谷 好通コラム

2007年02月15日(木曜日)

1574.鈴鹿サーキットで

2月13日(火)、連休明けの火曜日。
鈴鹿サーキットで走行会が開かれた。

 

火曜日といえば快洗隊の定休日。
快洗隊メンバーが家族連れで何組かが一緒に参加した。

 

この走行会は、
福井の「鷹栖サーキット」というミニサーキットが主催した。

 

サーキットが他のサーキットで走行会を主催するなんてちょっと変わっているが、
福井は雪国で、冬の間はなかなか走れないので、
一つの余興みたいな感じで鈴鹿サーキットで走行会を主催したようだ。
実際は今年の北陸は全く雪が無いので、
わざわざ、何のために、なんて感じになってしまったが、
鈴鹿サーキットのフルコースを走れる機会なんて滅多にあるものでない。
しかもナンバー付きのノーマルカーでもレースカーでも何でもOK、
サーキットライセンスも要らない。
事実上、誰でも何でも走れる状態で、
鷹栖サーキットの場長、岸下さんの豊富な人脈でこの走行会が出来たようだ。
鈴鹿サーキットは格式が高く、こんな走行会は滅多にあるものではない。
私達は嬉々として鈴鹿サーキットに集合したのである。

 

持って行った車は、
1.私がシリーズで出場しているゴルフGTIカップシリーズ仕様の「ゴルフGTI」
2.もう十年以上も使われているN1仕様の「?25キーパーレビン」
3.谷専務の社用車「アコードタイプS」

 

「?25キーパーレビン」は
昨年の2月にMINEサーキットで開かれたジュニア耐久レースで、
広島の山本君が走行中にミッションが壊れたままで、
長い間、知立店裏の駐車場に放置されていた。

 

H.オサムが、ミッションをはずして、
MINE近くのレーシングショップで私たちのレースの面倒を見てくれていた小林君に送り、
修理を依頼し、取り付けようとしたが、
なかなか時間がなく(自信もなく。)
結局、前々日に愛知県まで呼び出された小林君の手によって、取り付けられた。
結局、やっぱり小林君なのである。

 

小林君には快洗ホテル(トレセンの宿泊設備)に泊まってもらって、
キーパーレビンの整備をしてもらい、
ゴルフGTIの整備もしてもらい、
前日の夜やっと走れる状態になった。
土壇場でギリギリセーフ。

 

 

無茶なことをさせられても、ご飯を一緒に食べて
「ごめんね、ありがとうね」で、H.オサムに納得させられてしまう人のいい小林君。

 

 

当日、空は晴れ。
二月とはとても思えないような暖かさで、最高な日和であった。

 

集まったのは、私、畠中、村藤、結城、以上登録ドライバー。
応援で、堀、伊藤、・・・あと数名。
柴田、杉浦、藤村は、未登録インチキドライバー。
そして、その女房、子供たち一族で、
総勢二十数名。

 

1本目。
ゴルフに私、レビンに畠中、
勢い込んでスタートするも、わずか3周目で、よその誰かが1コーナーでスピン。
コースすぐ脇で砂利に捕まって立ち往生。
そこまでは仕方ないが、スピンした車の横でドライバーがチンタラ立っている。
極めて危険な状態で、すぐに赤旗が出て走行中止。
馬鹿な奴のおかげで、貴重な一本が無くなってしまった。

 

2本目。
ゴルフにはそのまま私、キーパーレビンには村藤が乗る。
今度は25分間フルに乗れた。
初めての鈴鹿はエキサイティングであり、複雑で長かった。

 

村藤は昔、MINEで自分のレビンを駆ってレースに熱中していた事がある。
しかし、志半ばで何年か前にレースをやめた。
だから、村藤はもう何年かぶりでレースカーを走らせたのだった。
レース走行を終えて降りてきた彼は、
「いや怖かった。こんな乗り難い車を俺は乗っていたのかなぁ。」
出たタイムは2分48秒。
私のゴルフGTIも2分48秒台、
わずか0.04秒速かっただけであった。
数年のブランクは大きかったようだ。
アコードに乗ったのは藤村、3分04秒。
完全なノーマル車で、初めてのサーキット走行なので当たり前。
「最初は怖かっただけだったけど、最後のころはメチャクチャ面白かった。」

