谷 好通コラム

2008年06月01日(日曜日)

1929. 土日パーフェクト「雨」の五月が終わって

今年の五月は、見事に土曜日曜に絡んだ日が雨であった。
よくもこれだけ見事に毎週、雨が降ったものだと感心するぐらいだ。
昨日の土曜日は「曇り」の予報だったので、
みんな最後のラストスパートに希望をつないでいたが、やっぱり雨が降ってしまった。

 

五月の14店舗合計洗車予算は4,200万円。
1店舗当たりの平均ちょうど300万円の予算であったが、
残念ながら合計3,950万円どまりで予算未達成であった。
しかしそれでも14店舗中6店舗が個々の予算を達成してきたのは、
「コーティングプロショップ」のコンセプトが店舗に反映されてきて、
雨が降った日でもある程度のビジネスが確保出来てきたからだろう。

 

その中でも特にコーティングに元々実績のある「札幌店」が、
とうとう「刈谷店越え」を果たした。
多くの店舗が目指して果たせなかった「刈谷店越え」が、
とうとう北海道で実現してしまったのだ。
今日の夜はみんなで「達成会」をやると言っていた。
「私のおごりにしておいて」とメールで返信したのは、私も心から嬉しかったからである。

 

洗車屋・快洗隊であったころは
雨が降ったら土日であろうとほとんど来客は少なく厳しい結果であったが、
「コーティングプロショップ快洗隊」を前面に打ち出すようになってからは、
雨が降っても晴れた土日の半分程度までにしか売上が減らない。
雨が降っている中でも、
予約のダイヤモンドキーパーやアクアキーパーの施工車が
コーティングブースの中に入っていて、
スタッフが一生懸命に研磨したり、コーティングを施工したりしている場面が多かった。

 

店舗がそんな上向きの方向を持っていても、
ガソリンなどの燃料の高騰で、
お客様の洗車などに回るお金が渋くなっていることもあって
車をキレイにするための需要そのものは、
一時的であるにしろ、落ちていることも事実だ。

 

あれやこれやの上向き、下向きの両方のベクトルが出した結果が、
予算未達成なるも、
前年同月の洗車(コーティング含む)実績比を110.1%とわずかにクリア。

 

これを上出来と考えるかどうかは判断の分かれるところだろうが、
車齢(車の年齢)が明らかに伸びてきていて、
車を大切にする尺度が変わってきており
お客様のキレイに対する欲求の種類が変わって来ていることを実感するところだ。

 

 

明日からLos Angelesに行く。
トニーの奥様が大病で入院されておりそのお見舞いに行くためだ。
目的に要する時間は少なくても、
どうしても四日間かかる。
その間の仕事を、スケジュールの合間を見て一昨日から大車輪で行ってきたが、
多くの仕事を持ったまま飛行機に乗り、飛行機の中で片付けることになる。

 

また、先週の土日は上海に行ってきたので、
今日快洗隊にみんなの顔を見に行かねば今度は3週間ぶりになってしまう。
午前中は事務所でPCにかじりつき、
午後から愛知県の快洗隊8店舗を目指して回ったが、
午後8時、最後の東海店を残して時間切れになってしまった。
ちょっと心残りだが、
いささかくたびれてきたし、
明日の午前中は東京で4名の新人の面接が用意されており、
朝早く起きなければならないので、引き上げた。

 

 

 

写真も、途中までカメラにメモリーカードが入っていないのに気が付かなかったので、
5店舗分しかない。

 

5ヶ月連続予算達成の甚目寺店には、
憧れのフェラーリ・マラネロが来店していた。

 

 

岡崎店の鈴木新店長は、もうすでに店長がすっかり様になってきていた。上等である。
また、牧野君が元気にたくましくなっていたのがすごく嬉しかった。

 

 

安城店では、鹿討新チーフがインストラクター時代のきねづかで
新人のアルバイトさんに快洗Jr.を使っての基本洗車をうまく教えていた。

 

 

同じく安城の新店長服部君が彼のこだわりの後ろ髪を切ってさっぱりしていた。
もうすぐ神奈川に帰る柴田店長もそれを頼もしそうに見ている。

 

 

とうとう八ヶ月連続予算達成の知立店も、毎年の鬼門である6月を迎え、
いよいよ正念場である。
新分野である車売を担当することになった谷基司君が、
いい汗をかいていた。元気そうである。

 

 

知立店の「KeePer PROSHOP 快洗隊」のロゴはひときわ大きく見える。

 

 

もうすっかり暗くなってしまった刈谷店。
弊店の8時を過ぎてもブースの中では作業が行われていた。
「刈谷店越え」を札幌店に果たされてしまった村藤店長のがっくり振りは、
冗談を言いながらも気の毒なくらいであった。(の、フリか?)

 

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2008年06月01日(日曜日)

1928.頑張ると良い事があるか?

