谷 好通コラム

2005年12月05日(月曜日)

1299.初雪でさようなら

スタート前、
いつものようにスターティンググリットで、おしゃべりしたり、握手。
しかし、寒いのであまり盛り上がらない。

 

 

スタートしたが、みんな滑って滑って、バトルにならない。

 

 

畠中選手は、他の車と比べてペースが上がらず、
28台中8番手でスタートしたにもかかわらず、
明らかに遅く、ズルズルと格下の車にまで抜かれて12番手まで下がる。
明らかにタイヤがグリップしていない。

 

誰よりもコーナー手前でブレーキを踏み始め、
ゆっくりとコーナーを回り、立ち上がりもフルスロットルを踏めていないようだ。
トップグループが1分58~9秒で競り合っているのに、
我が?25KeePreレビンは2分12~14秒程度のタイム。
1周15秒くらいの差が着いていって、とても勝負になっていない。

 

「タイヤ替えたほうがいいんじゃない?」
メカの小林君がしきりに無線で呼びかけるが、
畠中選手はこのまま頑張ると言う。

 

彼のレース用のレインタイヤはもう10年以上の前のタイヤで、
レインタイヤとしての柔らかいコンパウンドがそろそろダメになってきているようだ。
それでも、ドライと弱ウェットに対応できるいつもの「Sタイヤ」よりはいいだろうと、
彼は自分のレインタイヤで頑張っているのだが、
いかんせん、誰の目にも明らかに遅い。
それでも、45周、彼は頑張った。
10年以上前から、
このMINEサーキットで共に戦った(元)自分のレビンと、このレインタイヤを、
戦友のように思っているのだろうか、
明らかにグリップが低いまともに使えなくなったレインタイヤを履いて、
最後のレビンで45周を走り終えた。

 

ピットに入った時は、すでにトップからはかなりの周回数の遅れである。

 

45周目、
ピットイン、給油し、ドライバーを山本選手に交代する。
降りてきた畠中選手にあまり疲労の色が見えない。
それはそうだ、あれだけタイヤが滑ったら、
縦Gにしろ、横Gにしろ、車にGのかかりようが無い。
ほとんどGに耐えることなく、淡々と45周をこなしたという感じである。
彼の顔は、欲求不満、消化不良の感ありありである。

 

※ピットインの写真がない。
なぜかというと、この時、私は消化器係をやっていたのである。

 

交代した山本選手、
彼も9ヶ月ぶりのMINEであり、?25である。
しかもこの天候で苦しい上に、予選を走っていない。
まさにぶっつけ本番。

 

どんな走りをするか、コースのほうに見に行った。
裏のコースのフェンスに着いた途端に、
第2コーナーの外をゆっくり走っている?25を見た。
コースアウトしたらしい。
しかしコースに戻っても、まだゆっくり走っているので、
ピットに戻ってくるのかと思ったら、そのまま走っている。
多分、タイヤがあまりにもグリップしないことに驚いたのだろう、

 

ピットでモニターを見ていたら、
次の周回もコースアウトしたらしく、1周に3分以上かかっている。
こんなことをやっていたら、レースどころではない。

 

雨はまばらにしか降ってこないが、
冷え込みは進み、ぐんぐん気温が下がっているような気がする。
とうとう雷までなり始める始末。
風が吹き、おまけに“あられ”まで降ってきて、ピットの中は冷蔵庫のようだ。
メカの小林君が「とりあえず入れよう、すぐに、それでタイヤを替える。」
と決めて、ピットインの準備を始めた。

 

すぐに入ってきた?25にほんの少しだけ給油した。
これで、あとはノンストップで最後まで走れるはずだ。
それから、フロントタイヤを2本「Sタイヤ」に交換した。
FFはフロントタイヤでほとんどが決まるので、前2本だけだ。

 

給油など必要なタイムロスをすべてこなし、
これで最後まで走ればゴールとなる。

 

