谷 好通コラム

2004年10月22日(金曜日)

1045.上海が落ち着く訳

また、上海に来ている。もう、何度目だろうか。

 

朝、名古屋空港を出る時には、台風一過、まったく雲ひとつない晴天。
ずっと見ていたくなる様な大晴天であった。

 

 

乗ったのはJAL。
機内食が久しぶりにうまいと感じた。
私があのまずい機内食に慣れてしまったのか、
本当に今回はおいしかったのか、
謎?である。

 

昼前に上海浦東空港に到着した。
“浦東”とは、“プートン”と読む。
(うれしいことに、ワードで「ぷーとん」と書いて変換すると「浦東」と出る。
一度やって見てください。)

 

浦東空港に珍しい飛行機が止まっていた。
ロシア・アエロフロートの「アントノフ○○」だ。(機種番号までは忘れた。)

 

 

ロシアが、まだソビエト連邦のころ、
西側の旅客機が、すべて高バイパス比ターボファンジェット搭載になって、
低燃費、低騒音、高出力を誇るようになっても、
東側の、つまりソビエトの旅客機は軍事産業のおこぼれのジェットエンジンしかなく、
西側の旅客機に性能面で圧倒的に遅れを取っていた。
それでもペレストロイカ(開放)以後、
何とか遅れを取り戻そうと、
出来るだけバイパス比の高いターボファンジェットエンジンを開発し、
無理やりアントノフの機体に載せたが、
西側のジェットエンジンと比べればバイパス比もまだまだ低くて、
効率的に及ばず、
大して大きくもない機体に、エンジンを4基も搭載した中途半端な旅客機になった。
それがこの飛行機である。

 

性能的に劣っているため、大して生産されていず、
飛行機ファンにとっては、レアな存在であり、これを見られたということは、
大変ラッキーなことなのである。
(出来れば頭まで見たかった。)

 

上海には、大事な仕事があってやってきた。
その2つを夕方までに片付ける。

 

上海の車聖・快洗隊にも行って来た。
午前中は忙しかったそうだが、午後の3時に着いたときには、
天気が雨直前のようになっていて、一台もお客様の車はいなかった。
その代わり、新しくキーパー施工店になったスタッフたちが、
快洗隊のスタッフに研修を受けていた。
まるで快洗隊・刈谷店のように。

 

 

その近くのホテルの喫茶店で今日2つ目の仕事を済ましたあと、
いつものホテル「百楽門大酒店」にチェックイン。
このホテルに入ると妙に落ち着く。
どちらかというとガチャガチャしたホテルで、車の騒音も大きいのだが、
どうも落ち着いてしまうのだ。

 

チェックインしたら、早速食事に、というか飲みに出る。
レストランはホテルから歩いて30秒の香港料理大衆レストラン。
特に豪華なものは何もないが、
ニンニクと香草の独特な中華の匂いが、言い知れない親しみを感じさせる。
私は本場の中華が大好きになっている。

 

 

一緒に食事をしたのは、私を含めて4人
上海常駐の李さん、
そして荻野海外事業部部長、
彼は、日本にいる時より中国にいる時の方が、絶対に元気である。

 

 

加えて今月13日より上海事務所に参加している「沙(さー)」君。
彼との縁はものすごく面白いので、書きたいが、どうしてもまだ書けないのである。
その内、時効になったら是非書いて見たい。
めちゃくちゃ面白く、そのくせものすごく真面目な奴でもある。

 

 

みんなで飲んで、食べてホテルの部屋に戻る。
窓からは、異様にデカイお寺「静安寺」が目の前に見える。

 

 

その横には、
近代的なビルが並ぶ

 

 

なぜか分らない。
私は、上海に来ると妙に落ち着くようになっている。

 

浦東空港も、百楽門大酒店も、上海快洗隊も、大衆中華レストランも、
どれも大変慣れ親しんで、
上海に来ると、妙に落ち着くようになっている。
なぜだか、その訳はよく判らない。

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2004年10月22日(金曜日)

1044.嵐の中のご披露会

今、これを書いているのは22日。
上海への飛行機の中。

 

話は一昨日20日の事、
東京で関東営業部とオートパラダイス快洗隊のご披露会があった。
台風23号が迫っている時である。
当初は約50名の参加が申し込まれていたが、
午後から嵐になることが分っているので、キャンセルが相次ぎ
結局、嵐の中にもかかわらず、35名ほどの方に参加いただいた。
ありがたいことである。

 

当日、私は名古屋から新幹線で出かけたのだか、
新幹線の中で書き始めた前話のコラムは、ちょっと暗かった。
今年のあまりにたくさんの台風の上陸で、
しかも、この日はめでたい披露会、こんな日にまで台風なんて・・・
と、気が滅入ってしまっていたのだ。

 

関東営業本部に着いたのは午前11時過ぎ、
改造工事をやってから見るのは初めてだ。
台風がやってくるというので、4枚のテントのうち1枚しか取り付けていないなど
まだ、完全な形ではないが、
なかなか、カッコいいではないか。

 

 

広さは今までの東京営業所の全体で約5倍。
同時にゆったりと4台(詰めて6台)の車を並べて実習が出来る。

 

 

教室は2人がゆったりと座れる机を横に3列、縦に4列、詰めれば5列
ゆったりと24名、詰めて椅子席まで考えれば40名までは十分に同時に座れる。
この場で、私がこの日の口火を切る形でご挨拶をさせていただいた。
※室内からだと全体像がなかなか撮れないが、結構広い

