谷 好通コラム

2005年06月23日(木曜日)

1196.安定した職業とは

とにかく、よく寝れる。
夜12時前には決して寝なかった私が、
10時位にフッと寝てしまうことがあるのだ。
昨晩もそうだった。
人間、歳を取ると睡眠時間が短くなるそうだが、
私の場合、逆のような気がする。
ここに至って、短い睡眠時間の日が続くと頭が冴えずにがっくりと来るようになった。

 

前は体力に任せ、寝る時間を惜しんで、
仕事をやりまくったが、
今は、睡眠不足にならないようにコントロールした方が、
効率よく仕事が出来て、かえってよく仕事が出来るという傾向である。

 

50歳を過ぎると、
それまでの経験と学習がいよいよ熟してきて、より充実した仕事が出来るようになる。
男にとって、
50歳を過ぎた頃からが真の“働き時”と言える。
しかし同時に、
50歳を過ぎると体力の衰えが顕著になってくる頃でもあるようで、
頭は冴えるが、体が着いてこないというか、
自分の思ったようなペースで、
つまり、私の場合、無茶なペースで仕事が出来なくなってくる。

 

ちょっと前の快洗隊日記で、チョッパーが、
日本の高度成長期における終身雇用制度の安定した雇用と収入が、
当時の企業戦士に、能力以上の働きを引き出した一面がある。と評価した上で、
高度成長を終えた近年における成果主義の行き詰まりに、問題提起をしていた。

 

我が社では、給与の約半分の要素を、実績に応じた成果主義としている。
だから、実績を上げている部署の責任者などは、
年齢に比して破格の収入を獲得している者もいる。
それはそれでいい。
会社全体が伸びている時は、
総じて、成果主義はプラスの収入を作り出すもので、
それによって、全体の機運が大いに盛り上がるのだ。
「行け行けどんどん」状態である。
それはそれでいい。

 

 

しかし、いつも実績を上がられる者ばかりという訳にはいかず、
低迷する場合だってある。
そんな時に、何とかその低迷から脱出するパワーというものが、
低収入から脱出したいという動機から出てくるものなのか。

 

あるいは、一時的な大きな実績があった時の大きな収入で、
その収入の金額を元にしたローンを組んで、大きな物を買ってしまう者もいる。

 

しかし、実績が普通に戻った時、当然、収入も普通に戻る。
あるいは、思わぬ不振で実績が一時的に下がり、収入が少なくなる場合もある。
そんな時、大きな収入を得た時に、それをあてにして組んだローンは、
大きな重荷となり、
時には、馬鹿げた高利のサラ金、消費者金融などに手を出して、
その場をしのぐ場合もあるかもしれない。

 

サラ金・消費者金融は、
テレビで当たり前のようにCMが流され、
一流の銀行がグループとして受け入れるなど、
今では、普通のものに感じられるようになってしまったが、
年20%を越すような金利での借金は、
魔の循環を経て、大変高い確率でその人の経済を破壊する。

 

サラ金は、今も昔もまったく変わらず、地獄への最短路であることに違いはない。
私が知っている限り、
サラ金からの督促の電話(非通知で入る)が会社にまでかかり始めたら、
その人がその会社で働き続けた例はない。

 

自分が死に物狂いで働き、
高い実績を勝ち取った上で、その成果としての高い収入を得たものは、
それが、自分の大きな努力の結果であることを知っているので、
それが何十年も変わらず続くものではないことを知っている。
自分自身の波もあるだろうし、外的要因だって変化する。
だから、その時得た高い収入が安定しているものではないことをよく知っている。
その人にとっては、「給料は自分で上げた。」のだから。

 

