谷 好通コラム

2005年05月05日(木曜日)

1168.長い一日、5月2日

前日の5月1日、スケジュールを欲張り、また、連休のラッシュをナメテ、
仕事の終わりが日付が変わる時間にまでなってしまった。
しかし、神戸に行ったのは本当に良かったと思うし、
福井に今井さんを訪ねて行ったのも本当に良かった。

 

考えてみれば、
このごろのスケジュールは、
先方からの依頼で入ったものが多く、
自分の方から、主体的にスケジュールを作る事が減っていた。
だから、「スケジュールをこなす。」感覚であって、
目的を追って物事を推し進めていくという感覚が少なくなっていたのだ。
そういう意味で、今回の強引とも言えるスケジュールの追加は、
久しぶりに充実したものであった。(今井さんには御迷惑であったが)

 

 

神戸店は、一昨年の8月のオープン。
たった102坪の敷地であったが、立地的には素晴らしいと思っていたのだが、
オープン直後から、なかなか来店客が増えず低迷していた。
8,9,10月とも採算分岐点にはるかに及ばず、
何とかテコ入れをと考え、
店の存在感を上げるために店舗の追加工事をした。
店舗として評判の良い安城店を施工してもらった東海建設の方に、
わざわざ名古屋から出かけてもらっての工事。
200万円の工事であったが、店のイメージが全く変わったのには驚いた。

 

追加工事前

 

 


追加工事後

 

 

それでも、すぐに効果が現れるものではなく、11月も低迷。
12月には当然の混雑があったが、
翌1月、2月は、ただでさえドン底の月で短期間に大きな赤字が蓄積される。

 

やっと光明が見えてきたのは4・5月になった頃、
何とか採算点に乗り、新たな赤字の発生が止まった。
その後、「予約制」が取り入れられ、せっかちな関西のお客様にフィットしたのか、
目に見えて来店客が増えた。
来店客が増えたのは、それだけではなく、
内装の見直しとか、接客の見直しとか、スッタッフの熱心な改善が進められた結果である。
先頭に立って、我が身のように店を育てたのは
山迫Mg、山戸チーフ、西園君、途中から西園君と交代した吉識君。

 

去年12月の決算は、1年間の収支をホンのわずかだが黒字に転化できた。
翌1月、2月も苦しい月ながら何とか採算を切らず、
寒かった3月も黒字で切り抜け、
この4月には、もうちょっとで300万円に届く実績で大きな黒字を出すことになった。
この調子なら、一昨年の累積赤字を早い時期に消し去ることが出来そうだ。
遅くとも今期末、
出来ればオープンの2周年に当たる8月までにはすっきりしたい。

 

考えてみると、北神戸店については、
オープン以来約2年間かかってスタート時のゼロに戻るわけで、
スタート直後から採算に乗った安城店、相模原店、鳴海店に比べると、
おそろしく立ち上がりが悪かったことになる。
何故そうだったのか、いくつかの要因が考えられ、
それがノウハウの形で蓄積された。

 

 

雨が降り出したこの日の午後、吉識君はたまった使用済みのスポンジ洗いに精が出る。
この姿勢が大切なのです。この笑顔が最高なのです。

 

 

さて、翌5月2日
今度は新幹線で関東に向かう。
まずは新横浜まで行って、横浜線で相模原まで行く。
相模原店は、オートバックスとのコラボレーションショップである。
オートバックス相模原店の駐車場に快洗隊を作り上げてしまった。
工事費は1千万円を上回る程度で、直営店の中で最も安く出来た快洗隊だ。

 

オープン当初に、オートバックスが持っていた会員の顧客に、
快洗隊が何であるかをDMで詳しく告知し、最初から認知された形でスタートした。
だから、オープン時に最初から洗車売上げ300万円をマークし、
非常にいい形でスタートできた。もちろん採算はクリアしている。

 

しかし、その後は、他の快洗隊のように
認知が進むにつれて売上げが増えていくという経緯をたどらず、
同じような売上げが続いた。
特に年末においては、絶対的なキャパシティが不足し、
大晦日間近の大ラッシュを作り上げることが出来ず、華やかさに欠けていた。
この店の問題点は車と仕事の取り回しに手間を食って、
本来の仕事に手が足らなくなってしまうこと。
それが結果としてキャパシティをかなり小さくしてしまっていること。
それでも、この4月は350万円の洗車売上の実績を作った。

 

これは、既存のガソリンスタンドにフル装備の快洗隊を造った時の現象と似ている。
スタートはいいが、伸びがない。
これを解決することによって、
この形での店舗の運営マニュアルのノウハウとなる。

 

柴田Mgは、ヒョウヒョウとしたそのキャラで、難しい併設型の快洗隊を取り回している。
関東の要となる可能性を持った人間である。

 

