谷 好通コラム

2008年05月01日(木曜日)

1905.「愛してる」って言うと

大昔、私はカメちゃんという女の子と付き合っていた。
彼女は同学年で背のスラッとした人だった。

 

高校生の時の話である。
中学向けの学習塾があって、
その卒業生がサークルを作っていた。
みんなで毎年、長野の方にキャンプに行くのだが、
高校三年生の時は伊奈川キャンプ場という川沿いの小さなキャンプ場であった。
国鉄中央本線の蒸気機関車で行った。

 

カメちゃんは塾生ではなかったが、
私の友達の友達であり新しい人は大歓迎。

 

昔のキャンプは、朝、昼、晩と飯ばかり作っていた。
一日の半分を「飯ごう炊飯」での食事作りに費やしていたような気がする。

 

晩御飯が終わったら、
お決まりのキャンプファイヤーだ。
(ファイアーではなく、ファイヤーなのだ)
大きな焚き火をみんなで囲んで、
歌を唄ったり、ゲームをしたり、フォークダンスを踊ったり。
今思うと顔が赤くなるようなことを真剣にやって楽しんでいた。
50歳代、60歳代の人なら一度は経験しているだろう。
死ぬ前の走馬燈に出てくるかもしれない楽しい、楽しい、
でも、思い出すと照れくさくなるような思い出である。

 

キャンプファイヤーが終わったら、
みんな狭いバンガローに入って、また歌を唄うか話に花を咲かせるか
それぞれであるが、
私たちのグループは散歩に出かけることにした。
行き先は駅。
国鉄中央本線の「須原」という駅から
約1時間半かけ歩いて、このキャンプ場にやって来た。
その駅まで歩いて、ただ帰って来るという散歩だ。
その散歩グループ7人の中にカメちゃんもいて、
真っ暗な道を懐中電灯だけで、無駄話をしながら、ひたすら歩いたのだった。
それだけで楽しかったのだから、
今思うと、実にのんびりした時代である。

 

駅まで歩いて、駅で一服する。
もう真夜中、駅の売店もとっくに閉まっていたし、
そんな昔だから、24時間営業のコンビニなんてものもない。
自動販売機すらなく、つまり、何もない。
持って行った水筒の水を飲むだけ。
それで楽しかった。

 

帰り道、
キャンプ場に近くなると
すでに三時間近く歩いているので、
みんなくたびれている。
もうあと数百メートルのところで、カメちゃんが座り込んだ。

 

「どうしたの。大丈夫?」と声をかけたら、
「眠いの。眠くって、もう一歩も歩けない。」と言う。

 

足が痛いとか、おなかが痛いとか、めまいがするとかではなく、
「眠い。」というのだ。だから「歩けない」というのだ。
まぁ、ホッと安心はしたものの、さぁどうしたものか。

 

誰かが、
「オイッ谷! おんぶしてやれよ。 眠いって言ってんだからしょうがないだろ。」
「エーっ、おんぶなんてやだよ。」
「じゃあ、カメちゃん、ここへ置いていくか?」
「そういうわけには・・・・・・・」
「もうちょっとなんだから、めんどくさいな、おんぶしてやれって。」

 

仕方なく私はカメちゃんに聞いた。
「・・・カメちゃん、おんぶするか?」
カメちゃんは、もう眠くってしょうがないものだから、コクッと首を振った。

 

しかたがないのでヨイショッと、
高校三年生の私は、高校三年生の女の子カメちゃんをおぶった。
私は若い時は柔道もやっていて、
足が悪いが、今とは比べ物にならないぐらい丈夫であった。

 

それでも、高校三年生の女の子は”重いはず”であるが、
私はその時の重さをまったく憶えていない。
重さより、初めて、女の子が背中にくっついていることに神経が集中して、
そっちで心臓がドキドキで、その時のカメちゃんのやわらかい感触だけを憶えている。
ほんの数百メートル、ほんの十数分だったであったが
何を勘違いしたのか、
「あー、僕はカメちゃんと結婚しなくっちゃ」と心の中で思ったのだ。