しかし、色々な要因で、たまたま実績が上がってしまう事もあり
ラッキーで高い収入が入ってしまう場合もある。
あるいは周りの努力で、自分の部署の実績が上がり、
自分の努力無しで収入が上がってしまう場合もある。
その人にとっては「給料が上がった」のである。
「上がっちゃった」のである。
そんな場合が一番怖い。
自分が何をした訳でもないのに上がった給料は、その人にとっては“幸運”であり、
“結果”ではないのだ。
だから、それが当たり前になって、それが続くことが当たり前であると感じる。

 

しかし、残念ながら「幸運」とはやって来るものであり、去って行くものでもある。
やがて、幸運は去り、自分の力で得た成果に比した収入に戻った時、
とても払えないローンだけが残る。
あとは、サラ金地獄まっしぐら。
そんなこともある。

 

成果主義が効果的であるのは、
努力をすれば、実績に結びつき、それが高い収入につながるという方程式を、
成り立たせるだけの能力と意識が、その人にあることを前提としている。

 

そういう意味では、成果主義がすべての人に有効であるとは言えない。
ましてや、たまたま幸運だけで成果を得てしまったことが、
かえってその人に大きな不幸になる場合もある。

 

体力の衰えが来る年代になった頃、
成果主義は、ある人には、それまでの経験の蓄積を最大限に活かすチャンスであるが、
その蓄積が乏しい場合、体力の衰えが、そのままハンディになる場合もある。

 

成果主義とは、“公平な評価”が一番難しいところなのだが、
意外なところにも難しさが隠れているものだ。

 

やっぱり、
当たり前の水準の、安定した収入を得て、
安定した生活をすることが一番いいのか?
サラリーマン一人当たりの平均の年収は約450万円であるという。

 

今一番安定している職業とは“公務員”であり、
最も安定していない職業とは“経営者”であろう。

 

経営者とは、最もハイリスク・ハイリターンの職業である。
経営者として新たに独立した者で、
10年経って健全な会社としての経営者であり続けている者は、
多分、10人に一人いないのではないだろうか。
そして、サラリーマンを続けていた時の年収を考えた時、それを越している者は、
そのうちの半分以下であろう。

 

では、最も安定しているという公務員はどうだろうか。
何事もなく、無事に、与えられた仕事をこなしていれば、
決まった昇給で、安定した収入と安定した生活を得られるのか。
考えてみれば、
日本は、世界にも稀に見る巨大借金国である。
一説には国全体で800兆円。
国民一人あたり700万円、
一家族4人とするならば、一家庭が2,800万円の借金をしている事になる。
あるいは、
私は公務員が全部で何人ぐらいいるのかまったく知らないが、
例えば100万人いるとすれば、
公務員一人当たり8億円の借金をしていることなる。

 

国が一つの会社であると考えた場合、
社員一人当たり8億円の借金を背負っている会社がこの世にあるだろうか。
あるいは存在できるのであろうか。
どこかで、考えられないような人員整理、つまり首切りがあってもおかしくない。

 

私には、公務員が安定した職業であるとは、
どうしても思えないのだが。

 

昨日、
夏季の賞与の計算を一日中かかってやった。
色々と考えながら。

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2005年06月23日(木曜日)

1197.日本の中の中国人

ある中国人の話。

 

北京に快洗隊を作りたいという話がある。
また、北京、天津、大連、瀋陽、ハルピンなど中国北部において、
D物産という会社が、キーパー製品の販売も同時に行なう。

 

その打ち合わせと、その会社のオーナーAさんとB部長に挨拶をするために、
愛知県に近いC県の県庁所在地の市に来た。

 

話は複雑である。

 

Aさんは、C県で開業しているお医者さんである。
だからA先生と言うべきである。

 

その病院の中に、B部長が所属しているD物産がある。
A先生はD物産の社長であり、オーナーである。

 

A先生の病院は、個人の病院としては異例に大きく立派であった。
お話を聞くと、
A先生は名医として超有名なお医者さんであって、
日本の学会の副会長さんでもあるという。
国籍は中国人であるが、日本で生まれて、日本で育ち、日本人そのものであり、
だから、中国語はまったく話せない。

