谷 好通コラム

2006年11月11日(土曜日)

1510.人は主観の動物

KeePre コーティング技術認定一級資格研修会及び検定会が昨日終わった。
二日間の研修と丸一日かけての検定会。

 

認定資格の“一級”編だけあって、
集まっていただいた人達もそうそうたるメンバーで、
こちらもほぼすべての営業所の責任者を揃えた。
研修慣れしているはずの我がスタッフたちも、
全行程が終わった時には異口同音に「疲れた。」と言っていた。

 

特に今回はパイロットショップとして試験運用の色合いが強く、
スケジュールから何から何まで手探り状態で、
出席いただいた方たちにも御迷惑をおかけしたと思うが、
私たちもスケジュールが進む度に、次の用意に右往左往していた。
みんな体力の疲れというよりも精神的な疲れが大きかったようだ。

 

それでも、最終日が終わってからの反省と検討会は
この研修・検討会が持つ重要性をみんな解っているだけに
疲れていても真剣であり、発言も活発であった。

 

やはり一番の悩みは「検定会」である。
研修はそれぞれ、多分、何百回もこなしているので、
初めてのタイプの研修会であっても、
何をどうすればいいのか、すぐに反応することが出来るが、
参加した方々を、その技術と知識を“検定する”なんてことは、
それこそ初めての経験であり、
みんな何を基準にして、どう評価すればいいのか、最後まで迷い続けた。
基準は、それなりにあらかじめ打ち合わせてはいたのだが、
実際に実技の一つ一つに点数を付け始めると、
参加者の方々の真剣さに心を打たれてしまい、客観性を見失いそうになって
真剣になればなるほど迷ってしまったようだ。
苦悩の採点であった。

 

アイ・タック技研?は、自分たちが実践してきた洗車技術、コーティング技術を
たくさんの方々に伝えてきたが、
今度は、それを検定して、
「この人は、KeePreの技術を十分に持っています。」と、
世間に対して認定していくわけだ。

 

ある意味では、認定された人が施工したKeePreコーティングを世間に対して
アイ・タック技研?が責任を持つというようなことだ。
相当な覚悟を持ってやって行かねばならないことであって、
その責任を、“検定”をしている時に、改めて実感を持って噛み締めた。

 

ケミカル商品など自社製品をより販売して欲しいがために、
販売促進手段として
「KeePre コーティング技術資格制度」を作ったわけではない。
「世の中に人に、キチンとした技術で施工されたキレイなキーパーを、提供したい。」
そう、真剣に考えてはじめた企画だ。

 

だから、真剣に検定して、本当に技量に達していないと判断した時は、
勇気を持って“不合格”を出す覚悟も持っていた。
あるタイヤメーカーの「タイヤアドバイザー資格」のように、
研修会の出席者全員に必ず発行するような、そういう意味の物にはしたくなかった。

 

しかし、いざ検定をして見て、
合格、不合格ギリギリのラインで不合格を出さねばならなくなった時、
深刻に葛藤した。

 

「70点で合格の技術と、68点で不合格の技術と一体どれだけ違うのか。
採点をしたインストラクターの主観の差の方が大きいのではないか、
それを考えれば、
ひょっとしたら、68点の人より70点の人の技術の方が下かも知れない。
せっかく飛行機に乗ってまでやってきてくれた人に、
公平さに100%は自信が持てない自分達が、
点数だけで機械的に不合格を出していいのだろうか。」

 

考えれば考えるほど葛藤は深くなる。

 

それでも、どこかで線を引かねば“検定”、“認定”の意味がなくなる。
葛藤しながらも、しかし、あえて「不合格」を出した。

 

不合格を宣言された人の心中を察すると、
しかもその方が自分たちのお客様であり、
KeePreのファンでいらっしゃることを思うと断腸の思いであり、
これでキーパーを嫌いになってしまわないだろうか。とか、
商売的に考えればかえってマイナスではなかっただろうか。とか、
みんな、自分達が始めたことが、
考えていた以上に深刻なことである事に、
その時、はじめて気が付いた。

