谷 好通コラム

2006年09月01日(金曜日)

1463.大本営発表のわな

今、ロスから自動車で約2時間のサンディエゴの街にいる。
サンディエゴでは安いホテルに泊まって、
インターネットがどうしてもつながらず、
日本を出る前の日から数えて4日間もの間、音信不通になり、困っていた。
下に話は、
30日、ロスに向かって飛んでいる間に、飛行機の中で書いた物です。

 

 

第二次世界大戦で、
アメリカに負けた日本では、
8月15日の天皇のラジオ放送による敗戦宣言が行なわれたその時まで、
「戦争に負ける」とは誰も言ってはならなかった。
その日までは、
新聞もラジオも「勝った、勝った、また勝った。」を連呼し、
硫黄島、グァム、サイパンなどでの
勝つことなく、しかし負けることを許されないという意味での“残酷な全滅”を、
玉砕と呼んで美化し、
爆弾を抱えた飛行機を人間ごと体当たりさせるという非人間的“テロ”を、
特攻と言って美化し、
決して、決して負けているとは言わずに、
勝っていると大本営は言い張る。

 

客観的に見れば大本営発表はまったくの大嘘である。
負け続け、戦略的に破綻している戦況は「負けている」のであって、
決して「勝っている」と言うべきではない。
負けていることを認めず、
勝っていると、
大本営が嘘を言い続けたのは
国のためでも、ましてや国民のためでもない。
大本営自身のためであったのではないか。

 

「ウソ」は、嘘をついている人自身のためにつかれるものであって、
誰かのためにつく「ウソ」なんてものはない。

 

大本営が発表し続けた「ウソ」と「詭弁」と、「ごまかし」は、
大本営自身のために行なわれたのであって、
国民のためになどということはあり得ない。
その理由がないのだ。

 

大本営の「勝てる」「勝っている」という嘘、
つまり、“間違った情報”を信じて
必死に戦い、
しかし勝てるはずもなく、
それでも負ける事が許されずに絶望のうちに死んでいった多くの兵隊の死を、
お国のために、あるいは家族のために死んだなどと、
美化するべきではないと思う。
死んでいった彼らは、
負けることを認めず、ウソの間違った情報を流し続けた大本営に
“ダマサレタ”のであって、
実に無念な思いで死んでいったウソによる被害者であると思うのだ。

 

戦争のプロである大本営の指導者達が、
戦争末期の戦況が
勝っている状況なのか、負けている状況なのか解らないはずがない。
明らかに負けている状況の中で「勝っている」と言い続けたのは、
動機はいかにあれ、結果的に自分たちの保身のためとなり、
死んでいった数百万人の国民のためではない。

 

騙した大本営指導者達と、
騙しに乗って死んでいった兵士達とは、
加害者と被害者の関係であって、
同じ扱いをされたのではたまったものではない。

 

私は歴史の事も政治の事も多くを知らないが、
戦時中、「勝っている」という作為的なウソの情報が
「大本営発表」という形で流し続けられ
そのウソの情報を流し続けた大本営が、
そのウソの情報を信じて戦い死んでいった兵士達を殺したも同然であることは、
疑いのないことだろう。

 

大本営の真中にいた人は天皇。
いつももっとも上座に座らされ、
戦争のプロたちが決めた指令が、
否応もなく自分の名前の下に発せられ続けるのを、
天皇は黙って見ていることしか出来なかった。

 

真実の情報がリアルタイムに届く大本営において、
戦争の素人である天皇でも、これが負けている状況であることはよく解っただろう。
そして勝てる見込みがないまま、
多くの人々が絶望的に死んでいっている状況もよく解っていただろう。
大本営には、
大本営発表のゆがめられた情報ではなく、
生の正しい情報が届いていたはずだから。

 

だから、実質的な大本営の指導者達は
つまり、戦争を実際に動かしている戦争のプロたちは、
「勝っている」というウソを国民に流していることも天皇は知っていたはずだ。
どんどん破局に向かう戦況の中で、
勝てる見込みが全くないまま絶望的に死んでいく多くの人々が増える一方の中で、
それでもウソを流し続け、
負けを認めず、
戦争をやめようとしない大本営指導者達に
天皇は強く怒っていたと聞いたことがある。

 

広島・長崎に原爆が落とされた後、
意を決した天皇が、戦争のプロたちの反対を押し切って「玉音放送」を強行したのは、
ある意味での「革命」であったのかもしれない。

 

天皇自らが「戦争をやめる。」と自分の声での宣言を強行したことによって
国民を殺し続けた大本営から、
国民は救われたと言っていいのかもしれない。

 

その大本営の実質的な中心人物たちが、
戦争後しばらく経ってから、戦争で殺された人々と一緒の場に祀られたときから、
天皇は、その場には、行かなくなった。
その心中は容易に察する事が出来ると思う。

 

 

事実と違う、間違った情報は、
それを信じてしまった時に、とんでもない間違った行動を取る事になる。
何が正しい情報で、何が間違った情報なのか、
多過ぎる情報の中で、ますます解りにくくなって来た。

 

正しい情報を見分け、
間違った情報を見破ることも大切なことだが、
反対に自分が間違った情報を流す側に立っていないか、
とんでもない間違いを巻き起こすような間違った情報を流していないか、
自分自身、よく省みなくてはならない。

 

結果として、間違った情報を流したとしたら、
その原因を自らの中に見つけ、
後悔し、恥じ入り、痛烈に反省しなければならない。
さもなくば、何度も同じ愚を繰り返すことになる。
戒めなければならない。

 

今、ロサンゼルスへ向かう飛行機の中。
いつものように眠ることなく、パソコンを叩き続ける。

 

中部空港から成田空港へ向かう飛行機は、
懐かしいフォッカーであった。
上翼型のフォッカー50は、離着陸時に主脚が窓から見えるのである。
久しぶりに見た着陸直後の主脚。

 

 

今回はアメリカンエアラインに乗った。
HISで一番安い航空券であったためだ。
それでも、夏休み期間の高い値段設定で往復ビジネス席で30万円ほど。
普段の30%~50%高であり、
夏休みと全く縁のない私にとっては、
八月はただ単に暑くて航空料金の高いシーズンである。

 

 

約12,000mの成層圏を飛ぶ太平洋横断路線からは、
真っ白い雲と、青黒いまでの宇宙の入り口が良く見える。

 

 

この日は良いお天気であった。
“霧”が日常茶飯事のサンフランシスコの地上まで霧が切れていて、
“初めて”の金門橋“コールデンブリッジ”を上空から見ることが出来た。
天下の晴れ男「M,sの西岡社長」と一緒にいたせいなのだ。

 

 

サンフランシスコの古い街も、
上から見れば、結構碁盤目がうるさい。

 

 

ロスに到着して最初に行ったのは、
ロスで鈑金屋さんを営んでいるジムさん。

 

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2006年09月01日(金曜日)

海外出張中です

代表の谷は現在、海外出張中です。
30日(水曜日)に成田を発ち3日(日曜日)に帰国という今回も超過密スケジュールの出張。

 

毎日、電話での連絡はありますがメールが届かず不便をしています。
ご連絡を頂いている皆様、ご迷惑をお掛けしていますがもう少しお待ちください。
代表より必ずご連絡申し上げます。

 

管理部 池本茂次

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