 

 

3本目。
憧れのゴルフのレースカーに乗った結城。2分55秒。

 

 

二月に入って大須店の絶好調の早過ぎるゴホウビである。

 

 

キーパーレビンには、1本目ほんのちょっとしか乗れなかった畠中。2分42秒。
さすがである。

 

お昼ごはんを食べて、
午後からは女房殿たちと子供たちは遊園地に出かけ、
ピットには男供だけ。

 

午後から4本目、
レビンには私が乗る。
1年ぶりのレビンである。
コースに出てのっけからびっくりした。
「レースカーってこんなんだっけ。ナンダこの車は。」
去年1年間、
ノーマルカーに少し手を加えただけの快適なゴルフでレースをしていた私は、
ゴリゴリに足回りを固め、脳みそをダイレクトに揺さぶる振動と、
パワステのないクソ重いハンドルが、路面の荒れではじかれるショックと、
ストレート管の耳をつんざくような爆音と、
シフトのたびに踏まなくてはならないクラッチと、
シフトダウンの時のヒールアンドトゥ。

 

一年ぶりに乗った荒々しいレースカーの操縦に翻弄されただけで、
25分間の走行が終わってしまった。
2分48秒。
何年ぶりかの村藤のタイムとほぼ一緒である。
「ああ、俺はもう本物のレースカーには乗れなくなってしまったのか。情けない。」

 

正直言って、ショックであった。
あれだけ何十回も乗ったキーパーレビンに乗れなくなっている。
人間、ラクをすると自分が知らぬ間にだらしなくなってしまうものなのか。
一度ラクをすると、もう元に戻れなくなってしまうのか。

 

ゴルフに小林君。2分49秒。
アコードは柴田が乗って、3分10秒。
写真の一番向こうの柴田はまだ走る前。緊張感で目が据わっている。

 

 

5本目は、再び畠中が乗る。
コースにも少し慣れ、彼にとっても1年ぶりのレビンにカンが戻ってきたのか、
2分39秒。1本目の私より9秒も速い。

 

 

最後の6本目。
どうしようか。
私はもう一本走る事ができるのだが、
ゴルフで気持ち良く走ろうか、レビンで走ろうか。

 

いろいろ迷って、さんざん迷って、
結局、レビンで走る事にした。
「ダメだった。」で、終わりたくなかったから。
しかし、あのショックはまだ体に残っている。
本当に、もう一度レビンに乗って、やっぱりダメだったら、もっとショックが大きくて、
完全に自信がなくなってしまうのではないだろうか。

 

でも、いらないことは考えずにとにかく乗る事にした。

 

 

2本目のレビンは、やはり荒々しい車であった。
しかし、1本目のように自分を失ってしまうほど翻弄はされていない。
鈴鹿サーキットの変化に富んだコースもだんだん面白くなってきて、
ストレートエンドで軽く200km以上出ているだろう状態から
一瞬のブレーキだけで1コーナーに思い切って飛び込んでみたり、
デグナーの1つ目も、同じように、
130Rは飛び込みから全開で、
でも連続のS時コーナーとスプーンは分からずじまいで、
それでも、かなり攻めて走れるようになった。

 

面白い!
最高に面白い!

 

ようやく昔の感覚が戻ってきた頃、
ラストの6本目が終わった。

 

ピットに戻った私に、
「いいタイム出てましたよ。」と畠中が呼びかける。
「何秒だった?」
「2分43秒。」
畠中の2本目に1秒遅いだけ。
畠中から1秒落ちは、私にはいつものペースである。

 

うれしかった。

 

 

アコードの杉浦は3分07秒。
まァまァである。(本人はぜんぜん納得していないが。)

 

ゴルフに乗った村藤は2分44秒台。
彼も、レース感覚を取り戻したようである。
いくら2000ccターボであっても、
あのクソ重い重量で、しかも乗り心地の良いあのサスペンションで、
極端に軽量化してあるゴリゴリサスのレビンに1秒落ちとは、
DSGミッションのゴルフGTIとは、
本当に速い車である事が分かった。

 

それにしても、鈴鹿サーキットは、
その変化に富んだコースが、いかに面白いコースであるか、
なぜ世界に名だたるコースであるのか。
よ~く分かった。鈴鹿は本当にすごい。

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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