私が高校生だった時、
私はいつもマラソンがドベから3番目だった。
足が悪かったせいもあるが、
走るとすぐにヒイヒイゼイゼイとなったのは、
心肺機能が低かったのか何だったのだろうか。

 

私よりも遅かった生徒が二人。
一人は、私は左足の膝から下の筋肉が細いが、
その生徒N君は腿から下の全部が細かった。
もう一人は、走ると顔がすぐに真っ白になっていかにも苦しそうであったO君は、
体のどこかが悪かったか弱かったか。
年一回の冬のマラソン大会になると
この二人と私の三人は、いつもみんなの群れから外れて、
ヒイヒイゼイゼイ、ヒョコタンヒョコタンと走っていた。
この三人は同学年であったが、
ライバルではない。
かといって、いたわり合う中でもなかった。
スタートすると、
私よりヒョコタンがひどいN君は最初から遅れる。
O君は足は速かったので最初はかなり前を走っているが、
ある程度走って苦しくなってくるとどんどん落ちてきて、
ドベ2で走っていた私に抜かされる。
苦しそうに走っているO君に、
私が「大丈夫か」なんて感じの目線を送ると、
「うるさいな、早く行けよ。」という感じの目線を送り返してくる。
彼はもっともっと後ろの方を走っているN君にも抜かされるのだろう。

 

ビリ三人はお互いがまったく見えないほどの距離に離れて、
長い時間の後に20kmのゴールに到着するが、
はるか前にゴールしているほかの生徒たちは、もうあまり残っていない。

 

よく憶えていないが、昔の全校マラソンは、
今のマラソン(マラソンとは言わないか?)のように、
最後の生徒がコールするまでみんなで待って感動の拍手で迎える、なんてことはなかった。
(ような気がする)
記憶にあるのは、パラパラと残っている生徒と、
私たち生徒の安全のためにコースとグランドに残っている先生が、
「よ~し、よくがんばったな。」とか声をかけてくれるぐらいだ。

 

ゴールして、ヒィヒィゼイゼイ言いながらグランドに座り込んで、
しばらくして息がある程度落ち着いてきたころN君がヒョコタンとゴールしてきて、
もっとしばらくするとO君が白い顔して、
さすがに先生が付き添いながらゴールしてきた。
ドベ三人は、ゴールしても別に声を掛け合うわけでもない。
ただゴールした順にグラントにへたり込み、息が整うまでくたばっているだけ。
時たま先生が「大丈夫か?」と笑顔で話しかけてくるが、
「はい、大丈夫です。」と、少しだけ笑顔を作って見せると安心する。

 

あの全校マラソン大会は、
私にとって競技であったわけではない。(多分ドベ2人も)
競う相手がいるわけがなかったのだから。
完走が目標であったわけでもない。
完走して誰かから賞賛されるわけでもなければ、
何かを達成して満足感が欲しいとも思わなかった。

 

ただ、全校の行事であったので走っただけで、
特に意味を持って走ったのではなかった。
走っていて息が苦しくなってきたら
「とりあえず、あの橋のところまで走ろう。」と思い、
橋まで来たら、まだ走れるし、止まる必要もないので走り続けて、
足が痛くなって来たら「とりあえず、転ぶまで走ろう。」と思い、
あ~苦しいなあ、と思ったら、「もうちょっと苦しくなったら止まろう。」と思い、
前が見えなくなって、周りから誰もいなくなっても
コースの所々にいる先生に「もうやめます。」と言う理由がないので、走って、
何だかんだで、最後まで走ってしまった。
そんな感じであったと思う。
何だかんだで“走ってしまった”って感じだ。

 

だから、ゴールして、
誰かから賞賛などされなくても「ドベ3なのだから当たり前」だと思っていたし、
自分もドベ2のN君もドベ3のO君のことも、別に賞賛するつもりはなかった。
何だかんだと思いながら、走ってしまった。だけであった。ような気がする。
惨めでもなかったし、自分をかわいそうだとも思わなかった。
私にとって長距離は苦手であったので、当然の結果であるし、
ドベ3なのだから、最後まで走ったことを賞賛されたり、
ましてや気の毒がられることも、期待しなかった。
頑張ることで良いことがあるから頑張ったわけではないから。

 

私は高校で柔道部で副将をやっていたし、
N君は卓球部で活躍していた。O君もテニス部で楽しんでいた。
人間、得意なこともあるし、苦手なこともある。
ただそれだけであった。

 

 

ただ、
得意なことをがんばる事は簡単に出来るが、
苦手な事でも、頑張ることをやめる必要はないのだから、
頑張ればいい。
その結果、何かいい事がなくても、
頑張ることをやめる必要はないのだから、頑張ればいい。
頑張った末に何か良い事がなければ頑張れないのだったら、
頑張るなんてやめればいい。
頑張った結果のあとに保証されている良い事なんて絶対にないのだから、
頑張ることはやめたほうがいい、
しかし、良い事も絶対にやってこないし、
頑張らなかったことで得することもない。

頑張った末に良い事がやってこなくても平気なら、それこそ頑張るといい。
頑張った末に良い事がないかもしれないが、
何かいい事がやってくるかもしれないから、頑張るといい。

今の仕事を頑張って、自分に良い事があるかどうかは分からない。
でもどうせ生まれてきたのだから、頑張るほうがいいと思うから頑張る。

 

・・・・・

 

 

今日は一日中の幹部会議のあと午後4時から、
なんと4軒分の新規快洗隊の設計デザインの打ち合わせであった。

 

H.オサムはカメラを向けると1パターン。ちょっとバカチンである。

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    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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