったこと
錦州とは、大連から車で片道6時間、往復で12時間もの所にあるということ
中国全土の地図では確かに隣町であるが
中国そのものが日本とは比べ物にならないほど広い国であって、
地図の縮尺もはるかに大きいことに気が付かなかったようだ。

 

朝早く出て、夜遅く返ってくるパターンになってしまう。
私は仕事が出来なくなってしまうので、
ここは、初中国の鴨井君と李さんの2人で行ってもらうことにした。

 

大連で待ち合わせたスーパー耐久の田中篤氏に紹介してもらったタクシーを
チァーターして延々と往復600km
朝6時半に出て行って、帰ってきたのは夜10時過ぎであった。
しかし、タクシー代は1500元ほど、日本円で19,500円ぐらいだ。
改めて中国でのタクシーの安さに驚く。

 

錦州で工場は、すばらしい工場と熱心な経営者の方たちとスタッフの方々が、
彼らを熱烈に歓迎してくれたと言っていた。
ありがたいことだ、私も近いうちにぜひ錦州まで行かねばならない。

 

鴨井君と李さん、ご苦労様でした。

 

翌27日は、
朝10時の飛行機で大連から上海に飛ぶ・・予定であった。
朝起きたら、窓の外には不気味に霧がかかっていた。

 

 

出発のホテルに“付さん”が見送りに来てくれた。
付さんは、大連にある田中さんの現地法人の総経理で、
かわいい顔に似合わず、バリバリの経営者である。

 

 

「これは、まずいかなぁ~」と思いながらみんなで空港に向かう。
大連空港では何事も無いようにチェックイン。
ただし、霧がかかっているので飛行機は1時間ほど遅れるとの案内を貰った。

 

1時間程度の遅れはよくあること、
空港内の喫茶に行ってお茶でも飲みながら、タバコを吸う。
ゆっくり出来て、ちょうどいい。

 

11時の出発に間に合うように、手荷物検査を受けて搭乗口に行くが、
その手前にあった搭乗口と飛行機の出発状況を示すインフォメーションに、
なぜか私たちの便が載っていないのかが気にかかった。

 

ひょっとしてもう飛んでしまったのか。
あわてて、係りの人に聞くと、
その便は“長春”からやってくる機体を使うのだが、
その機体が、まだ長春を飛び立っていない。
だから出発は何時になるか分からない状況になっている。ということだ。

 

そりゃ大変だ。
上海空港には、快洗Taoるの陶さんに迎えに来てもらっているはずだし、
車聖の任さんとの約束の時間もある。
確かに、空港ビルから滑走路が見えないほどに“霧”が深くなっている

 

 

電話で上海に、遅れることと、それが何時になるか分からないことを伝えさせて、
あとは、デンと構えるしかない。
飛行機が飛ばないのは、何もすることはないし、どうしようもない。
ただ、ただ待つだけ。

 

ただ、ただ待つだけ。
しかし、タバコは吸いたい。
中国の空港には、登場口の辺りに何軒か喫茶店とかがあって、
その店の中ではタバコが吸えることになっている。

 

長時間の待機となるとそんな店の中は満員になってしまうのだ。
大急ぎで4人分の席を確保する。
さぁ、持久戦だ。
コーヒー飲んで、おしゃべりして、私はパソコンをポツポツと
頼さんは中国の戦時中のマフィアの大物を書いた本を買ってきて読んでいる。
李さんは、原稿ものの中国語訳を、
鴨井は、・・・鴨居はなんだか本を読みまくっている。

 

とうとう12時時に、
いまだに空港側は、「離陸は何時になるか分からない」とアナウンスしている。
腹減った、昼飯食うか。
その4人分の席を取られたくないので、
その場の喫茶店で軽食を食べることにする。

 

私は、韓国風の辛味ラーメン。インスタントラーメンである。
頼さんと、鴨井と李は、ワンタンメン
もちろん大してうまくはない。
でも、キャンプみたいで楽しい。

 

 

昼を過ぎてから、何機かの飛行機が着陸してきた。
私たちの飛行機は午前10時発の上海発、
ところがその後の午後00時45分発の上海行きと
午後1時半発の上海行きが、さっそうと着陸して乗客を乗せて飛んでいった。

 

この飛行機が降りられるのなら、
私たちの飛行機もやがて長春からやってきて、この大連空港に降りてくるはずだ。
霧で視界が悪いとき
離陸はさほど問題ないのだが、着陸が難しい。
だから、着陸さえしてくれれば、ほとんど問題なく飛び立てるのである。

 

 

どんな状況なのか、頼さんが空港の人に聞きに行ってくれた。
「長春から出発はしたのですが、上海に下りることが難しいということで、
瀋陽空港に降りて、そのまま待機しています。
大連空港に向けていつ瀋陽空港を離陸できるかは分かりません。」
ということ、

 

と、いうことは!
10時発の飛行機は旧型に違いない。

 

その後の時刻の2機の飛行機は、霧が少し薄くなった隙を狙って降りてきた。
機体はボーイング737-500であったと思う。最新型に近い機体だ。
自動着陸装置も付いていて、かなりの霧の中でも降りられるようになっている。

 

しかし、10時発予定の飛行機は瀋陽に降りて、飛び立とうとしない。
つまり、アンビオニクス、電子設備が旧式で
着陸の多くを“目視”に頼っていて、霧が出ると弱い機体なのだ。
きっと!
中国南方航空なので、 MD-82(DC-9)当たりであろう。
初飛行から20年以上経っている旧型機である。

 