 

一人一人の人間が持っているものは、あくまでも主観であって、
一生懸命に客観性を持とうと努力しても、
主観が完全に消え失せるわけではない。

 

厳密に採点方法を規定しても、
そこに採点者の主観の進入を完全に排除できるわけではない。

 

その上で、検定し、採点し、その結果で認定をするかどうかを決定するのは、
これは永久に自己矛盾との戦いになると気が着き、
「とんでもない事を始めてしまったなぁ。」と、ため息が出そうになる。

 

そうならば、事前の研修が終わった時点で、
このままでは合格ラインに届きそうにない人を、
徹夜をしてでも徹底的に訓練して、絶対に合格させるという決心をするか、
不合格の上で、検定会後、地元に帰ってから、
補習研修と訓練をして、地元の責任者が責任を持って追加合格を出すか、
いずれにしても、
このままではイカンなと強く考えたのでした。

 

覚悟はしていたものの、
はじめての“認定”のための「研修会と検定会」は、
おおごとであり、責任の重い仕事であることを痛感したのでした。
そして、たくさんの問題点が見つかり、大変貴重な経験をもらった三日間であった。

 

たくさんの参加者の皆さん、ありがとうございました。
心より感謝いたします。

 

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2006年11月11日(土曜日)

1509.みんな主役だから

※パソコンの具合が悪く、一昨日からずっと不通になっていました。
このコラムも一昨日に書いたものです。

 

 

「陰の立役者」「縁の下の力持ち」という言葉がある。
企業というものは、表に出ている人達だけで成り立っている訳では無い。
表には出ないが、いなくてはならない人たちがいて、
そういう人たちに支えられて、表に出る人が力いっぱい働けるというものだ。
表に出る人、たとえば営業職の人間、役員達。
表に出ない人、たとえば出荷の人たち、管理、経理、企画の人たち。

 

営業職が商品をいっぱい販売しても、
それが正しく出荷されなければ、会社として商品を販売した事にならず、
管理、経理、企画の人たちが営業職の人たちをただしくサポートしなければ、
営業職の人間も身動きが取れなかったり、
会社そのものを運営できない。

 

表に出ない「縁の下の力持ち」は、
表に出る人たちと同じぐらい重要な役割を担っている。

 

さて、では
表に出る人たちである営業職とは、
会社の花形である。
営業職は、どんどん前に出て、舞台の上に昇って演じる主役でなければならない。
しかし、
自分に自信の無い営業職は、
舞台の袖に隠れて「縁の下の力持ち」をやりたがる傾向がある。
本当は主役でなければならないのに。

 

主役は主役らしく、表に出るべきであり、縁の下に入ってはいけないのだ。
いつも顧客に一番近いところにいて、
いつも、顧客とのコミュニケーションを持って、
顧客の役に立つことを実践し続けなければならない。
縁の下に入り込んでいる主役など、存在そのものが許されないのである。
営業職は花形なのである。

 

また、そういう意味で店舗という舞台に立つ人たちはすべて主役である。
花形なのだ。
技術を身につけ、
舞台の上で活躍するために、今日も研修が続く。

 

 

谷専務がタバコを吸った。
「禁煙セラピー」を読んで、突然、禁煙をした谷清隆専務が
とうとうタバコを吸ってしまった。

 

禁煙中は彼が
「禁煙しているんではなく、タバコを吸わない人になったんだ」と言うので、
私は、
「吸わない人じゃなくって、君は今、“タバコを吸いたい人”なんじゃない?」と言った。
この会話が決してきっかけでは無いと思うが、
専務はタバコを吸ってしまったのだ。
「久しぶりのタバコは、さぞかしうまいんじゃない?」と聞いたら、
「いやっ、一緒ですね。前と一緒です。」と答えた。

 

昨日の「塗装の理論」で、熱弁中の谷専務。
主役の一人である。

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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