相模原を訪ねたら、その後は順当に行けば千葉の松戸店に行くはずであったが、
また欲が出た。
相模原から松戸へのルートは、
相模原→(横浜線)→八王子→(中央線)→西国分寺→(武蔵野線)→新松戸となる。
中央線と言えば、
ホームページの製作会社「トムテック」の谷北斗の家が“中野”にある。

 

これはちょうどいいと思って、
西国分寺の駅に、
わが息子、谷北斗を呼び出して臨時の打ち合わせをすることにした。
また予定外のスケジュールを入れてしまったわけだ。

 

しかし、西国分寺での話は、色々な意味でタイミングが良く、
会って話をして本当に良かったと思った。

 

関係ないが、
谷北斗は現在体重が91kgだそうだ。私は92.1kg。
もうちょっとで私の体重を越す。それを言ったらすごく嫌がっていた。
面白かった。(^^♪

 

 

そんなことで、松戸店に到着したのは午後7時を過ぎていた。
午後には行くつもりであることを伝えていたので、また、約束を大幅に遅れてしまったわけだ。

 

松戸店は、正確に言うと直営店ではない。
?オートパラダイスという会社が運営している。
元オートバックスセブンの板金部門を背負っていた田中さんと私の折半の合弁会社である。
田中さんは約1年半前にオートバックスセブンを退社して、
合弁会社を設立後、
本格的な板金業と快洗隊を一緒にした店舗の用地を探し始めた。

 

快洗隊という洗車業が、板金業との相性が非常に良いと判断した田中さんが、
ディーラーからの下請け仕事が減少している板金業に対して、
洗車業を併設することによって、
直需の板金の仕事をより得ることが出来るような提案が出来ると考えた。
そして、まずパイロットショップとして自分で店舗を開発しようということだ。

 

その考え方に私も乗ったし、
全国の板金業に対して認識の深い立場にあった大貫さんも乗った。
そして、田中さんの理想を信じる諏訪さんが後から乗ってきた。
大きな理想を持って、力のある人たちが集まって始まった事業である。

 

・・・・・
用地ぐらい簡単に見つかると考えていたら、
それがなかなか見つからない。
焦れば焦るほど見つからない。
とうとう用地探しに1年近くを要してしまった。
予想外の展開で
現在の場所に店舗を建設するまでの一年間で資本金の大半を食いつぶしてしまい、
松戸店は、大きなマイナスを抱えた形でのスタートになったのだった。

 

店さえ始まれば、稼いで稼いで、これまでの鬱憤を思う存分に晴らす。
と、勢い込んで去年の11月末にオープンした。
が、
思ったように来客がない。
期待したようにはお客様が入ってこないのだ。
それに応じて板金もあまり振るわない。
年を越した1月・2月には洗車売上げも100万円を大きくは越さず、
期待の3月も、春らしくない寒さでパッとしない。
低迷が続いた。
赤字が膨らむ。

 

問題点はいくつもあった。
しかし、この店は100%の直営店ではないし、
板金業との両立という新しいコンセプトの店だったので、
ほとんど田中社長のセンスに任せた経緯がある。
店舗のカラーもオリジナルの快洗隊とは全く違う。

 

これでうまく行けばそれはそれで良かったのだが、
立地の問題など色々な要因でスタートを大きくつまづいた松戸店には、
私も、畠中君も、酒部君も何度も通って、
何とかしようと、田中さんと一緒にみんなで頭を絞った。

 

それが、今年の4月、ようやく220万円台に乗って、
採算ベースに乗る目処が立ってきたのだ。
オープンから丸5ヶ月経って、ようやくどうすればいいのか見えてきた。

 

ここまで来れば、店にも繁盛感も少しずつ出てきて、
松戸という大きなマーケットの中で、リピートを重ねるペースも速いはずだ。
来店客数の伸びに応じて板金の受注も伸びている。

 

やっと春が来た。
間違いなく松戸店に春がやってきている。

 

長い長い冬であった。
今までの経験からすると、たいていの場合、
ここに来るまでに、新たに独立した責任者であり代表者である若い社長は、
くじけて、事業を放り出してしまうところである。

 

しかし、
大きな理想を持って、
明確な目的を持って事業を始めたオートパラダイスの田中社長は、
強かった。
そして、その苦しい過程を乗り越えた。

 

この苦しい場面を乗り越えることによって、価値のあるノウハウを蓄積したはずだ。
これは事業が大きく展開する時に、生きたノウハウとして大きな役割を持つはずだ。

 

夜7時を越えた時間に訪問しても、
まだ洗車を求めるお客様が来店し、まだまだ話を出来る状態ではない。
うれしい誤算である。

 

 

やっと話をし始めたのが夜8時過ぎ、
話が進んで、気がついたら夜9時半を回っていた。
ここ松戸から東京駅までの時間を考えると、
もう新幹線の最終の名古屋行きに間に合わない。
今度は予定外の宿泊になってしまった。