 

キャンプではそれだけである。

 

それから名古屋に帰って、
カメちゃんの高校の学園祭に行ってみたり、
一緒に喫茶店に行って、話をしたり。
ある冬の夜、カメちゃんの家の犬の散歩につきあった時、
夜空にあるオリオン星座を教えてもらい
「すげぇ、星座なんて初めて見た。」と感動したこともあった。

 

もちろん、私はカメちゃんが大好きで、
一緒に歩いている時など、
いつも「好きだ。」とか
「愛してる。」と言わなくちゃと思うのだが、
言葉が喉元まで来ているのに言えず、
声を出さずに口だけ「愛してる。」とパクパクしたこともあったが、
もちろん通じるわけがない。

 

やがて高校を卒業して、
私は学生とアルバイト、カメちゃんは社会人に。
でも、あいも変わらず散歩だけの私とカメちゃんだったが、
カメちゃんの仕事先の会社で
男性社員から「付き合って欲しい」とカメちゃんが言われたことを聞いた。
ドキッとしたが「へぇー、その人いい人なの?」とか、
私がグズグズ言っているうちに、カメちゃんは怒って、そのまま帰ってしまった。

 

その後も何回かは会ったが、私は相変わらずでグズグズ。
「愛してる」とか、「好きだ」とか言やあいいのに。グズグズ。
だんだん自分にやけになって、酒を飲んだ時、
私が、彼女が連れてきた友達にちょっかい出して、
カメちゃんは怒って、・・・それきりであった。

 

何十回も会って、散歩して、おしゃべりしているくせに、
「愛してる」って一言、言えばいいのに。

 

カメちゃんとは手をつないだこともなかった。
散歩とおしゃべりと「おんぶした」関係だけである。
それも、やけが元でそれっきり。

 

その前に「愛してる」って一言、言えば良かったのに。

 

 

「愛してる」は、自分の心の中の言葉。
「ありがとう」とか、「よくやったね。頑張ったね。」の感謝の言葉も心の言葉、
しかし、自分の心をあからさまにすることを恥だとする価値観を
どうも日本人は持っているようだ。
「愛してる」は恥ずかしいのだ。
心の中の言葉を言ったり書いたりすることが苦手なようだ。
ブログでも他所行きの言葉で、他人事のような話題しか書けない人もいる。
自分をあからさまにすることが、生理的に出来ないのかもしれない。
しかし、その人の言葉に、
その人自身の心の中がまったく見えないと、
表面(おもてづら)でしか付き合えない人として、あまり人望は得られない。

 

「愛してる」って言ってごらんよ。
自分の奥さんに、子供に、
(親に言うのは張り倒されるかも)
酔った勢いで、部下にだって言っていいと思うね。
「愛してる」は、
「恋してる」とは違って、
男と女の間の言葉だけではないので、別にぜんぜん変じゃない。
「愛してる。」は、「ありがとう。」につながるし、
心の中の言葉として、
もっとも素直な言葉なので、
自分の心の中をあからさまにする訓練にもなる。
バカバカしいように思えても、
人と人との信頼を表すことが出来るようになるための最も効果的な訓練なのだ。

 

「愛してるよ。」と毎日なんべんも言っていると、
ほとんど、挨拶に近くなるけど、
言ったほうも、言われたほうも、なかなか悪い気はしないもの。

 

しかしあまりしょっちゅう言っていると
「愛のバーゲンセール」とか、「はい、はい、はい、」と言われるが、
それはそれでかまわないし、だいいち減るもんじゃない。

 

「愛してる。」って何年も言えなかったばかりに、
我が青春が「おんぶ」の関係で終わった私は、
その分を取り返すべく
反動で「愛してる。」の大バーゲンセール男になっている。

 

 

今の事務所の西隣に人家がある。
一昨年の4月、ここの土地を買う時に、
「隣地は一文高くても買っておけ」という言葉もあり
西側のこの家の土地も買いたいと申し入れたことがあった。
しかし、「売る気はない。」と断られた。

