谷 好通コラム

2004年07月08日(木曜日)

遊びと高いツケ

畠中が頭を抱え込んでいる。
大きな請求を抱え込んでしまったのだ。
6月28日スーパー耐久のMINE戦が終わったあと
?17KeePreインテグラでちょっとした練習(練習というよりも体験走行?)をした。
8月の十勝24時間耐久レースに向けて、
少しでも早くKeePreインテグラに乗っておこうと思ったのだ。

 

私が先に乗ってわずか4周で、
シフトレバーを受ける台が、割れたエキゾーストの熱で溶けて、取れてしまい、
初回の練習が終わった。
これはこれで、私にとっては意味のある体験であり、良かったと思っている。

 

畠中の場合は悲惨で、
ミッションの4速のギヤを折ってしまったのだ。
デリケートなインテグラのミッションはいかにも何気ないことで折れてしまい、
畠中は、あまりにも簡単に逝ってしまったミッションが
それほど大げさな事になっているとは思いもよらなかった。

 

肝心なことは、
そのままエンジンで走ってしまったということらしい。
このKeePreインテグラはなぜか、何かが少々壊れても元気に動いてしまうのだ。
それが悲劇の元。
折れたギヤが、ミッションケースの中で暴れまわって、
ありとあらゆる部品に損傷を与えたらしいのだ。

 

外国で特別に製作した特注のファイナルギヤ。
1枚36万円也、
それに1速から6速までの各ギヤ、ケースなどなど
全部で79万円也の請求書が北九州の岩永自動車から届いた。
畠中はショックでしばらく口を利くのも嫌そうであった。

 

わずか6周目の悪夢である。
遊びとは実に膨大なお金がかかるものだ。
あな恐ろしや。
彼の愛車“ワゴンR”は、当分新車に替わることは無い。

 

 

そろそろ十勝24時間の準備を本格的にしなければと、
午後から、畠中と林マネージャーと私のミーティングをした。

 

飛行機とホテルの予約は、すでに終わっていて、
7月の練習と8月の本番とも「行く」「泊まる」はパッチリになっている。
しかし行くことと泊まる事が目的ではなく、サーキットで走って勝つ事が目的なので、
アレがいる、コレがいる、とリストを出していくと
予算が信じられないような金額に膨らんでいくのだ。

 

その金額はとても具体的に書けるようなものではない。
24時間レースともなると
チューニングエンジンを2基用意し、ミッションは3基(ノーマル)
エアロパーツは2セットを予備として用意。
コレは最低限中の最低限であって、
実はいつもスーパー耐久に出ている田中さんの車から、
予備の予備としてのエアロなどのかなりのパーツを借りて持っていく。

 

24時間レース用の超長寿命ブレーキパッドはフロントだけで1セット20万近くする。
ブレーキローターも特大のスペシャルを2セット用意する。
消費されるであろうタイヤは多分48本ほど、
レース用タイヤは1本25,000円。で、200kmぐらいしか使えないのだ。
燃やすハイオクガソリンは計算によれば1,400?。
動くスタッフは私を含めて2ダースに及ぶ。
予約したレンタカーは6台。
1泊3,500円の超格安ホテルに全員が泊まる。

 

私は田中選手のように、
レーサーとしての自分の才能を信じているわけでもないし、
自分がレースに出ることで、レースに勝てる要素となり得るとも思っていない。
事実、彼は速い。
日本のトップクラスのプロレーサーと比べても遜色は無い。
彼は、純粋に自分の可能性を追求していくことによって、
大きなエネルギーを自らの中に蓄積している。
それが事業においても大きな活力になっているのだろうと思う。

 

そういう意味では畠中も、山本もかなりの可能性を持っていると、
少なくとも自分達は思っている。
一生懸命働いて、勝てるレーサーになりたいと本気で思っている。
だから素晴らしいモチベーションを持って働く。

 

