谷 好通コラム

2006年05月16日(火曜日)

1398.幸せとは何かは、

幸せとは何か、ということは別の問題として、

 

誰でもが自分は幸せになりたいと思う。
そして自分の幸せとは、みんなが幸せにならないと得られないことを知っている。

 

みんなが不幸になっても、自分が幸せになれば良いと思っている人もいるが、
そういう人は実は不幸な人であって、根源的に犯罪者的である。

 

また、物とか金によって得られる満足は、
それを得た瞬間に、それ以上のものがまた欲しくなって永遠に不満足が続く。
物とか金によって人は幸せを得ることは出来ない。

 

幸せとは自分自身でなれるものではなくて、
周りのみんなの幸せに支えられて、自分の幸せが築き上げられるもので、
それ以外に自分が幸せになる方法はない。

 

そういう意味において、
みんなが幸せになるように、自分は仕事を頑張るしかないので、
自分に厳しく、自身を追い詰めるだけ追い詰めて、頑張る。
そして、それがみんなのためになり、自分も幸せになれることを信じて。
みんなにも厳しく、コントロールしながらも追い込む。
しかし、その中で、
人間が持っている一つの限界点を越すと、壊れるという現象が現れて、
頑張るだけで突き進んでいくと、
かえって、何も達成できないことになってしまう。

 

「急がば回れ」ということもあるではないか、
行くべきところを遠くにしっかりと見据えて、
時間軸においても、平面軸においても、広きを見つめて、
限界点を決して超さぬよう、じっくりと歩いて行くことが良い。
最近特にそんなことを強く思うようになった。

 

 

近来、うつ病が世の中に蔓延していて大きな社会問題になっている。
実に、六人に一人がうつ病にかかっているとテレビで言っていた。
そして、年間3万人もの人が自分に対する絶望の妄想の中で死んでいくとも言う。
うつ病とは外的要因に因を発し、
自身が過剰に反応する中で脳内ホルモンの異常が起き、
正常な自分が壊れていく病らしい。

 

しかし、これにはしっかりとした注意を持って見る必要がある。
ホンのちょっとした昔まで、
「ノイローゼ」と呼ばれた症状があった。
それもこれも全部うつ病でくくられているのか、今はない。

 

私も二十年以上前にノイローゼらしき状態になったことがある。
直属の上司と仕事上の行き違いからお互いが憎みあい、
私は強い被害妄想を持って、自分に活力を持てなくなってしまい、
朝起きることが出来ず、
暗くした自分の部屋で、布団に入って、一日中ネガティブなことばかりを考え、
自分で勝手に絶望して、その会社を辞めた。
次の会社に行っても似たようなことがあって、短い期間で辞めた。
その次の会社でも同じことで、1年も経たずに辞めた。
大昔、私は短い期間に三度も会社を辞めた経験がある。
あの時、病院に行っていれば私はうつ病と診断されたかもしれない。

 

でもそれは、ある時、
ある大きな目標を成し遂げた時に、嘘のように直ってしまった。
あの大きな達成感が、
すべてのネガティブな自分を追い出してしまったような気がする。

 

今考えると、あれは病ではなくて、
自分が望むあるべき自分が実現されるための成長における熱が出たようなもので、
脳内ホルモンにまで異常をきたした病気ではなかったような気がする。

 

成長とは、現状の自分の否定から始まる。
大きな成長をしようとする時、
自分のほとんどを否定し自信喪失の真っ只中にあって
その葛藤が、病のような症状を出すこともあるのではないか。
そんな事もあるような気がする。

 

私は思う。
たとえ、病と診断されたとしても、
それは表れた症状の特徴がそうなのであって、
実は自分の精神的な成長のためのただの熱であることもあるし、
そんな時は、徹底的に自分を否定しきって、
新しい行動を起こし、新しい自分を構築すればいいのではないか。
人間としての成長は、相当な労力と気力を持って自分と対峙しなければ成せない。
多分、とても辛いことだ。
それでも、その苦しみを他人に転嫁せずに、自分との対峙に徹すれば、
大きな成長が作り上げられるはずだ。

 

もちろん、
本当に脳内ホルモンという物理的な現象である病であることもあるだろう。
それならば、適切な投薬と、適切かつ長期の静養があれば100%完治するという。
だから、初期のうちに投薬と静養の治療が絶対的に必要で、
うつ病の早期発見のために、思い当たる症状が出たら、
出来るだけ早く専門医にかかることも必須である。

 

いずれにしても絶望する必要などまったくないのだ。

 

うつ病は誰のせいでも何でもない、「病気」なのだから。
しかし症状が似ていても、
それが自己否定を伴う成長のための熱である場合もあるのではないだろうか。
だとするならば、
それは治療するべき事ではなく、闘うべき対象であって、
逆に、治療することはその闘いがなくなってしまう事になる。
そんなこともあるのではないか。
私は医学的な知識があるわけではないので、
無責任なことを言うべきではないが、そんな事もあるのではないかと思っている。

 

人間は自らが大きく成長する時には、
今の自分から脱却するために苦しい熱を出すことも必要なのではないだろうか。
すべてのことにネガティブになる自分を病気と決め付けることもないのではないか。
成長には熱が必要である。
その熱に打ち勝つには、古い自分との対峙も必要だ。
世の中で勝っていくには、自分との戦いに勝つことが前提。

 

 

今の社会、人間の欲望を刺激することで埋め尽くされている。
その刺激された欲望を100%満たすことは出来ない。
いつも欲求不満で、鬱々とした自分に落ち込んで、
医学的に病気になっていくことが劇的に多くなったとしても不思議には思わない。
また、競争が激しく、緊張を続けることを要求される社会でもある。
その中で、緊張を解くことが出来なくなっても不思議ではない。
今の社会、人間をうつにさせる要素で溢れかえっているとも言える。

 

その中で、
自分との戦いに挑むことが、
みんなを幸せにし、自分もより大きな幸せになることも、
昔から変わらぬこととして厳然としてある。

 

戦ってはいけない人は闘うべきではない。
無謀な戦いを挑むことは、かえってみんなの不幸につながり、
自分の不幸にもつながる。
それでも、戦いを挑まずに、
静かに、平穏にしているだけでは、幸せを与え、得ることも出来ない。
病が癒えて、闘える時が来てから闘うべきだ。

 

しかし、今、闘える人は、今、闘うべきだとも思う。
何者をも恐れず、今、闘うべきだと思う。
全力で戦うべきだと思う。

 

 

ここまで、闘うべきだなどと書いて、
書いただけで疲れてしまったような気になって、
意味もなく、
「あ~しばらくグァムも行ってないなぁ~、久しぶりに行きたいなあ。」
などと思ってしまった
いい加減な私である。

 

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    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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