そこに頼さんから情報。
16時20分発の上海行きの飛行機に空席があるそうだ。
これは午前10時発の上海行きと同じように
長春から来た機体がそのまま上海行きになるパターン。
それが1時間遅れの17時20分に大連を出発する予定であることを
頼さんが聞きつけ、その飛行機に乗り換えることを言い出した。
10時発の機体が出発の予定が立たないのに

 

16時20分発の機体が、1時間遅れとはいえ、出発の予定が経っているということは
その機体が新しい機体であると考えられる。

 

そりゃあいい、と言うことになって
早速、チケットを16時20分発の上海行きに切り替えた。
その便はまだ3時間後のことだが、
午前10発の便がいまだに出発時間の見通しが立っていないことを考えると
これは大正解のような気がした。

 

霧はますます濃くなってきている。

 

ここまで、10時から粘り昼ご飯まで食べたタバコが吸える喫茶店には
6時間以上いた。
すっかり顔見知りになったウェイトレスさんたちとお別れをして
新しい便、17時20分の搭乗口に近いところに行くことにした。

 

居心地の良い所を確保。
やはり喫茶店であるが、オープン喫茶であるため
今度は、タバコが吸えない場所である。

 

そこに頼さんがトランプを買ってきた。
「時間つぶしにゲームをやろう」
これが修学旅行とか、何とかなら「ババ抜き」とか「七並べ」とかやる場面だが、
私らは大人、それもかなりひねた大人。
やるのは、当然、博打である。

 

点数をつけて(金を賭けて)“ブラックジャック”
「ギャンブルなんて、私はマージャンもやった事が無い、」と突っ張る李さんも
「大丈夫、大丈夫」と引きずり込んで、御開帳である。

 

盛り上がった、盛り上がった。

 

親、つまり胴元は頼さんである。
そこには今まで見た事が無いような頼さんがいた。
頼さんは元々明るい人だが、博打が始まったら底抜けにハシャイデ
場を盛り上げる。

 

 

不謹慎ではあるが、今回の出張では、この時間が一番楽しかったような気がする。
そんなころ、テレビのニュースのための撮影がやってきていた。

 

ちょうどそんな時、田中さんから電話が入った。
田中さんは、やはりこの27日に大連から福岡便に乗って帰ることになっていて
午前11時過ぎの飛行機に乗るはずであったのだが
やはり霧のために、この便は欠航になったそうだ。
決行が決まったのは午後3時過ぎ。
国際便は欠航にする決定が速いようだ。
私たちなんザ、午前10時の便が午後4時を越しても、いまだ“未定”のままだ。
国内便とはまったく違うようである。

 

ところで、博打の結果はどうか。
私がマイナス10点(100元=1300円)
鴨井がマイナス109点(1090元=14170円)
李さんプラス!88点(880元=11,440円)
親の頼さんプラス31点(310元=4,030円)

 

鴨井の一人負け
李さんの一人勝ちである。(やりたがらなかったのに、結局一番勝つとは。。)

 

ところで、飛ぶはずであった午後16時20分発の飛行機はどうなったのか、
1時間遅れと言っていたが
17時を過ぎてもいっこうに案内のアナウンスが無い。
頼さんが聞きに行ったら、
この便も、出発が未定になってしまったらしい。
10時の便と同じように、瀋陽空港で立ち往生のようだ。

 

ガックリ来るみんな。
ちょっと無言の時間が経つ。

 

あたま来た~。
と頼さんが、抗議に行った。
李さんも加勢に行く。
鴨居は見物に行く。

 

飛べそうに無いなら、早く“欠航”を出して、次の日に便に席を用意してくれれば、
ホテルに帰って、休みを取ることも出来れば、仕事をすることも出来る。

 

なのに、どんな理由なのか分からないが
とにかく
「まだ、霧が晴れる可能性はある。」の一点張りで、
まったく“欠航”を出そうとしない。

 

そして私たちは
万が一、この便が飛ぶような事があったら、次の日の便が用意されないので、
とにかく「待つ」しかないのだ。
もう、時刻は午後7時過ぎ。
午前10時の便もまだ未定で、かれこれ10時間を越している。

 

 

私は直接見ていないが、鴨井からの報告によると
頼さんと李さんの抗議はすさまじかったそうだ。
カウンターを叩きながら、胸倉を掴まんばかりの勢いで、猛烈に怒鳴っていたそうだ。
周りの人も「そうだ、そうだ」と、
大きな人だかりを作って、同じように抗議をしていたらしい。
(この写真は別の時の写真)

 

 

そこへ・・
カウンターの隣で、航空会社からの“弁当”の配給が始まった。
すると・・・
頼さんたちと一緒に抗議していたたくさんの人が
ぞろぞろと一斉に移動して、弁当の前に列を作った。
取り残された頼さんと李さん、そして見学の鴨居。
拍子が抜けて、
抗議もそこまで、

 

「信じられないよ。同じ中国人として恥ずかしいよ。
みんな怒って抗議をしていたのに、弁当が来たらみんな行っちゃうんだもんね。
やんなっちゃうよ。」

 

ブツブツ言いながら、頼さんはがっかりして帰ってきた。

 

周りでは、みんなが“弁当”を、おいしそうに食べていた。

 

 

夜も9時
「もうホテルに帰ろうよ。田中さんに頼んでホテルを手配してもらったから」
と、言って結局“欠航”の決定が出ていないまま、ホテルに行くことにした。

 

外に出たら、霧が照明に浮き上がって取っても綺麗であった。

 

 

朝8時にホテルを出て、1時間かけて空港に着き
空港に13時間以上もいて、
また、1時間足らずかけてホテルに着き、
うっぷん晴らしに、また、博打の続きをやって
ベッドに入ったのは、午前2時過ぎであった。

 

ここは中国、何が起こっても、びっくりしたり、がっかりしないことだ。

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    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

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