そして、レーサーという意味では
私はただの太っちょのオッサンである。
レースが好きで、レースカーに何度も乗っているので、
サーキットで走ると、普通のレースに関係ない人よりは、かなり速い。
若い畠中たちに1周1.5~2秒遅れぐらいでは着いていける。
しかし、その程度であって、
レースにおいて追求すべき可能性などほとんど無いと言っていい。

 

それでも、一度でいいから
日本の最高峰のレースに一緒に出てみたいと思った。

 

そのために、
必死でみっともなくダイエットをやって見たり、コソコソとトレーニングをやったり
自分で“情けない”と思ったことも何度かある。

 

遊びのツケは高いものだ。

 

コレを最後にしようと思う。
もうコレっきりにしようと思うから、一度だけ膨大な無駄遣いを許して欲しい。

 

とも思うが、

 

十勝24時間で味をしめると、
今度は“スパ24時間”とか、“セブリング24時間”とか
世界でも有数の24時間レースに出てみたいなどと
言い出す可能性も無いわけではない。

 

そんな事はあるわけが無いとは思うが、
可能性としては無いわけではない。

 

(ル・マン24時間だけは絶対にないと思うが・・・)

 

私の、「これが最後だから」が信用できないのは、私が一番知っている。

 

車一台分ぐらい予算をオーバーしてしまった経費リストを眺め、
ため息が止まらず、
また一生懸命働かないかんなぁ~と、しみじみ思うのです。
ホントに思うのです。

 

 

こちらが今年の?17、バリバリの新車です。

 

 

そして、こちらが去年の?17、コレをリフレッシュして十勝24時間に出るのです。

 

 

こ・の・車・で十勝を走るのです。ドキドキ、なのです。

 

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2004年07月08日(木曜日)

987話 有ること≠幸せ

考えて見れば贅沢なことである。
私は今、ダイエットと称し、食べることをグッと我慢しているのだ。

 

地球上には食べる物がなくて、飢死する人が何百万人も何千人もいるというのに、
健康のために、あるいはレースという遊びの体力づくりのために、
食べる物が山ほどあるのにグッと我慢している。

 

私たちは日本に生活していて
食べることなどに困ることなく、当たり前のように暮らしている。
ハンバーガーはMACの方がうまい、いやMosの方がうまいなどと
飢えの国の人が聞いたら泣いてしまうようなことを平気で言っている

 

私も、ダイエットのトレーナー役の今井さんから
「カロリーの高い外食は1/3を残す習慣をつけてください。」と
(これがなかなか出来ないのだ)
つまり、せっかくの食べ物を無駄にする習慣をつけるように指導を受けているのだ。
別に今井さんの指導にケチをつけているわけではない。
食べ物が豊富にある環境の中では、食べ物が有る事が当たり前になっていて
食べ物が無い環境の人から見れば
考えられないようなことを平気でやっているという事。

 

人間って、けっこういい加減なもの

 

 

たとえば、
北朝鮮で
穀物が不作で食べる物が無く、
ガリガリに痩せ細った瀕死の子供の映像が写され、
「こんな危機的状況なのに、金正日主席は毎日贅沢な食事をしている。けしからん」と
ワイドショーの司会が怒って見せている。
見ているこっちも、
「なんちゅーやっちゃ、金正日はとんでもない奴だ。」と思う。
やがてコマーシャルが入って、
次は、「グルメコーナー」
かっこいいオネエさんとか、重度の肥満男とかが
新鮮な材料をふんだんに使い職人が凝りに凝った自慢の料理をジックリと食べ
過度の表情とアクションで、それが如何に旨いかをアピールする。
それを見ている視聴者も「うっまそ~~」と思うわけだ。

 

さっきの“痩せ細った子供”の事は、もうすっかり忘れている。
お菓子食べながら
飢えた子供につい先ほどまで同情して、金正日をひどい奴とののしりながら
次の瞬間、グルメ番組を見て
ツバを飲み込む。
自分たちもそう違った者ではない。

 

人は飢えた時には、食べられる物があれば何でもいいから、食べたい。
と思うが、
いざ食べられるようになると、
うまい物が食べたいと思うようになる。

 