 

前日の教訓その?が、全く活きていない。
でも、いい意味での誤算である。余分な一泊ぐらい何ともないのだ。

 

良かった。

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2005年05月05日(木曜日)

1167.長い一日、5月1日

ほんの一時期であるが、
この会社が、小売としての店舗を持っていなかったことがある。
元々、アイ・タック技研は?タニというガソリンスタンドを営業する会社がルーツだ。

 

だから、6年ぐらい前までガソリンスタンドを営業しており、
洗車に特化したスタンド・クリーンベースWithとして、
私たちの活動の原点でもあった。
それが、色々な事情でスタンドを閉めて、
現在のトレーニングセンターとなっているわけだが、
新しいコンセプトを持った洗車屋快洗隊として、刈谷店がオープンするまでに、
店舗を持たない時期が約1年半あった。
1998年と1999年の前半がそれに当たる。

 

先日、過去何年かのアイ・タック技研の実績データを
さかのぼって調べていて驚いた。
アイ・タック技研?の創立から11年間、連続して増収増益で来たつもりであったが、
一年だけ売上実績が前年を下回っている年があったのだ。
それが2000年。
前年対比98.4%である。
前年、実践を持たなかったツケが、翌年に回ってきたという感じか。

 

この事実を改めて知って、
(私はこの事をすっかり忘れていた。)
私たちの会社が実際の店舗を持って、運営し、
そのノウハウを世間に提供し続けていることが、一番大きな強みであり、
アイ・タック技研という会社が
単なるケミカル会社ではないことを、改めて突きつけられたような気がした。

 

クリーンベースを閉めて、トレーニングセンターに変えた理由はいくつかある。
ワンデースクールとか総合洗車スクールが非常に活発になってきていて、
クリーンベースの休日にだけにスクールを開くのでは、
間に合わなくなってきた事。

 

あるいは、
クリーンベースが販売していた燃料のメーカーが、
強力なCIを実施して、店舗中がその元売のカラーに塗られ
店中にあった洗車に関わる一切の看板が撤去されて、
“普通のスタンド”のようになり、
洗車の実績がジリジリと下がってきていた事。
(実績が下がったのはそれだけの訳ではないが)

 

もう一つ、店を閉めた大きな理由があった。
それは、店舗を開いていること自体が、気持ちの上で休まらなかった事。
キーパーを軸とした販売の仕事は、日(土)曜日が休みとなる。
逆に店舗は土曜・日曜日が稼ぎ時である。
特に年末は、
販売は早く仕事が終わってしまうが、店舗は大晦日ギリギリまで大ラッシュ。

 

18歳でスタンドに勤めて以来、ずっと現場でやってきた私としては、
店舗が忙しい時に“休む”ことに体質的に抵抗があった。
店舗が休んでいる時には、私は働いているのだから気にすることはないのだが、
そう簡単に割り切ることが出来ず、
気持ちの上でつらかった。

 

だから、店舗を閉めると決まった時には、正直ホッとしたし、
その年の年末は事務所の仕事納めの後、家族と旅行に行った。
初めてのことであった。

 

しかし結局、1年半後、また店舗を開くことになった。
どうしても新しい構想・快洗隊を実現しなければとの思いが強くなったのだ。
だから、
店舗の無い年末は、たった一回だけで終わってしまったわけだ。

 

あれからもう5年以上経って、6回の年末があった。
店舗もどんどん増えて、今では合わせて7軒の直営快洗隊があって、
また落ち着かない年末を送ることになっている。
年末だけではない。
コールルデンウィークと夏のお盆。
年末ほどではないとしても、店舗で大変忙しい思いをしているスタッフたちを思うと、
やはり相変わらず、落ち着かないのである。

 

しかし、今では何軒も連続して快洗隊を開いて本当に良かったと思っているし、
そこから貰っているエネルギーの大きさもヒシヒシと感じている。

 

 

 

今年のゴールデンウィークは、
4月30日まできっちり休みなしで目いっぱい働いて、
5月1日と2日に7箇所全部の直営の快洗隊を回る事にした。
年末以来行っていない店が何軒もある。イカンイカン。

 

5月1日は、まず午前中に、
刈谷店、安城店、知立店、鳴海店の順番で回る。
世間は休みのせいか、道路は空いており予定よりかなり早く回れてしまった。
こんなに調子いいのだったら、
一店一店で、もっとゆっくりと話をすれば良かったと、少し後悔する。
順調すぎるぐらいである。

 

しかし、
この日の苦難はここから始まった。

 

午後から“新幹線で”神戸に行き、北神戸店に行く予定であったのだが、
前日、左足に出来た“タコ”を、専用の刃物で削ったのだが、
ちょっと削りすぎて、歩くとじくじくと痛かったので、
随伴の大貫君と、
「時間もかなりあるし、車で行っちゃおうか?」ということになって、
とうとう車で神戸に向かってしまった。