 

A先生と、B部長の関係を聞いた。

 

中国でのビジネスの話は不透明な部分が多く、
相手に出来るだけのことを聞いて、出来るだけ理解しないとうまく行かないので、
多少失礼かと思っても、出来るだけ詳しく聞くようにしている。

 

B部長も中国国籍である。
留学生として日本に来てから約20年弱、
卒業後、日本の企業に就職をして貿易の仕事を中心に行なってきた。
今は、日本人の女性と結婚をして日本に定住している。

 

昔、B部長が日本に留学する時、
日本のある有名なお医者さんE先生(A先生ではない)に、
身元保証人になってもらった。

 

そのE先生が中国人であるかどうかは聞くのを忘れたが、
Bさんの一番上のお兄さんが中国で医者をやっていて、
そのお兄さんとE先生が友達であった。
そのよしみで、B部長の身元引受人をやってくれたのだそうだ。
そのE先生は、もうお亡くなりになっている。

 

E先生とA先生は、同じ大学で親友であったそうだが、
BさんとA先生の縁はまだその後である。

 

B部長は、留学生時代に、留学先のC県立大学の留学生会の会長をやっていた。

 

E先生の奥さんが非常に社交的な方で、
NPO活動で、中国からの留学生の面倒をよく見ていたのだそうだ。
その関係もあって、BさんとE奥さんは、E先生が亡くなった後も親交が深かった。

 

A先生は中国国籍ではあるが、日本育ちだったので中国語がまったく話せない。
ある時、A先生は中国語を習いたいと思って、
親友であったE先生の奥さんであり、
たくさんの中国人留学生の面倒を見ていたE奥さんに、
中国語の家庭教師の紹介を依頼した。

 

そこで、E奥さんが推薦し、紹介したのがB部長であったのだ。
A先生とB部長が、ここで知り合いになり、親交が深くなった。

 

やっとここでA先生とB部長が繋がったのだ。(あ~~疲れた。)

 

A先生は、B部長の真面目な人間性にほれ込んで、
B部長を自分の会社であるD物産に引き抜いたのであろう。

 

A先生の日本での人脈と、中国で作り上げた人脈が、
D物産を舞台に大きなビジネスを生み出し、
B部長はA先生が見込んだ人だけあって、その舞台で大活躍であった。

 

今年の初め、幕張でのトレードショー「IAAE」に出展したアイ・タックのブースに
B部長が訪れた。
その時ブースに居た上海事務所の廣瀬所長とB部長が話をして、意気投合。
その後、B部長が上海を訪れた時に、廣瀬署長を訪ね、
上海の快洗隊を見学した。

 

B部長は、快洗隊をすっかり気に入って、
その後も、
北京のD物産の事務所のスタッフと共に、何度か上海の快洗隊を訪れた。

 

「北京に快洗隊を造ろう。」

 

B部長は、そう固く決心して、
C県にあるA先生の病院内にあるD物産に戻った。

 

そして、私と快洗隊FC本部の酒部部長が、
C県にあるA先生のA病院を訪れ、D物産のB部長と共に、
初めてA先生と面会した。
“北京に快洗隊を造るために。”

 

メチャクチャややこしい話だ。

 

日本で生まれた中国の人が、
日本で、日本の多くの人々を難病から救い、
自分のルーツである中国における多くの人脈を通じて、
貿易という交流を持って、
日本で得た縁を持ったB部長という中国の人を通じて
中国・上海での快洗隊を見て、
北京に快洗隊を作る決心がなされた。
その計画を、日本のA病院を本拠としたD物産で、日本の私たちと打ち合わせをした。

 

ますますややこしい話である。

 

人とは縁である。
縁が縁を呼び、縁が縁をつくる。
日本の中の中国語を話せない中国人A先生が紡いだ不思議な縁の輪であった。

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