うまい物が食べられるようになると、
食べ過ぎによって太ってしまう事が悩みになり、
健康のために食べるのを我慢するようになる。

 

無ければ、有ればどんなに幸せかと思うのだが、
有れば有ったで、それが当たり前になって、
有っても、それ自体が幸せでも何でもなくなってしまう。

 

何が幸せななんだろうか。

 

たとえば
亭主が稼いでくる給料が“少ない”と文句を言う女房がいるとする。
亭主は金を稼いでくるのが当たり前であると思っているのだろう。
女房からすれば不満なその稼ぎに、
女房は亭主に感謝することもないし、
亭主も、家族の感謝というモチベーションを失い、仕事に意欲を持てない。
仕事に意欲を持っていない彼に良い働きなど出来るわけが無い。
だから、良い稼ぎなを与えらることは無い。
たとえば
その亭主が死んで、その稼ぎがなくなった時
亭主の稼ぎがあったことの有り難さが分かるのであろうか、
あるいは、早く死んでしまった亭主を、甲斐性なしとののしるのであろうか。
いずれにしても、その女房は幸せではない。
亭主も幸せではない。

 

それが不満な量であろうとなかろうと、
有ること自体が有り難いと思い、感謝することができれば
こんな不幸はないはずなのに。

 

有ると、それが当たり前になって、
有る事自体に感謝することを忘れてしまうものだ。

 

 

たとえば
十二分に稼いでくる亭主がいるとする。
亭主は女房にその稼ぎに見合った物を食べさせるように求めるし、
女房が綺麗でいることや、
住まいが十分に快適であることを要求する。
女房にはそれが出来ない。
自分を綺麗にしていることも、十分に快適な住まいを作ることも、
ある程度お金がなければ出来ないことだが
お金があれば出来ることでもない。
それなりの努力も必要なのだ。
それが出来ないということは、つまり、
稼ぎを使い、その稼ぎに報いる事が出来ないことにもなってしまう。

 

普通の稼ぎの亭主ならばしなくても良い努力を
稼ぎ過ぎる亭主を持った事で、彼女はいらぬ努力までしなければならないわけで
その努力に甲斐を見出だせない彼女は、
亭主が過度に稼いでくること自体に不幸を感じ、感謝を忘れてしまう。
こんな彼女はやはり不幸なのであろう。
人より稼いでも感謝されない亭主も、きっと不幸なのであろう。

 

有る事に慣れると、有る事自体に感謝するどころか
有る事によって生じる負荷の方に不幸を持ってしまうものだ。

 

 

持っていないという事は、
持つ喜びを留保していることであって、
決して不幸なことではない。

 

持ってしまうこと、つまり有る事とは、
手に入れる喜びを失ってしまったという事でもあって
決して幸福なことでもない。

 

 

ならば
持つこと自体が幸せを作り出してくれるのか。

 

かっこいい高価な車を買って、
それに乗っている自分が、他人から見てかっこいいだろうと、自分が思っても、
外から見れば、乗っている人なんてどっちでも良いし、
せいぜい妬みをもらうだけ。
妬みとは、相手に対する憎しみとほとんど同じで、
憎しみをもらうことが幸せとは言えまい。

 

値段が高いことに価値があるブランド物を持っても、
それを持っている人自体には、せいぜい妬みが向けられるだけであって、
あるいは、軽薄を見透かされるだけであって、
やはり幸せであるとは思えない。

 

“物”を持つこと自体から与えられる幸せは無く、
持っているという自己満足だけで、ある意味では“妬み”の裏返しであり
それは幸せの類にはならない。

 

となると
無い事は、不幸なことではなく、
有る事が、幸せなことでもない。

 

無いこと≠不幸
有ること≠幸福

 

一体何が幸せなんだろう。
“幸せ”っていうのは、
有るか、無いか、
持っているか、持っていないかは

 

ひょっとしたら関係ないんだな。

 

 

 

最終の新幹線で東京から名古屋に帰る。
少しからだが熱っぽい。

 

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    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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