タイムはどうだろうか、取り替えたSタイヤでタイムは上がるのか?
刻々とラップタイムがモニターに映し出され、
みんなが見入る。
出て行って3周目くらい、
タイヤ表面の硬い部分が削れて、タイムが出てきた。
2分09秒、2分06秒、2分04秒、
周回につれてどんどんタイムが上がっていく。
山本からの無線でも「ぜんぜんこっちの方がいいよ。」と嬉しい声が届く。
「Sタイヤ」で正解だったのだ。
生き返った?25は、前を行く車をどんどん追い上げる。

 

 

雪が降ってきた。
横なぐりの雪がだ。
今年の初雪である。
さむい!

 

淡々と周回を重ねる山本選手。
そのうちフイに無線が入った。
「3速が無くなっちゃいました。」
ギヤボックスの中にある1速から5速までのギヤのうち、
加速に一番必要な“3速”のギヤが、使えなくなってしまったと言うのだ。

 

アチャ~と思いながらモニターを見ると、
2分18秒なんてタイムに落ちている。
3速無しでのレーシング走行は間延びした始末の悪いものだ。
これで万事休すである。

 

21位ぐらいまで下がっている。
ピット内にあきらめの空気が支配した。
でも、がっかりと言うより、さっぱりとした感じだ。
「さぁ、とりあえず撤収しよう」と、小林メカを先頭にみんなで荷物を片付け始めた。
早い、早い。
あっという間にピットの中は空っぽになって、
あとは、3速無しでスピードの落ちた?25が、山本選手と一緒に帰ってくるだけ。
勝負が決まったとなると、あきらめも早い、撤収も実に早いのだ。

 

 

ゴールはしたが、
28台中、22位(?)
そのまま車を引き上げてしまった。

 

 

あっけらかんとした終わりであった。
みんな明るい。

 

 

空からは雪!
今年初めての雪が、MINEにさようならを言っていた。

 

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2005年12月05日(月曜日)

1298.私は予選で終わり

まず、これを書いているということは、
私はMINEでパッと逝くことが出来なかったということである。
良かったというか、何というか。

 

 

昨日の夜、新山口に入って、
翌日、つまり今日、朝7時に迎えに来てくれた山本君の車でMINEに向かった。

 

朝、空は朝焼け、山は紅葉で、
すっかり気分のいい出足であった。
MINEサーキットは、今度こそ最後になるはずである。
出来れば晴れて、私も走れればいいなぁ、と思いながらMINEサーキットに到着。
すでに畠中君とか、メカの小林君とかが来ていて車の準備をしていた。

 

寒い。
足元から凍るような寒さを感じる。
高速を降りる所にあった温度計が「0゜C」とあったと、山本君が言っていた。
それでも空はまだ曇っているだけであった。
ひょっとしたら、天気予報が外れて、今日は晴れるのかもしれない。
そう思わせるような朝であった。

 

8時までに車検と装備品のチェック
9時半からは、予選である。

 

車検が終わった頃であろうか、ポツッポツッとしずくが空から降ってきて、
たちまち地面のアスファルトが黒くなってきた。
予選だけでもドライで走れたら、それだけで満足なのだが、
そう思っていた希望は、あっけなく無くなった。

 

いずれにしても、予選は走ろうと思っていた。
晴れていても、雨が降っていても、とりあえず予選だけは走っておこうと思っていた。
エントリーに名を連ねて参加ゼロでは、いかにも失礼だし、情けない。

 

雨は本降りになっていて、コースは完全に濡れている。
所々、コース上に川が出来ているくらいだ。
?25KeePreレビン、予選の最初はH.オサム、
なかなかタイムが上がらない。ベストラップは、2分14秒。
断然速かったトップとは15秒差、2位以下の車とも10秒くらいの差がある。
これはいくらなんでも、おかしい。
しかし、いくらアタックしてもタイムが上がらないので、わずか数周で帰って来る。

 