 

今思うと、買わなくて良かった。
隣の家の庭に、長い年月かかって大きくなった木が何本もあり、
小さな小さな”森”のようになっていて、
とても気持ちがいい。

 

私は土地を見て、緑を見ず、
うっかり、素敵な大きな緑を失ってしまうところだった。
「愛してる。」は、素敵な緑みたいなもの。
気付かぬに失って、失っても気が付かないもののような気がする。

 

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2008年05月01日(木曜日)

1904.四月もやっと終わりますね

 

もう四月が終わる。
(日付が変わる前に書きました。)

 

街中のガソリンスタンドには
税金が上がる前に満タンにしようと車が並び、
てんてこ舞いで洗車どころではなかっただろうと思う。

 

そう考えると、
私たちの快洗隊は本当に恵まれていると思う。
お客様のお車をキレイにすることだけを集中して考えればいいのだから。

 

揮発油税の暫定税率にまつわるゴタゴタで、
誰が得をしたのだろうか。

 

しかし、少なくとも、ガソリンスタンドの人たちは、
政治の駆け引きのおかげで何百万円単位で損失を出した上に、
お客様に頭を下げっぱなしで、
「何で俺たちが、謝らなくっちゃいけないんだろ。」と、
何とも、理不尽な心境であっただろう。

 

この件について、私は何も言えない。
しかし、一つだけ言えば、
道路は出来ればできるほど便利だけれど、
天文学的な借金をしてまで、
また、こんなに税金を負担させてまで
作り続けることに意味があるのだろうか。
地方経済の活性化と言うが、
田舎のほとんど車が走っていない高速道路を走ると、
作れば作るほど維持費がかかるので、余計に地方の赤字が増えるだけのように思った。
誰のために道路は作るのか。
作るために作っているだけではないのか。誰かのために。

 

そんなことを言っても、SSではとりあえず目の前にいるお客様のことで精一杯。
誰かに恨み言を言っても誰も聞いてくれない。
がむしゃらに四月が通り過ぎるのを耐えるだけなのだろう。
そんな中で、
各務ヶ原石油の春岡通りSSでは、たった150坪あまりの店舗で、
新入社員の女の子と男性社員2人の3名で、
レギュラーガソリン9,000リットルと他にもいっぱいの給油をした上で、
洗車とコーティングを15万円も仕上げたと洒井社長が言っていた。
想像を越えた仕事量であったと思う。
杉店長はとんでもなくすごいのだ。
「・・・・だから、出来ないのは仕方ない」とは絶対に言わない人なのだ。

 

洗車の世界では、
今年の四月は去年のような忙しさはなかった。
去年は四月に飛んできた黄砂が、今年は三月に来て三月が忙しかったが、
四月はむしろ雨が多くて洗車の需要が少なかったのだ。
その四月が終わって、快洗隊の店長たちから次々と月次報告が送られてきている。
その中でも、甚目寺店が最後の最後で奇跡の予算100.1%で達成。
執念としか言えない達成だ。
きっと今日も、みんなで「おちょぼ稲荷」にお礼参りをしていることだろう。

 

14店舗の直営店のうち、前年を上回ることが出来たのは6店舗。
8店舗が前年を下回った。
しかし、その8店舗からの報告の中で「雨が多かったから」とか
「黄砂が来なかったから」などと書いてくるものは一人もいない。
「絶対に五月は予算を達成する」と悔しさを次のエネルギーに変えている。
「・・・・・だから出来なかった。」
「・・・・だから仕方ない。」は、快洗隊の禁句なのである。

 

そう言えば、
先日雨が降った日、知立店に寄ったら、
私がいた1時間の間に、
雨の中で三台のお客様が、洗車とキーパーを注文されていた。
「雨が降っているから洗車をする人がいない。」は、ここでは通用しないようだ。
スタッフも当たり前のように車を洗っている。雨の中で。
不思議な、不思議な時間だった。

 

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    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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