 

 

駐車場も8台分ある。

 

しかし考えて見れば、今までの東京営業所はあまりにも小さかった。
日本の中核であり、最大のビックマーケットに比した拠点ではなかった。
これくらいが本来であろう。

 

新小岩の関東営業部は1時間ぐらいで終えて、
早々に千葉・松戸市にあるオートパラダイス快洗隊松戸店にマイクロバスで向かう。

 

新小岩から松戸までは1時間弱。
予定の2/3の参加者なので、マイクロバスもゆったりである。

 

オートパラダイスでは、
スタッフが用意万端整えて待っていた。
この店には、建物がようやく姿を見せたころに来ただけで、
出来上がった姿は、この日はじめて見ることになる。

 

写真では見ていたが
思ったよりテントがでかい。
十分なボリューム感である。
しかし、カラー、キャラクター、ユニフォームなどなど
快洗隊が快洗隊であるアイデンティティーがほとんどないことが
あらためて寂しく感じ
テントに小さな「快洗隊」の文字を見つけた時には、少しホッとした。

 

 

鈑金業を加えた新しいタイプの快洗隊というコンセプトで作ったこの店。
もとより、自分の感性ではなく、
この会社の感性で作ってしかるべき店ではある。
だから、この店は私の感性とかけ離れた部分もあるが、
それはそれとして、じっくりと眺めて行きたいと思っている。

 

しかし、今ある快洗隊と
「快洗隊」というブランドをどう共有していくのか、
一度、みんなでじっくりと話し合わなくてはならない。

 

いずれにしても、オートパラダイス快洗隊は、
苦難の末、やっとのことでスタートすることが出来たわけだ。
1年がかりでやっと巡りあった松戸市の土地で、
とうとう新しいスタートが切られた。

 

この店の一つの目玉「ドライブスルー手洗い洗車」

 

 

スタッフが元気のかたまりであり、みんな洗車が大好きであることは、
全国の快洗隊共通のことである。

 

 

1時間あまりの見学会を終えて、レセプション会場に向かう。
結婚式をよくやるような駅前のホテルのバンケットルーム。
ちょうどいい大きさである。

 

まずオートパラダイス大貫取締役の進行で、
田中雄二社長のご挨拶。

 

※マイクを持つのが大貫さん、感慨深げに天を仰ぐのが田中社長

 

 

一通りの挨拶、乾杯が済んで
あとは飲んで食べて、いっぱい喋って、
大変楽しい時間があっという間に立ってしまった。

 

思い出に残る印象的な会であった。

 

午後7時過ぎか、
披露会が終わって、外に出て見たら、すでに嵐であった。
台風23号がちゃんとやってきていて、
雨と風で、外はクチャクチャであった。

 

新幹線も、その前に、もう名古屋から西が運休になっていて、
時間の問題で、東京までが止まってしまうことは目に見えていた。

 

とりあえず、もう一度マイクロバスに乗って
新小岩の事務所にみんなで戻る。
台風の来ている首都圏の道路は、いっそうの混雑で渋滞が続く。

 

 

みんなホテルは、すでに本社事務所から取ってあった。
全部で8人、
何と、トリプル2室(3×2)と、デラックス?シングル2室で8名。
男連中はトリプルで3人ずつで寝る。
デラックス?シングルは私と、女性の近藤さんにあてがわれた。

 

台風来襲で、東京のホテルは軒並み満室
事務所の子が一生懸命になって探し当ててくれたのが、この江戸川区のあるホテル。
ごくごく普通の駅前格安ビジネスホテル。
普通のシングルを「デラックスシングル」にして、1泊8200円。
ツインの部屋に、エキストラベットを足の踏み場もないほど無理やり突っ込んで、
作り上げたトリプルは約20,000円であった。

 

しかし、熱血の谷常務
東京に泊まってしまったのでは、翌日の九州での仕事に、
「どうしても間に合わない」と、
とりあえず東京駅まで行って、動くのを待つといって出て行った。
ついでに近藤女史は、オバサンの家に行くといって、デラックス?シングルを放棄。
谷常務と一緒に東京駅に向かった。

 

残されたのは、
私、谷清隆、池本、酒部、森、畠中の6名。
この悪い6名で、いっぱい飲みに出ないわけがない。
外が台風であろうと、
何であろうと、
最初から飲みに出ることと決めている。

 

ごく当たり前風の韓国料理、いわゆる焼き肉屋さん。
あまり期待をしないで入ったが、
これが本格的な韓国料理で、感激物。
このホテルには二度と泊まりたくないが、
ホテルの前のこの韓国料理屋さんだけは、また来たいと思わせてくれた。
当たりである。

 

みんなで飲んで、夜遅くなってから
突撃隊のように東京駅に向かった谷基司常務から電話が入った。
深夜になって新幹線が動き、何とか名古屋どころか大阪までたどり着いたそうだ。
次の日の九州での仕事はキープ出来たとのこと、

 

最初っから「台風が来るんだから飲むしかないでしょ」と決め込んだ私は、
彼に負けた気がした。

 

翌日、つまり昨日であるが、
朝起きて、予定していた午前中の仕事を済まし、
名古屋に帰る新幹線の中、
当然のように期待した嵐の後の富士を、変な雲がまとわりつきつつも
やっぱり見ることが出来た。

 

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    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

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