次に私が出て行く。
セカンドドライバーの山本君が、体力温存と言って予選を走らない事にしたので、
私は、畠中君から「時間いっぱい好きなだけ走ってきてください。」と言われた。
(山本君は本当に首がおかしいらしく、ヘンな格好をしている。)

 

私の予選、まず一周目、
春のジュニア耐久以来、9ヶ月ぶりの本格的なサーキット走行である。
しかも、経験の少ない雨での走行。
ピットレーンから本コースへ、
見慣れた光景だが、久しぶりで懐かしい。

 

本コースへの合流に向けてアクセルを踏み込む。
と、すぐにガッガッガッと音と共に振動が前から来た。
アクセルオンで前輪がトルクをグリップ出来ず、タイヤが空転する音と振動だ。
うっそ~、こんなにグリップしない事は初めてだ。
アクセルを戻してそっと加速しながら第1コーナーを抜け、
第2コーナーへのバックストレートを、それでも、フルスロットルで加速する。
ある程度スピートが出て3速からなら、アクセルを踏み込んでも大丈夫そうだ。
第2コーナーにかかる手前では、
ドライの時は100m弱でブレーキングを始めるのだが、
この時は多分150m手前くらいで、
“そっと”ブレーキを踏み始めた。本当にそっとである。
それでもシフトダウンのためのヒールアンドトウをすると、
ちょっとブレーキペダルに圧力がかかるのか、クックッとタイヤがロックする。

 

コーナーの奥に2台が曲がりきれずに突っ込んでいるのを見た。
次の第3コーナーでも、曲がりきった外側にコースアウトした車が1台。
ヘアピン、便所下のコーナー、第2ヘアピンと、ヨタヨタと走って、
シケインと最終コーナーの一つ目に、
1台ずつコースアウトしている車。
まるでコース中レースカーの墓場のように、
コースアウトした車が鎮座していた。

 

こんな光景をみるのも初めてである。

 

9ヶ月ぶりの本格的サーキットで、
最初に、ハンドルまっすぐなのに、アクセルオンでのタイヤ空転を初体験し、
次にコーナーごとのコースアウトした車達の墓場を見て、
私はすっかり動揺してしまった。

 

びびって運転すると、足も手もすくんで、
なかなかスムーズな運転が出来ない。
ここは一回出直そうと、早々にピットに入る。

 

ただ単にヒビッて、戻って来たことを見抜いた畠中は、
「はい。もうちょっとがんばって~」と冷たく私をピットを追い出す。
またコースに戻る。
それでも何周か走るうちに、
あのレーシング走行の懐かしい感触が戻ってきた。

 

でも、雨の中、
ブレーキはそっとペダルに触る程度、踏むなんてとんでもない。
ハンドルは、まさかと思う低いスピードでコーナーを回っても、
すぐにアンダーステアの状態になって、
コリコリコリとタイヤが横に断続的に滑りながらゆっくり回る。
アクセルだって、そ~~~~っと踏まないと、
すぐにフロントタイヤが空転する。

 

じきに予選終了のチェッカーが出て、私の出番は終わった。
タイムは2分24秒。
私のドライの時のベストは1分46秒前半、それに遅れて約38秒プラスである。
これでは走ったうちには入らないが、
この状況なので仕方がない。
これで、私のMINEはすべて終わった。

 

予選のあと、とにかく冷え込んでくるピットの中で震え、
10時過ぎのドライバーズミーティングでは、
ブリーフィングルームの中の暖かさに、説明を受けながらも15分は椅子で熟睡した。
こんなことは初めてである。
初めてづくしの最後のMINEである。

 

レースは、スタートドライバーが畠中君、そして、山本君という事になった。
私はもちろん決勝は走らない。
冷え切った雨のコースは、私が闘えるような場所ではない。
みんな、「走りましょうよ」と誘ってくれるが、やっぱり走らないことにする。

 

レースの様子はまた、明日書く事にして、とりあえず、きょうはここまでです。

 

朝は、とにかくこんなに天気が良かったのです。
てっきり、そのまま晴れると思ったのですが・・

 

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    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

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