 

しかも!
米原から100kmぐらい寄り道すると“福井”に行けるから、
福井のデザイナー事務所のプロデュース・今井さんの所へも行こうと、
早々に、夜7時でアポイントを取ってしまったのだ。

 

神戸に向かったのが午後1時、
名神高速も、中国道も、連休中というのに空いていて快適であった。
しかし大阪を越した頃、反対車線が延々と渋滞になっていることを知る。
情報によると14km以上の自然渋滞らしい。
反対車線とは、すなわち帰り道。

 

北神戸に午後3時過ぎについて、
みんなと色々話して、充実した時間を持って、
午後4時半、福井に向かう。

 

NAVIでルートを探ってみたら、
西宮北→(中国道・名神高速)→米原→(北陸道)→鯖江(福井)
この当たり前のルートは、渋滞があちらこちらに出来始めていて、
渋滞の距離の合計が20km以上になっており、どれぐらい時間がかかるか見当がつかない。
渋滞が無ければ2時間半で鯖江に着けるが、今の状態では無理だ。

 

このルートの他に、
西宮北→(舞鶴道)→小浜→(国道)→敦賀→(北陸道)→鯖江(福井)
というのがあった。

 

所要時間は5時間以上となっているが、
空いている道だろうし、順調に走れる一般道では到着予定時間がすごく早く戻せる。
2時間半で行ける可能性がゼロではない。

 

ここは賭けである。
もちろん後者のルートを選んだ。
雨の中、快調に舞鶴道を上がり、小浜には5時に到着。(平均110km/h)
時計を20分戻した。

 

そこから、国道に下りて敦賀を目指す。
ここから快調に時計を戻すはず、・・であった。
が、この国道、実に信号が多く、観光の車も列を作っていて、
なんと、たかが50kmぐらいのここだけで、2時間近くかかってしまった。
NAVIの時計も50分ぐらいしか戻らない。
ここで、休みの日に無理して出てきてくれる今井さんに、遅れることを詫びる電話を入れる。

 

ここで、名古屋からここまで一人で運転してきた私であったが、
さすがに眠たくなってきて、大貫君に運転を代わる。
・・・・・
大貫君は、静かな喋り口に反して、運転は“かなり”飛ばす方であった。
ここから約1時間。
私は、取っ手に掴ったまま、すっかり目が覚めて緊張した。

 

今井さんの所に着いたのは夜8時過ぎ、
大変申し訳なくも、それから話が盛り上がって、お別れしたのは夜10時を回っていた。

 

それから名古屋まで200kmはある。
帰りはまた私が運転した。
途中で超遅い晩御飯を食べ、12時には名古屋に到着。(平均時速は秘密)

 

この日は、朝一番で出発して、日付が変わる頃にやっと帰り着く、
あ~くたびれた。

 

教訓、その1、
予定したスケジュールは、ちょっと順調だからと言って、
気軽に予定を追加するものではない。

 

教訓、その2
ゴールデンウィークという国民のほとんどが休み、遊び、
大挙して移動する大連休を、決して舐めてはいけない。

 

教訓、その3
スピートは控えめに。(捕まらなくって良かった。(^・^))

 

 

[刈谷店]
朝一番の刈谷店は、まだ意外と空いていた。
刈谷店長兼統括の中根大Mgは、髪も短くなって見た目が普通になっていた。
それに、統括の重い役職をこなすようになってきたからか、
謙虚さが出てきて、これからがいっそう楽しみになってきた。

 

 

刈谷店のアルバイトの子達は、何か風格すら出てきたような気がする。

 

 

[安城店]
若干19歳の土井Mgは、どこまで可能性を持っているのだろう。
何か、最近すさまじいまでのものを感じさせる。

 

 

接客も笑顔がとっても素敵で、お客様が定着する訳が分る気がする。

 

 

[知立店]
この店も、また大きく成長し始めている。
山口から来た村藤Mgは、いよいよ本領を発揮しはじめている。

 

 

知立店は、先日、他の店舗と同じような赤と黒の快洗隊カラーのパラペットを着けた。

 

 

[鳴海店]
刈谷店のチーフから鳴海店のMgになった藤川Mg。
見た目よりずっと気の強い、逞しい男なのです。

 

 

名古屋市内の比較的高級な住宅街に位置する鳴海店は、
開店わずか5ヶ月目、平月で300万円の洗車売上げに王手を掛けてきた。
刈谷店を追い抜く店が近々出るとなれば、ここの店かもしれない。
それほど可能性の大きな店舗である。

 

神戸店、相模原店、松戸店の話と写真は、明日、別に書きたいと思っています。

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    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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